「こうでなくてはならない」を超えて。Ayakaが見つけた、今の笑顔が活きる場所 【国際女性デーに寄せて】 | 合同会社Kurasu
3月8日は「国際女性デー(ミモザの日)」です。1904年3月8日にニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモ集会を開催したことに由来し、これまでの女性の勇気と決断を称え、女性の地位向上や...
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カスタマーサポートをメイン業務として、コーヒー器具の修理やロジスティクス業務まで。仕組みを整え、チームを育て、そして寄り添う。
KurasuのCSチームをマネージャーとして支えるTatsuyaは、社内でも「安定感」と「安心感」の代名詞のような存在です。CSチームの立ち上げからメンバーを支えてきた判断力や現場感覚、何より「仲間と働くこと」への向き合い方が、社内で多くの信頼を集めています。
「もう50歳を目前にしています。でも、親として、家族としては、まだまだ成長しなきゃいけない。日々、学んでばかりです」
そう話すTatsuyaは、いつもの自転車でインタビューに現れました。その姿には、かつて17年間バイシクルメッセンジャー(自転車配達員)として東京の街を駆け抜けていたあの頃の姿も、確かに重なっているように思います。今回は、その人生の歩みとリアリティあふれる仕事観から「優しい知恵」をお借りしたく、これまでと今、そしてその先の話を、じっくり伺いました。
ーーそもそも、バイシクルメッセンジャーってどんな仕事なんですか?
現在では想像しにくいかもしれませんが、当時はスマホもなく、写真1枚を送るのも一苦労。大手広告代理店や証券会社から、フィルムや契約書などを「人が直接届ける」必要があったんです。まだ「情報は人が運ぶ」時代でした。
大学時代のアルバイトでメッセンジャーの仕事に出会い、「これは天職かもしれない」と感じました。ルートを自分で組み立てて効率よく配達すれば、時給5,000円を目指せることもありました。役者志望や写真家、アーティストなど、さまざまな背景を持った人たちが副業として働いていて、多種多様な人たちと交流することができたんです。
2000年前後といえばインターネットもまだ普及しきっていない頃で、WindowsではなくMacintoshを使いこなしている人がちょっとクール、そんな空気感のあった時代です。自転車便と言えば古いイメージ、あるいは右肩下がりの業界のような印象があるかもしれませんが、当時はむしろ、アナログでしかできないからこそのスタートアップのような盛り上がりがありました。
ーーその時代の文脈を実際に現場で体験されているというのは、すごいことですね。
そうですね。あと、メッセンジャーには世界共通の文化があるんですよ。世界の大都市には、必ずといっていいほどメッセンジャーのコミュニティがあって、配達の速さを競う「世界大会」が年に一度開催されていました。それをきっかけに都市同士を行き来する文化も育まれていったんです。
自分は2000年頃から海外の仲間とも交流をはじめ、2002年にはコペンハーゲンで初めて世界大会に参加しました。それ以降、北欧やベルリンなど10都市以上を旅しながら、自転車でつながるコミュニティにどっぷりと浸かっていきました。
ーーSNSもまだない時代ですよね?
携帯のメールや電話、イベントフライヤーなどでつながっていました。SNSがなくても、不思議と会いたい人に会えるんです。熱意を持って現地に飛び込めば、寝床も食事も現地の仲間が何とかしてくれる。「よく来たな、おごるよ〜!」という空気がありました。
バリスタの世界に例えると「僕、バリスタなんです。泊めてください!カッピング一緒にしてください!」とか、「一日だけでもトライアルさせてください!」って言えるようなイメージというか。そこに国境も上下関係もない。
そんな世界を知ってしまったら、もう大学には戻れませんでしたね(笑)。1997年に中退し、少し変わった人生の歩き方だったかもしれませんが、世界中に仲間がいる環境に十数年も浸かれたことは、今思えばかけがえのない財産だと思っています。
メッセンジャー時代に一番お世話になったのが、東京の「クーリエ」です。先輩が独立開業する時に声をかけてもらい、一緒に立ち上げメンバーとして参加することになりました。
ーークーリエ時代には、どんなことをされていたんですか?
配達業務に加えて、受注管理や営業、経理、Web広報など、会社の裏側を支えるさまざまな業務にチャレンジするようになりました。
現場は1日に100km以上を自転車で走る過酷な環境で、バッグやウェアもすぐに傷んでしまいます。そうした中で「現場に耐える道具を自分たちの手で作ろう」という動きが自然に生まれ、自転車用アパレルブランドを立ち上げる仲間も出てきました。
クーリエもまた、こうした課題意識の共有から生まれた会社のひとつです。現場の知見をもとにしたプロダクトはやがて大手企業との協業にも発展していきました。現場と企業が相互にフィードバックを重ねることで、プロダクトの質を高めていくループが生まれていったんです。
ーーメッセンジャーのカルチャーを広げるような活動もされていたそうですね。
2005年から約10年間、自転車をテーマにした映画祭「Bicycle Film Festival(BFF)」の東京開催メンバーとして活動しました。BFFはニューヨーク発のカルチャーイベントで、映像・音楽・アートが交差する場として世界100都市以上を巡回しています。
最初のきっかけは、横浜の仲間が撮ったドキュメンタリー映画をNYCの映画祭に出したこと。それが繋がりを生み、「じゃあ東京でも開催しよう!」という流れになりました。
スポンサー探しから広報、イベント運営まで全てが初めての挑戦でしたが、多種多様な企業が関心を示してくれたのが印象的でした。「人と人をどう繋げるか?(どう繋がるか?)」を探すのが、めちゃくちゃ面白かったです。
ーーなんだか、コーヒーの世界にも似ていますね。
そうですね。一杯のコーヒーが暮らしやカルチャーとつながっていくように、自転車もまた、そうした媒介になり得ます。この経験を活かして、積極的にいろいろな企業にアタックし、Red Bullのプロジェクトにも携わるようになりました。
中でも印象深いのが、空飛ぶF-1ともいわれるエアレース「Red Bull Air Race」との出会いです。自分は滑走路まわりの運営担当として、限られた人数でチームのピット対応からセキュリティまで担いました。天候によってスケジュールが変わる中、細かい要望に即時対応する交渉力と判断力、組織としてのコミュニケーション能力を徹底的に鍛えられる現場でした。
ーー京都には、どういうきっかけで来られたんですか?
イベント会社への転職がきっかけです。プロの現場で修行するために京都へ引っ越してきました。ここでは5年ほど働き、国際的なスポーツ大会から地方創生事業まで、企画・運営のプロとして経験を積むことになります。
そのオフィスのすぐ近くにできたばかりのKyoto Standがありました。もともとコーヒーは好きで、仕事前に寄れるお店を探していたら、職場から1分のところに良いコーヒー屋さんがあったので寄ってみたのがきっかけです。
ーー最初からKurasuに惹かれていたんですか?
いえ、実は当時は喫茶店で飲むような深煎りコーヒーが好きで、浅煎りはあまり好みじゃなかったんです。でも、接客の距離感がすごくよくて。踏み込みすぎず、フラットで、居心地のいい「間」がある接し方が心地よかったんですよね。
バッチブリューをオススメされて、ランチ後にテイクアウトするようになって。それが、Kurasuに通いはじめたきっかけです。
ーーそこから「Kurasuに転職しよう」と思うまで、どういった経緯があったのでしょうか?
ご縁があってKyoto StandのAyakaと結婚することになりました。ただ、結婚してすぐにコロナ禍になり、単身赴任で東京・千葉で1−2年を過ごすことになって。
働き方や生き方を見直す中で、「自分は今まである程度好き勝手にやってきたからこそ、今度は妻が活躍できる環境をつくることを優先したい」と思って、退職を決意しました。
当時、自分は45歳、妻は29歳。前職は体力的にかなりハードな環境でしたが、仕事は普通の企業では経験できないようなことばかりだったので、正直、退職については悩みました。ただ、子どもも欲しかったので、Ayakaに背中を押してもらって退職しました。
ーーAyakaさんがKurasuで働く姿勢も、大きな後押しになったんですね。Ayakaさんは今、Cafe Operations Coachとして活躍されています。
当時から彼女は、Kurasuで自分のキャリアを積み上げるだけでなく、バリスタたちが長く働ける環境を作っていきたいと、本気で取り組んでいました。その志が伝わってきたからこそ、家庭をしっかり支える覚悟も自然と持てるようになっていました。
ただ、転職活動は難航しました。自分はどちらかといえばスペシャリストというよりジェネラリスト寄りのタイプですが、中途採用では「即戦力となる専門性」が求められることが多いんです。
「温度感があって、ビジョンのある会社で働きたい」という思いと現実のギャップに苦労していた頃、Kurasuのセカンドブランド「Kigu」が軌道に乗りはじめ、新しく人を募集するという話を知りました。
「事務もできて、機械にも触れそうで、Kurasuやコーヒーのこともある程度知っている人」
その条件を聞いたときに、「あ、それってもしかして自分かもしれない」と思いました。
メッセンジャー時代に育まれた「ないなら作る」スタートアップ的マインド、ネジ1本から自転車を組み立てていた手仕事の感覚、企画会社で培った事務局的な視点……。これまでの経験がひとつにつながって「今、ここで活かせるかもしれない」と思ったんです。そして面接を経て、Kurasuに正式にジョインすることになりました。
ーーCSマネージャーには、どういう経緯でなられたんですか?
2022年の入社当初は、Kiguの修理担当でした。それまではKiguチームのメインメンバーが2人しかいない状況で、修理までは手が回らず、故障や破損があった場合は、基本的に新品との交換対応を行っていました。ただ、いずれは修理対応を内製化していかなければならない、というのは必然的に見えていたので、まずは自分が修理に着手するところからスタートしました。
その後、修理環境が整い始めたタイミングで、2024年にKurasuとKiguの統合が決まりました。すると、両方の現場を把握してブランド全体のCS(カスタマーサポート)を横断的に担う役割が必要となり、自分がマネージャーを担うことになったんです。イベント時代の経験なども活かせる、嬉しい異動でした。
マネージャーとなってからは適材適所でチーム編成を行い、みんなで動きながら改善していく形を取っています。Kurasuがこれまで積み重ねてきた歴史や業務のノウハウを参考に、業務への取り組み方を日々ブラッシュアップしながら、全員がKurasuの器具も豆も深く理解できる状態を目指しているところです。
Kurasu歴の長いAyaさんBakerさんと、新しいKanbeくんKanoさんと、良いチームメンバーに恵まれて、今はバランスの取れた体制が整いつつあると感じています。
ーー改めて、ご自身の経験も踏まえて、Kurasuのスタッフに伝えたいこと、共有したいことあれば、教えていただけますか?
どんな経験も、いずれひとつに繋がって、未来で活かせるかもしれないということです。
「ないものは自分たちで創る」というマインドは、メッセンジャー時代からずっと持ち続けてきました。誰かが困っていたら反応してしまうし、担当外のことでも「どうしたら仕組みとして成立するか」と自然に考えてしまいます。Kurasuのようなスタートアップ的な組織と出会えたこと自体、大きな幸運だったと思います。
そして、現在地に立って「視野を広くする」こと。例えばバリスタの皆さんが海外に行くことは、コーヒーのスキル向上にとどまらず、人生の視野を広げるきっかけになると思います。人が話す内容は時に言葉どおりではなく、その土地の文脈を知っておかないとわからないことも多々あります。
CSの現場でも「文脈を読むこと」が本当に大切です。わからないことに向き合うのはストレスフルなときもありますが、いきなり判断せず、まずは受け入れることが大事なのかなと。
また、業界全体を広く見渡して「最適解を更新し続ける」こと。必ずしもKurasuの商品が、その人にとってのベストな選択肢でなくてもいい。お客様のベストに寄り添える姿勢や余白があることが、かえって信頼につながるんじゃないかと考えています。
ーーお客様への向き合い方だけでなく、スタッフの「働き方の最適解」について意識されていることはありますか?
個人的には、家庭を持ったことが考え方を大きく変えるきっかけになりました。「責任」という言葉の視座も変わったし、家庭や会社での役割を長く果たすには、健康であることが前提だと気づいたんです。
Kurasuには若いメンバーも多いので、その人の「年相応の働き方」は大事です。ただ、働き方の選択肢はもっと多様であっていい。もっと広い意味で言えば、ときにはコーヒー業界から少し離れてみて、また戻ってくるという選択も「正解」になりうると思うんです。
これは自転車で走ることや長距離マラソンにも通じますが、100%で走ることだけがいい成績につながるわけではありません。ときには120%で走ることもあるかもしれないけれど、それだけだと危険というか。80%の力で長く走ることも大切かなと。
だからこそスタッフには、「いつでも、相談窓口になるよ」と伝えたいですね。
ーー多様なメンバーがいる中で、組織やチームとして大切にしていきたいことはどんなことでしょうか?
「個人で結果を出す」のではなく、「チームで結果をつくる」という考え方です。このスタンスでいると、誰かが疲れたり、少し立ち止まったとしても、自然にカバーし合える。だからこそ、日頃から「いま誰がどんな状態か」を見ようとする姿勢が大事だと感じています。
また、Kurasuにあった社内ランニングクラブのように、「仕事」と「プライベート」のあいだにあるゆるやかで心地よいコミュニティやイベントを、これからもっと可視化していきたいなと思っています。ただ集まって走る、話す、コーヒーを飲む──そんな些細な時間の積み重ねが、組織の根っこを少しずつ太くしていくような気がしていて。
「頑張ってるぞ!」という力みがなくても、気づいたときにはちゃんと結果につながっている。そういう太くてしなやかな組織や関係性が育っていくことが、今はすごく大切だなと感じています。
そして間違いなく言えるのは、やっぱり人が最大の財産だということ。部署で区切るのではなく、お客様に対して同じ気持ちで接することができるKurasuというチームを、これからも日々つくっていきたいと思っています。
Kurasu HQでインタビューを行う際は、よく和室を使うようにしています。椅子ではなく畳に座り、目線を揃えて話し合い、姿勢が揺れたり、変わったりするうちに、普段は声にならなかった言葉がふとこぼれるような、良い対話と省察の場所になっているような、そんな直感があります。
今回のインタビューで、改めて「わからないことがわからなかった」、あるいは「わかろうとすらしていなかった」ことに気づかされました。インタビューは、「聴く耳」を持たせてくれる営みです。
Kurasuの中には、表には出ないけれど、確かにKurasuを支えている存在がいます。その「支える」という行為のなかにある情熱は、いつも真っ赤に燃えているわけではなく、むしろ青い炎のように、静かに、けれど確かに燃えていることもあるのです。
(photo: Ai Mizobuchi / text: Jongmin)