こんにちは、株式会社アズライト 採用広報担当の岡田です!
記念すべき初投稿の今回は、代表佐川の人柄がわかる生い立ちからアズライト立ち上げまでを語った経歴編をご紹介します!
ぜひ最後までご覧ください✨
プロフィール
株式会社アズライト 代表取締役
佐川稔(さがわ みのる)
1983年7月生まれ、千葉県佐倉市出身。新卒で入社した人材業界の会社で営業職に従事し、新卒200人のなかで1位やMVPなど複数の賞を受賞。更なる成長を求めて転職した2社目で、アズライト取締役の杉崎と共に副社長役員直下のもと営業・サービスの再立ち上げで経験を積む。この経験が独立のきっかけとなり株式会社アズライトを設立。現在は社長という立場の傍ら、数多くの採用支援やコンサルなどにも現役で携わる一方で、社員の相談には親身に寄り添い意見・考えも救いあげる頼りがいの良き指導者の一面も見せる。
―佐川さんの子ども時代を、幼少期から大学生に至るまで詳しくお聞きしたいと思います!小さい頃に熱中していたことはありますか?
幼少期から根っからのスポーツ少年で、関東のサッカークラブチームに入っていました。中1まで10年サッカーを続けて、熱中していたこともあり常にレギュラーで大会優勝経験もあるほど熱心に練習していました。でも、中1で顧問と喧嘩してしまったことをキッカケに、サッカー部は辞めました(笑)
―佐川さんの子ども時代において、今振り返ると重要だったと感じるポイントは?
今の自分の価値観を形成するに至って大きなことは、大きく2つあります。まず一つ目は、「コミュニティを大切にする」ということ。家族仲がよい家庭で頻繁に旅行に行ったり、学校も小・中・高とエスカレーター式だったので、深い関係を築いたり仲間を大切にするという価値観がつくられたと思います。
二つ目は、「高校時代にゼロからテニス部を作って、正解がない状態で自分たちで1つの物を作り上げた」という経験です。思い返すと「自分でやりたいことを自分たちで作る」という会社立ち上げに近い経験を最初に行ったのが、高校のときです。
テニス部がない高校だったので、副部長として仲間集めから顧問の先生、試合ができる校外のコート予約など、今思えば組織運営に近いことを3年間行い、最終的には40人規模、毎年20~30人が入部する大きさまで発展することができました。
高校時代のテニス部設立は、会社創業と共通するところがあって。「ルールがある組織に入るというよりは、ないものをゼロから作り上げる。失敗することがあっても、修正して自分たちで正解を作っていく」という体験を高校時代からしていました。
―高校時代は文武両立で、勉強にも励んでいたんですか?
いや、僕はもともと大学に行く気はなくてテニスのコーチになろうと思っていたので、ほとんど勉強していませんでした(笑)進学校だったので基本的に大学行く人が多いなか、僕は高校三年の年始まではテニスコーチになるのが夢だったので、英語30点取って補習ギリギリだったのを覚えています。でも、高校三年の年明けに大学は行っておいたほうが将来につながるし、大学でテニスもできるなと考え直して、「テニス部が強い大学」という理由だけで、亜細亜大学に決めました。
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―大学時代のテニス部では、レギュラーで活躍されていたんですか?
いや、大学時代はレギュラーとは全然ほど遠かったですね。亜細亜大学は関東でも指折りの強いテニス部で、日本代表の選手を輩出したり、日本代表の監督がコーチしていたり、そして同期もほとんどがテニス推薦組ばかり。
入ってみると年末年始しかまともな休みがないほど練習が厳しく、推薦組とはまともに試合にならないくらい下手で、次第にテニスは上達したけど花が開いたわけではありませんでした。実際、3年のときにトレーニングで故障してからは、主務としての活動や、全国を飛び回ってのスカウト活動などテニス部の裏方を担っていました。今思うと仕事に近いことをやっていたなと思います。
―テニス部、しかも名門校ともなると苦労したことも多かったのではないですか?
幼少期からのサッカーでは優勝するチームでずっとレギュラー、高校のテニス部でもレギュラーと、「勝ち組」にいるのが当たり前でした。でも、大学生になって努力しても叶わなくて、優劣が明確になって「負け組」にいるという辛さをすごく味わいました。
―「負け組」の辛さは将来のキャリアを考えるときに影響はあったんですか?
大学時代の挫折が就活にも影響していて、テニスコーチになりたいという夢があったものの、この実力ではトップコーチになれないと諦めたんです。
そして、就活の軸は「自分の努力次第で昇進でき、いち早く事業をつくるポジションになること」でした。高校時代は一番上、大学時代は最下位のポジションを経験したことで、負け組のポジションにはなりたくない!と強く決意し、ビジネスの世界で上を目指すことを決めました。
成果を出せばどんどん評価されて、スピーディーに昇進できる・チャンスを与えてくれる環境を求めて就職活動をして行くなかで、1社目に声をかけてもらった会社に入社を決めました。僕はこの仕事をやりたいとか、絶対この会社に入りたいというのはなく、とにかく重視していたのは「自分の努力次第で昇進でき、いち早く事業をつくるポジションになること」という面だけで、1社目は決めました。
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―1社目の会社での仕事内容や、記憶に残っているエピソードはありますか?
新卒入社した会社はリクルートの代理店で、求人広告の営業をしていました。上に行きたかったので、当時営業のトップだった「ボス」と呼んでいたマネージャーに認めてもらうことを目標に、毎日朝9時~夜10時頃まで仕事していましたね。
しかし、どうしても先輩たちとの差がある。結果を出している先輩と自分の差が何かと考えたときに「知識と経験の量」ということに行きつきました。知識や経験の量を補うには数をこなすしかない。ボスや先輩に居酒屋で飲みながら週2回以上は相談に乗ってもらっていました。聞いたアドバイスは翌日にすぐ実践。「実践→相談→実践」をとにかく繰り返していました。
この繰り返しのおかげで、1年目では新卒200人のなかで1位、2年目は年4回のMVPを2回も取ることができたと思います。自分より少し上の人を目標にするのではなく、もっと上の人を目標にしたからこそ、このような結果が出せたのではないかと今でも思っています。
―佐川さんにも、結果を出すために泥臭く努力していた時期があったんですね!でも新卒で入った会社を転職しようと思ったのは何でですか?
もっと成長スピードが速いところで自分を追い込んでチャレンジしたい、成果を出している人を評価してくれる環境で、ポジションや事業の選択肢が多い会社に行きたいと思うようになったからです。なので、上場直後でスピード感のある、同じ人材業界の会社に転職を決めました。
―更なるキャリアアップを目指して転職した2社目のどのような仕事をして、思い出に残っていることはありますか?
入社して半年間は看護系の人材紹介、そのあと本社で介護系の営業とサービスの再立ち上げをやらせてもらいました。後半3年間は副社長の役員直下のチームで仕事をしていて、杉﨑と出会いました。
思い出に残っているのは「高いレベルの人たちの間で働かせてもらったこと」ですね。一緒にやっていた営業チームメンバーの5~6人だけで売上10億という大きな規模の仕事をさせてもらって、今振り返ってみても仕事が凄く楽しくて面白かった時代でした。当時のリーダーやマネージャーだった人たちは、今では僕と同じでベンチャー企業を経営していたり、上場している方もいます。
今思えば、強者ばかりが一堂に会してた創業期で、オールスター状態でしたね(笑)ひと時代を作って、そういう時代に居合わせたこと、レベルの高いメンバーと一緒に仕事ができたのはそのような部署に配置してくれた会社のお陰ですし、いい先輩たちに囲まれてビジネスを学べたのは僕にとって「貴重な財産」になりました!
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今回は代表佐川の、価値観を形成した学生時代から、ビジネスの根管となるアズライトを設立するまでの社会人経験をインタビューしました!
次回は、アズライト創業期からのエピソードをさらに詳しくお聞きしていきますので、Part2もぜひご覧ください✨
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