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代表が語る【Dental Happy創業ストーリー】


26歳でベンチャー企業の専務取締役としてイキがっていた私、ある時を境として会社経営が悪化してゆく中、勢いだけが取り柄の若者達で構成された組織には、改善させる術もなく経営困難となった会社は、最終的に解散(倒産)という選択を取ることとなった。

当時私が経営に参画していたベンチャー企業は、クライアントとの契約が複数年契約であるにも関わらず、全て前払いでサービス提供料を頂く仕組みをとっていた。そのため、会社の倒産=全てを放棄する という訳には行かず、既契約のクライアントへ謝罪に回る日々。会社からの収入はなくなり、キャッシュも底をつく。今のように副職が一般的ではなかった当時、人としての責任を果たすためには、新たな会社に再就職をし、リスタートを切るという選択肢は私にはなかった。

すなわち自ら起業し、自由に動ける時間を確保する以外に、クライアントへの責務を果たすことができなかったのだ。リーマンショックが世の中を騒がせる混沌とした2008年秋のことである。

『一体自分に何ができるのだろう?』

何もかもを失った私の脳裏には、『事業は人を幸せにするために在るべきで、誰かを不幸にする事業であれば例えどんなに儲かったとしても存在すべきではない』という失敗から得た教訓。

きっと幸せは人の幸せの上に在るもので、誰かを踏みにじって得た幸せはとても脆く、すぐに消えてしまうだけではなく、不幸として自分に襲いかかってくるという強い確信にも似た思いがあった。

『自分は誰を幸せにすることができるのだろうか?』

それまでの私は医療業界でのインターネット事業をメインに携わる機会が多く、中でも歯科医院経営者のクライアントがたくさんいた。彼らの多くが人材採用で長年困っていた。今のようにどの業界もが人材難で頭を抱える時代ではなく、歯科業界が他業界とは不釣り合いな程に長年人材難で悩んでいたので在る。

働き手となる求職者さえ見つかれば、必ずビジネスとして成立する。

悩みの種(採用)を解決することによって、お代を頂く。以前のように先にお代を頂くのではなく、成功報酬として対価を頂く人材紹介業は私にとっては、とても誠実なビジネスモデルに感じられた。また人材紹介業であれば設備投資も在庫リスクもなく、何もない私にもチャンスが在るように見えた。

大手が手を出さないであろう小さな領域で事業運営していれば、生まれたての赤子のような企業でも長らえることができるだろう。ニッチ産業とも言える歯科業界のさらにニッチな歯科衛生士という職種に絞り人材紹介業を始めることを決めた。

当時同じようなことをしている同業他社は日本でたった2社しかなかったと記憶している。

戦うドメインも決まり、いざスタートすることになるのだが大きな問題にぶち当たる、私はそれまで唯一人として歯科衛生士の知人・友人がいなかったである。

ジャングルの中を搔き分けるような日々、しかし何とも言えぬ高揚感。きっと未来は明るいと強く信じていた。

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