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生産技術の現場、経営判断の現場、そして起業。
ゴーレム代表・野村大輔は、もともと建設業とは違う分野からキャリアを始めました。
「大企業だと、重要な意思決定ができるのは50代になってから。それまで待てない、って思ったんです。」
現場と経営、両方を経験したからこそ見えた課題が、今の挑戦につながっています。
今回は、野村のキャリアの原点と、なぜ建設産業の構造改革に挑んでいるのかをインタビューしました。
目次
古い設備を延命し続ける現場からキャリアは始まった
現場経験を積まないと意思決定できない世界
技術戦略コンサルに転身するも、現場の限界は変わらず
「やるなら意思決定できる立場に」自然と起業へ
技術と経営を一緒に考えられる立場を作りたかった
若い段階から挑戦できる環境をつくりたい
古い設備を延命し続ける現場からキャリアは始まった
――キャリアの出発点はどこだったのですか?
野村:
最初はガラス工場で、古い方式の技術を改良して性能を高める仕事をしていました。
現場には新しい方式もあったんですが、僕が担当したのは古い方の技術。
めちゃくちゃ頑張ってました。
ただ、やっているうちに「本当は大胆に新方式に移行すべきでは。でも、自分が頑張れるほど、その判断が遅れてる?」と感じ始めました。
現場で見えている課題があっても、経営の判断で大きな方向転換はなかなかできない。
この時から、そういう違和感を持ち続けていましたね。
現場経験を積まないと意思決定できない世界
――そのズレに、どんな課題を感じていたのでしょうか?
野村:
大企業って、重要な意思決定ができるのは役員クラスになってからなんです。
だいたい50代くらいにならないと、そういうポジションには届かない。
若手や中堅の立場だと、「ここ変えたほうがいいのに」と思っても、根本的な大きな変更はできないんですよね。
「自分が正しいと思うことでも動かせない」って、すごくもどかしかったです。
技術戦略コンサルに転身するも、現場の限界は変わらず
――最初から起業を考えていたわけではなかったんですよね?
野村:
全然違います(笑)。
技術戦略コンサルに転職して、経営判断のサポートをする立場になりました。
現場の声を経営に届けられるかもしれない、って思ったんですよね。
でも実際やってみると、コンサルって提言しかできないんです。
「こうした方がいいですよ」って言えても、それを実行するのは依頼する会社。僕自身が変えるわけじゃない。
「言うだけじゃなくて、自分でやらなきゃ何も変わらないな」って、そこでまたモヤモヤしました。
「やるなら意思決定できる立場に」自然と起業へ
――起業を決断したきっかけは何だったのでしょうか?
野村:
現場でもコンサルでも、「誰が最終的に決めるのか?」っていう壁に突き当たりました。
自分が信じる方向に進みたいなら、最終的に決める人にならないとダメだ、って思ったんです。
起業志向が強かったわけじゃないんですよ。
でも、「やりたいことを実現するためには自分でやるしかないな」って。
それで起業を選びました。
技術と経営を一緒に考えられる立場を作りたかった
――今振り返ると、起業の動機はどこにあったと感じますか?
野村:
やっぱり現場の技術と経営判断の両方をつなぐ仕組みを作りたかったんだと思います。
現場だけだと経営の視点に届かないし、経営だけだと現場のリアルがわからない。
だから両方を自分の中で持って、意思決定できる立場になろうと思ったんです。
今ゴーレムでやっている「構造の整理」も、まさにその考え方から来ています。
知識や判断基準を構造化すれば、誰でも適切に意思決定できる世界を作れるんじゃないか、と。
若い段階から挑戦できる環境をつくりたい
――改めて、キャリアの原点が今のゴーレムの取り組みにつながっているのですね。
野村:
日本って、「経験がある人にしかできない仕事」が多いんです。
でも、知識をデータ化して構造化できれば、若い段階からでも挑戦できる仕事が増えていくと思っています。
今は逆に、本当はもっと仕事を覚えたい若手が、働き方改革で業務を制限されてしまっていて、
そのしわ寄せで管理職が疲弊している──そんな構造もおかしいと感じています。
現場で「このままじゃもたないかもしれない」と思った違和感。
それが今の挑戦の出発点なんです。
現場での違和感から始まり、「やるなら自分で意思決定できる立場に」と自然にたどり着いた起業という選択。 これからも、ゴーレムを動かす人や背景にあるストーリーを発信していきます。
ぜひ続く記事もお楽しみに!