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※ 本ストーリーは、第1章の続編になります。
中小ビルの『リノベ』を中心に、独自の発想で会社を成長させてきた河内道生CEO率いる株式会社ノットコーポレーション。第1章では、成長のカギと言える独自の発想や視点、大切にしている価値観、ゼロから道を切り拓いてきた実際などをご紹介しました。
第2章では、河内代表が起業を決めた理由や20代の頃にどのようなことを考え、何を行なって起業に至ったのかなど、生き方、あり方そのものを掘り下げて語っていただきます。
建築やインテリアデザイン、内装の仕事へ関心のある方や転職を考えている方だけでなく、新たな気づきを欲している方、「カッコイイ生き方」に憧れている方にもオススメです。ノットコーポレーション、面白い会社ですよ。
25歳で独立を宣言。その道の職人からはじめた代表のキャリアの道のりとは。
Q)河内代表ご自身について伺いたいのですが、起業のきっかけや背景について教えていただけますか。
河内:はい。僕が起業したのは25歳の時、のちに起業するザ・ガッツの職人が行なっているような内装化粧フィルムやグラフィックシートの貼り施工職人の会社をつくったのが始まりです。
僕は、子どもの頃からリーダーシップを取っていました。なぜか幼稚園の時に二人の子分がいたり(笑)、小学生の頃、当時流行っていた映画を観て、自分でカンフーの巻物を書いて弟子的な小学生が4人いたり(笑)、自分で高校生のときにバンドを組んでそのリーダーになったりして、何かを自分でつくって仲間を呼びあつめるみたいなことをやっていたんですね。
高校を卒業して働き始めたのですが、まわりの人を観ていたら、みんな一生懸命働いているのだけれど、何か悶々としている印象を持ってたんですね。20歳の時のことなんですけど、自分が突破口を開いたら友達や仲間たちみんなの未来が変わるかもしれないと思ったんです。それで、「突破口を開こう、誰よりも一番最初に自分でやったろう!」と思い、それから5年後の25歳の時に有言実行で起業しました。
言葉にするとちょっと恥ずかしいのですが、起業のきっかけは、『みんなの未来への突破口をつくろう』という僕自身の想いなんです。
Q)内装デザインや施工の会社を起業したのは、どんな背景があったからなんでしょうか。
河内:高校卒業後、2回目の就職先が内装の仕上げを行う会社で、その影響が大きいですね。
最初に就職したのはホテルだったのですが、「日本一のホテルマンになってやる!」と思って就職したものの、退職する結果になり、そこから何の仕事をしたらいいのかわからへん時に、父が新聞のチラシで見つけた求人情報がたまたま内装の会社でした。営業志望で面接を受けたところ、ホテルで働いた経験が効いたのか瞬間で採用になったんですよね(笑)。
入社して、内装現場をまわり、それから営業に行くという研修を2週間くらい経験したあと、社長に呼び出され、なぜだかわかりませんが「河内くん、現場が合うようやから現場に行ってくれ」と言われたんです。正直な話、僕としては「えっ?現場ってナニ?」状態だったのですが、現場でいろんな仕事をしてみると、すごくやりがいがあり、楽しいと思ったんですよね。
内装の仕上げの仕事は、当時は特殊だったということもあり、初めて手がけた仕事が新聞に載りまして、そのこと自体もとても面白い・やりがいでもあると感じましたね。1日2日で終わる仕事が多く、いろいろな仕事を数をこなしていけるのも楽しかったですね。当時の僕のデートコースは、僕が仕事をしたところを見に行くというもので「あれ俺がやってん」と彼女に紹介するのが一つのモチベーションでもありました(笑)。
ただ、仕事はものすごく忙しくて、今では即アウトですが、当時は徹夜も普通にありました。まわりを見渡すと、友達は遊びに行ったり、コンパをしたりと楽しんでいるのに、自分は夜遅くまで仕事をしていて、コンパに行ったらすでに終わっていたという経験もありました。そんなこともあり、19歳の頃の僕としては仕事より遊びたい気持ちが勝り、当時勤めていたその内装の会社を辞めてしまったんです。
Q)内装会社を辞めて起業に至るまでにどのような経緯があったか教えていただけますか。
河内:今、お話をした内装の会社を辞めたあと、まだ固まっていないコンクリート、いわゆる生コンを車で運ぶ仕事とか、友達や先輩がやっていた仕事を僕もしていたという感じでしたね。
結構羽振りが良くて、後輩に奢ったり、車にお金をかけたり、彼女にプレゼントしたりしていて、気づくとお金が全然残っていない。。。内装施工の仕事をしていた時は、自分が携わった仕事が形として残り、彼女に自慢していたのですが、会社を辞めてからは仕事も形として残っていなかった。。。「みんなの突破口をつくろう!」と思い行動した20歳の時を思い出し、「僕には今、何も残っていないんだ」ってハッとしたわけです。
前職の仕事が楽しかったことを思い出し、大阪で一番上手い親方のところに修行に行きました。その時に、最初に僕が親方に言って約束したのは「僕は25歳で独立したいから、これからの5年間、時間とお金のことは一切文句を言えへんから雇って欲しい」ということでした。親方のもとで5年間修行をし、実際に25歳の時に独立させてもらい、起業して、職人として自分で仕事を始めたんです。
そのような経緯なので、僕は学校で建築やデザインを学んだわけではなく、すべて人とのご縁と現場でのOJT(オンザジョブトレーニング)で習得したスキルです。
ただ、今思い返せば、昔からいろいろなカッティングや表装、服、ゼロから何かを作ることが好きでした。服も、その時のトレンドを考えながら、今あるものをどうやって衣替えするのかという発想で楽しんでいて、そういう僕の特性が今の仕事に活きているのかもしれませんね。
職人として起業したわけですが、25歳当時から、実は『最終的には建物をつくる仕事をする』と思ってもいたんですよね。
Q)25歳で起業してから、どのようにして仕事を獲得していったのでしょうか。
河内:自分で営業をして開拓してきました。
言葉にすると恥ずかしいのですが、自分でかっこいいなと思うのは、親方のお客さんには一切営業しなかったことです。正直なところ営業の仕方を教わったことがなかったし、どうやったら良いのか当時はわかりませんでしたが、自分なりに考えて、サンプルを持参してゼネコンをはじめ、いろいろなところに飛び込みで営業をして開拓してきました。今振り返ると、かなり泥臭かったですね。
Q)職人として起業して、その後、仕事の幅を現在のように拡げていったのは何か理由があったのでしょうか。
河内:25歳から職人として独り立ちして、29歳の時に店舗の仕事もやっていこうと思ったのですが、どうやって営業したら良いのかわからないなりに必死で考えて思いついたのがフランチャイズへの営業だったんです。フランチャイズの本部に営業に行けば、出店計画があるだろうから、そこに入ったら勝手に仕事が来るんじゃないかと考えたわけです。
実際は、そう簡単にはいかないものなんですけどね(笑)。ただ、結果として当時はパチンコ屋さんのバブルで、ありがたいことに僕もパチンコ屋さんの内装施工の仕事をいただき、とても儲けさせていただきました。
僕には修行時代から、そして起業してからもずっと持ち続けている強いポリシーがあります。それは『良い商品を使うということと、お客さんのことを思って仕事をするということ』です。
ところがパチンコ屋さんの仕事をしていくなかで、良い商品とサービスを提供することよりも、例えば、ペンキで良い場所にも5倍くらい高いシートを使うといったように、お客さんにお金を使わせることを主軸した仕事の仕方をする人たちがいて、それもビジネスとしてはあるのかもしれませんが、綺麗事ではなく、僕はそういう仕事の仕方に違和感を覚えました。そのような経験があり、僕の中で『お客さんに寄り添って仕事をしたい、本当にお客さんの役に立つようなお店をつくりたい』という思いがどんどん強くなってきたんです。
お客さんのことを思い、お客さんに寄り添った仕事をするためには自分でデザインをする必要があるなと思って、30歳の頃にデザイナーを募集して、施工会社から、企画・設計・デザインから施工まで行う会社へと切り替え始めたんです。
Q)なるほど、領域を拡大されている背景には、そういう経緯があったんですね。
河内:そうなんです。起業して約10年間くらい職人と店舗の仕事で実績を積み、その後、今に繋がるリノベーションやリモデルの仕事へと拡げていきました。
1つ私の中で、印象的な案件のお話があります。あるご縁があってマンションの外観とエントランスの改修のお仕事に出会ったのですが、弊社とリフォーム屋さんと工務店の3社に声をかけていたようで、要するに競合コンペだったんです。実は当時、コンペとなっていたものの、マンションは初めての経験で、それ以前にやったことがありませんでした。
実際に話を伺うと、2年間2部屋がずっと空いていた状況だったんですね。どうせ外観を綺麗にするのなら、空室が埋まることが本当にお客さんの役に立つことだと思い、まずは立地を調べてみるとマンションの近くに女子大がありました。そこで僕は、女子大生が住みたいと思う建物にした方が良いと思ったわけです。
具体的には、エントランスにティアラを施したり、美容室っぽい入り口にしたりといったデザインを入れてパースに書き、「空室を埋めるために女子大生に響くような改修をしましょう」と提案しました。
その時の競合だったリフォーム屋さんや工務店はタイルを持って行って「こんなんどうですか?」といった感じの進め方と全体を改修したらいくらみたいな見積りを提案していたようです。
僕の場合は、リフォームが必要なところだけを選んで見積りをしたので、全体を改修するより安く、そのうえ魅力的だったということで、結果的に実績はなかったものの、アイディアで弊社を選んでいただいたというわけです。
さらに、改修工事と合わせて、ティアラをはじめ、物件の個性をプロのカメラマンに撮影してもらい、住宅情報誌にも掲載してもらったんです。その結果、改修が終わって、外壁の足場を外した瞬間に電話が鳴って、2年間埋まらなかった2部屋の契約が即決まりました。
そのような実績があり、マンションの外観やエントランスの改修、僕はリモデルだと考えているのですが、「これって結果がついてくる、結果を生み出す仕事で面白いな」と思ったわけです。お客様に寄り添い、お客様が抱えている課題を期待値を超えた結果で解決することができる。僕自身、そのような仕事がしたいと思ってやってきましたし、大切にしている僕自身の価値観でしたので、これをビジネスにしようと考え、賃貸マンションやビルのオーナーさんへの営業活動を始め、事業の幅を拡げていきました。
寄り添い、期待値を超える感動を提供するシゴト。ノットコーポレーションが提供する価値と、その先にある『街の価値を高めるこれからのビジョン』とは。
Q)営業の仕方も物件の置かれている状況を分析する。いわゆるマーケティング的な発想も、誰から教えてもらったわけではなく、河内代表が自分でたどり着いたことだと思うのですが、そのような道を辿っていらした河内代表はどのような価値観を大事にしているのでしょうか。
河内:営業の仕方がわからなかったため、自分で飛び込み営業したり、まったく初めての企業さんに企画を持ち込んだりしたのであって、あのやり方はその時代だからこそで、今の時代には合っていないと思います。でも、その経験があるからこそ今の僕があるのも事実なんですよね。
価値観というか、大事にしていることはやはりお客さんに寄り添うことですし、同時に、お客さんが気づいていないことに、気づいていただくのが僕の仕事だと思っています。だから『サプライズ』っていう考え方が好きなんですよ。
お客さんがご存知のことだけを行うと、お客さんの言いなりになってしまいかねませんし、それはお客さんからしたらサプライズがない仕事になってしまいます。もちろん言われたことを丁寧に行うことで課題を解決できれば良いのですが、そうでない場合も多い。お客さんにとって本当に必要なことは何なのかを考え、提案することが、お客さんの気づいていない必要なこと、課題解決策を提示することであり、そうすることがお客さんに寄り添うことだと僕は考えています。
お客さんの知らないことを提案し、それがお客さんにとって本当によかったら、商品やサービスを購入し、満足しますよね。そこはマーケティングの考え方なのかもしれませんが、そういう発想を大切にして仕事をしています。
そのようにお客さんに寄り添い、気づかれていないことを提案してお客さんの課題を解決する。言い換えれば、お客さんの期待値を超えて感動を提供することが僕にとっては一番重要で、僕の価値観と言えるかもしれません。
Q)『期待値を超えること』が重要だと思うようになったきっかけはあるのですか。
河内:そうですね、小学生の頃から僕は手品が好きなのですが、それは人を驚かせ、喜ばせたいという思いがあるんですよね。
もちろん手品はネタがあるのですが、ネタがバレないように一生懸命練習して人を驚かせる。手品を観ている人たちは、とても良いリアクションをしますよね。そういうのがすごく素敵だと子どもの頃から思っていました。きっかけと言えるかどうかわかりませんが、期待値を超える素晴らしさを手品を通じて子どもの頃から感じていたのかもしれませんね。
例えば、汚い木でできたカウンターが僕たちの施工で一瞬のうちに大理石に変わるんです。初めてこの仕事をした時に、まるで「魔法を見てるみたいやな!」と僕は思いました。今あるものを一瞬で変えられる。もちろん一瞬というのは例えですが、僕たちの仕事はそういう仕事で、かっこいい仕事だなって常に思っています。この感覚はこの仕事を始めてから今まで、ずっと変わらないですし、僕にとってはとても大切なことで、大事にしている価値観です。
Q)ノットコーポレーションを立ち上げた当初、どのような想いを抱いていましたか。
河内:ノットコーポレーションのノットのスペルはknotで、結び目や絆という意味があります。人との関わりによって僕は成り立っていると思っているので、創業当初は職人さんやいろいろな仲間がいるという考え方から始まった名前です。
今でもknotを大事にして、会社の仲間やいろいろなパートナー企業さん、お客さんをはじめ、いろいろなつながりを持ってやっていきたいと思っています。
起業当初からモットーにしているのは、お客さんを好きになって、正しく仕事をするということです。僕自身は、お客さんに寄り添い、お客さんのお役に立てる仕事がしたいと本気で思っているからか、仕事をさせていただくお客様のことを自然と好きになっています。「この人のために頑張ろう!」と思うんですよね。ノットコーポレーションの仲間たちも、そしてザ・ ガッツの仲間も、そのような心根を持っている仲間が集まってきてくれて、本当にありがたいと思っています。
Q)最後に、今の段階でノットコーポレーションを通じて『実現させていきたい社会』や『思い描いている未来』がどこにあるのか聞かせていただけますか。
河内:現在注力しているビルやマンションの仕事から大きく拡げていき、ビルやマンションを含む環境、まちを変えていく仕事、まちづくりの仕事ができたら楽しいなと思っています。
僕たちで行なっているビルやマンションの価値向上、付加価値づくりの提案は、オーナーさんの収益アップ、ビルやマンションの賃料を上げることにつながる仕事です。そこにはもちろん今まで通り、全力で貢献していきますが、同時に、ビルだけでなく、まちが潤っていかなければならないとも考えていて。まちが潤うことに貢献できる仕事をしていきたいと思っています。
僕たちが手がけたビルがまちの景色や人の流れを変たり、生み出したりして、まちの価値づくりへも貢献していく。たどり着くのかはわかりませんが、それぞれのビルのリモデルから領域を拡げていき、良質の世界をつくっていきたい、それくらいの気持ちでやっています。