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創業者インタビューvol.2|個性×夢中 10人の島のようなオモシロい組織を

ヒダカラ創業者一人で取締役の舩坂 香菜子(ふなさか かなこ)にこれまでの経験やヒダカラ誕生の経緯、移住してきた飛騨について、大切にしている価値観などを聞いてみました。


舩坂 香菜子 (ふなさか かなこ)
奈良県奈良市で生まれ育ち高校を卒業後は京都大学に進学。大学卒業後は『地方を元気に』というミッションに共感し、楽天株式会社に入社。
東京⇒福岡⇒鹿児島⇒京都⇒兵庫⇒東京と転勤を重ねキャリアを積んだ後、夫である舩坂康祐のUターンを機に飛騨高山に移住。
楽天社員として飛騨市役所に出向し、2年間でふるさと納税を3.5億円から11億円の増加に導く他、関係人口、地域のネット通販支援の新規事業の立ち上げに従事。
2020年に舩坂康祐とヒダカラを起業。2児の母。
Facebook:舩坂香菜子
Twitter:@kanako_hidakara

目次

  1. 仕事の出来なさに絶望した1年目
  2. 実績と自信が付いた鹿児島支社での経験
  3. 楽天退社のつもりが飛騨市役所へ出向
  4. ふるさと納税を3.5億円から11億円へ
  5. ヒダカラの原点となる地域のタカラモノ
  6. 夫婦2人で起業した理由
  7. 目指しているのは無人島でも価値を発揮できるチーム

仕事の出来なさに絶望した1年目

ーー まず簡単にかなこさんの生い立ちから聞かせてください!

かなこ:奈良県奈良市で3人兄妹の末っ子として生まれました。
小さい頃から1人で妄想して遊ぶことが好きで、どうしたら鏡の世界に入れるんだろう?と真剣に鏡を覗きんだりしているような不思議な子でした(笑)
高校までは地元の学校に通い、大学は実家から通える国公立という選択肢しか私には無かったので京大の教育学部一本に絞って猛勉強し、その甲斐あって無事合格しました。
トントン拍子に見えるのですが、実は中学時代は勉強も部活もぜず、髪も染めて遊び回っていたような時期もあって、、尊敬する先生のおかげで更生できてよかったです(笑)
大学時代は面白い人たちに囲まれて色んなことに興味を持つようになり、サークルに入ったり海外に行ったり、バイトも5こ掛け持ちしたりと忙しくもとても楽しく過ごしていました。
大学卒業後は楽天株式会社(以下、楽天)に入社し全国各地を回り、2018年から夫のUターンを機に飛騨に移住してきました。

ーー 教育学部ということは先生になることも考えていたんですか?

かなこ:そう考えていた時期もありました。ですが在学中に色んなことを経験をする中で、学校という世界しか知らないのにそのまままた学校に入ったら、視野が狭くなるのではないだろうか?と思うようになりました。周りには大学院に進む友人も多くいたのですが、私にはそれほど学びたい何かがあったわけでもなかったので、企業に就職をすることにしたんです。

ーー 就活の際はどのような軸で会社を見ていたんですか?

かなこ:大きく2つあって

・無形のものから価値を生み出せる仕事
・企画力やアイデアが活かせる仕事

こんな感じでIT系や人材系を中心に選考を受けていました。
最終的に楽天に決めたきっかけは、『地方を元気に!日本を元気に!』というミッションに惹かれたことと、自由で、個性を伸ばしてくれる雰囲気に惹かれ、「ここにしよう!」と決めました。

ーー 入社後はどんな仕事をしていたんですか?

かなこ:入社後はECコンサルタントとして楽天市場に出店している事業者さんをサポートする仕事からキャリアをスタートさせました。
新人研修を終えると福岡支社に配属となり、すぐに自分の担当を持ちました。
そこで気づいたのですが、びっくりするくらい私は仕事ができなくて!
サボっていて結果が出ないとかじゃなく、7時に出社して夜12時まで残業して、また翌朝7時出社する、、こんな感じで頑張っているのに一向に結果が出ない、売り上げが伸びない、という状態でした。

実績と自信が付いた鹿児島支社での経験

ーー かなこさんにもそんな時代があったなんて、、

かなこ:もうどん底でしたよ!最初の1年はことごとく自分に絶望していました。
そんな私を上司が気にかけてくれたのか、2年目は出来たばかりの小さな組織だった鹿児島支社に転勤になったんです。


鹿児島支社のメンバーと

転勤してすぐにオープンしたばかりの宮崎牛の事業者さんを譲ってもらい、急いでアポを取って鹿児島から宮崎まで片道2時間かけて会いに行きました。そうしたらとてもやる気のある事業者さんで、「年末1000万目指しましょう!」と目標を共有し、そこから試行錯誤しながら伴走した結果、初年度で1億円以上の売り上げになったんです!
ただ一方で、年末に予定以上に売れたことによって、事業者さんが毎日遅くまで出荷作業に追われ、疲弊している姿を見て、衝撃を受けたんです。ECコンサルタントとして、事業者さんが事業者さんらしく、楽しく伸ばしていけるような提案や伴走姿勢が必要であることもこの時に学びました。
反省も大きかったのですが、初めての成功体験は私に自信を与えてくれました。そこから売上を一緒に上げる醍醐味を知り、全国的にも有名なお店を担当させてもらったり、育成の担当をしたり、全国の横断チームで全社的なイベントの企画をしたり、どんどん重要な仕事を任せてもらえるようになりました。


絶望感でいっぱいだった1年目の福岡時代が嘘のように、鹿児島支社では毎日夢中で働いていました!エリアの出店店舗さんに向けた勉強会も開催し、新卒3年目にして100社を集めるような会もやっていました。
2年半働いたあと、次の支社に転勤が決まった際には自分で送別会を開いちゃったんですが、事業者さんが20人以上も集まってくれて、本当に嬉しかったですね。10人以下の組織でそれぞれの個人の強みを活かしてチーム全体の成果を出していくという経験も、大きな糧になりました。


楽天退社のつもりが飛騨市役所へ出向

ーー 鹿児島への転勤がとても大きな転機だったんですね!その後はどんな働き方だったんですか?

その後は京都、神戸と転勤を重ねて、一人目を出産します。
神戸支社に配属になったころには年上の部下なんかもいて、常にチームがより良い成果を出すための仕組み作りや、組織全体へのメッセージの出し方を考えて動いていました。その頃は若さ全開で、メンバーに求めるレベルも高く、当時一緒にやってた人たちは怖かったんじゃないかなと、今は反省しています。。でもそんな私を上司が評価してくれて、産休に入る1週間前にも関わらず、マネージャーに昇進させてもらったんです。


楽天の上位100店舗様ほどが参加する海外研修"SOYTRIP"同行にも抜擢


海外研修"SOYTRIP"の様子

育休から復帰すると同時に本社に戻り、ファッションの2~3ジャンルを管理職として担当させてもらいました。そのころ、同じ部署で子供がいる女性マネージャーは私だけだったんです。ママさん自体が珍しかったですね。

それでも、『子供がいるから、女性だから』、という理由でチャンスが与えられないなんてことはなく平等な価値観はあったのですが、その代わりにゴリゴリ働く体育会系の同僚と同じことを求められたので、「帰宅後だけでも、この仕事を誰かやってくれないかな、、」なんて思うことは何度もありました。でも周りにお助け信号を出せるような環境ではなく、1年くらいそんな状況で色々と背負いこみながら働いていました。

ーー 退職して飛騨に来ようと思っていたのはこの頃ですか?

かなこ:そうですね、ちょうど2人目を出産した時だったので、そのタイミングで夫の地元である飛騨に移住することを決めて、年度末付けで退職届を出しました。そのまま退職するはずだったんですが、退職まであと1ヶ月半という頃に楽天の地域活性部の部長から突然お声がかかったんです。
それが"楽天社員として飛騨市役所に出向しないか” というオファーで。
その話を聞いた2週間後には楽天の役員が飛騨市にやってきて、都竹市長と話が進み、トントン拍子で楽天に残りなが飛騨市役所へ出向することが決まりました。


飛騨市長(右)と楽天創業メンバーの一人小林正忠さん(左)に囲まれて

ーー すごい面白い展開ですね!楽天にそんな制度があったなんて知りませんでした。

かなこ:新しい取り組みで、実験的に私が第1号でした(笑)
正直、一番最初にこのオファーをいただいたときは断ろうと思っていたんです。
大きな組織で働くことに少し飽きてしまっていた私は、このタイミングで心機一転、何か自分でやろうと決めていました。そんな気持ちが変わったのは、飛騨市の都竹市長に会ってからです。お話の引き出しが豊富で、どんどん面白いことをやっていこうというポジティブなエネルギーを感じる方でした。
こんな方の近くで働けるのは絶対面白いだろうなと思ったことと、2年間という期限付きの出向だったので、それなら期間中に思う存分チャレンジできるなと思いました。夫も応援してくれたこともあり、楽天社員として飛騨市役所に出向することを決めました。


楽天本社での送別会

ふるさと納税を3.5億円から11億円へ

ーー 飛騨市役所ではどんな仕事をしていたんですか?

かなこ:主に飛騨市のふるさと納税寄附額を増やすための戦略立案をしつつ、手を動かして運営もしていました。1から10まで全部やる仕事だったので、大きな組織の一部で働いてたこととは真逆で、それがとっても面白かったです。画像制作なんかも初めてのことだったんですが、見様見真似で自分でやっていましたね。ふるさと納税はある意味ネットショップと似ているところがあり、今まで楽天の店舗さんたちと一緒にやってきたノウハウが存分に活かせました。


飛騨市役所で実施した最初の事業者さん向け勉強会

当時3.5億円をまず5億円にしてほしい、という高いミッションを言い渡されたのですが、まずは現地の事業者さんたちの『自社の売上を上げたい』という気持ちを引き出すことから始めなければと感じました。そのために、着任してすぐに勉強会を企画したんです。
当時ふるさと納税に登録していたのは40社だったにもかかわらず、約60名もの事業者さんが足を運んでくれて、飛騨のポテンシャルの高さと手応えを感じました。

そこから事業者さんと一緒に寄附額を伸ばすための施策を絶え間なく行っていましたね。そんな中で主体的に関わってくださる方が増え、事業者さんがいろいろなキャンペーンに参加してくれたりアイデアを出してくれるようになりました。結果として飛騨市へのふるさと納税寄附金額は、出向していた2年の間で3.5億円から11億円へと大きく増えました。また、ふるさと納税から派生し、飛騨市のネットショップ倶楽部や関係人口プロジェクトを立ち上げ、2年目は3つの事業をやらせていただきました。


関係人口プロジェクトの合宿

ヒダカラの原点となる地域のタカラモノ

ーー すごい大きな成果ですね!何かヒダカラの原点となるような出来事はあったんですか?

かなこ:一番大きいのは、飛騨牛などの有名なものだけでない、地域のタカラモノがこんなに眠っていたんだ、と気付いたことですね!それを見つけることが毎日本当に楽しいんです!気になるものを見つけては、お電話したりお会いしたりしてどんどん飛騨の良いものを発掘していきました。
でも、本当に美味しいものや素敵なものに限って、あまり量が作られていなかったり、宣伝が上手く出来ていなくて売れていなかったりする現状も見てきたので、ECのノウハウでもっともっと地域の良さを伝えていきたいという気持ちが強くなる日々でした。

もう一つ、大きな出来事は、鮎釣り名人の室田正さんとの出会いですね。着任して2ヶ月で出会ったんですが、室田さんのコテコテの関西弁と鮎に対するあまりの情熱に「こんな伝説のおっちゃんが移住するほど惚れ込んだ、飛騨の鮎ってすごすぎる。」と衝撃を受け、一瞬で魅了されました。


鮎釣り界のレジェンド・室田正氏

ーー 室田さんと出会ってどんなことがあったんですか?

かなこ:室田さんは鮎釣り界のレジェンドと呼ばれるすごい人で、飛騨の鮎のすばらしさを全国に届けたいと燃えていて、もっとそれをサポートしてほしいと強く思っていらっしゃったんです。
室田さんの話を聞いて、こんな熱い想いがある人がいて、素晴らしい地域資源があるのにすごくもったいない!これは何とかしなくては!と思いました。


室田名人宅で釣り仲間と

それから1年ほど経った時に、「室田名人と一緒に鮎が釣れる」という体験をふるさと納税の返礼品として出してみたところ、申し込みが来たんですよ!
それだけでなく、全国メディアからも取材の問い合わせを数件いただいて!
これはすごく嬉しかったですね。数字は関係なく、ただただ飛騨を盛り上げたいという気持ちで取り組んでいたのですが、こういった枠に囚われない仕事を、直観を信じてもっともっとやっていきたいなと強く感じました。
私にとって、この出来事がヒダカラという会社を作ろうと思った原体験ですね。

ーー その後、ヒダカラとして鮎はどうなったんですか?

かなこ:その頃は興奮冷めやらず(笑)、家でもいつも「飛騨の鮎すごいらしいよ。めちゃくちゃ魅力的な名人がいるんだよ!」と夫に話していたところ「それ、会社の事業として可能性あるんじゃない?」と言ってくれて、それがきっかけで「じゃあ本気でやってみますか!」という流れになったんです。


豊洲市場に飛騨の鮎を卸すために

知り合いから魚の卸に詳しい方を紹介してもらい、実際に豊洲に行って交渉したところ、反応はまずまず。そのまま何社かが飛騨の鮎を取り扱ってくれることになり、「飛騨のあばれ鮎」としてヒダカラから豊洲に卸す人脈ができました。一方で、豊洲までの物流ルートを確保するのはとても大変だったのですが、何とか飛騨~豊洲という大変な距離を繋ぐルートを開拓できて、今では東京や京都の高級料亭で使ってもらえるようにまでなりました。


室田名人とヒダカラオフィスの前で

夫婦2人で起業した理由

ーー 想い入れがあった鮎のプロジェクトをこんな風に形にできるなんてすごいです。もともと夫婦で起業しようと思っていたんですか?

かなこ:楽天を退社する3年ほど前から「会社を作りたいな」と、実は個人的に思っていました。
最後にいたファッションの部署では最大3ジャンルを担当させてもらえたので、多様なメンバーと働くことは楽しい反面、プレイヤーとしての自分に物足りなさも感じ始めました。そんな中で自分のやりたいことは何だろう、と向き合っていくうちに、みんなが個性を活かして夢中に働ける10人くらいの会社を作れたら毎日ワクワクするんじゃないかというイメージができてきたんです。


5人で始めたヒダカラ創業初期

ヒダカラの起業に関して言うと、夫婦で起業がしたかったというわけではなく、ビジネスパートナーとしてめっちゃ最適の人が隣にいるやん!という感じです(笑)
夫は楽天の同期なのでそこで培ったベースとなるスキル、マインドや価値観を同じレベルで持っていて、だからこそスピーディにインパクトある仕事が一緒にできているんだと思います。
それに2人の得意分野が違うこともパートナーとしていいですね。
突飛なアイデアを考えたり直観的に行動していくのが私で、戦略を練ってメンバーを巻き込みながら整えてくれるのが夫、という感じですかね。同僚にも、二人のバランスがすごくいいし、珍しいタイプの夫婦経営だとよく言われます(笑)


夫でありビジネスパートナーのこうすけさんと

ーー ヒダカラだからできることや目指していることは何ですか?

かなこ:ヒダカラの強みは幅広い地域の方や事業者さんとの信頼関係だと思っています。そのおかげで、様々な場面で頼っていただき、息つく間もなく創業から今までずっと全速力で駆け抜けている、という感じです。

そんな中で2020年の年末に夫といっしょに考えた、【”おいしい”と”オモシロい”未来を創る 】というヒダカラのミッション、けっこう気に入っているんです。


ヒダカラでは実際に自分たちで食べて本当においしいと思ったものがあれば、事業者さんのところに伺い、『あなたの商品に惚れ込んだから仕入れたいです!』とお願いをしにいきます。そういった現場で『今までそんなこと言われたこともない。この何十年でやっと日の目を見た。』と驚かれることが多いんですよね。当たり前すぎて自社の商品の魅力に気づいてない方も多いですし、そんな時に「こんなにおいしくて、本当にいいものなのに、伝えきれていなくてもったいない!」と感じます。
これを放っておいたら、せっかくいいものがあるのにいつかは廃業してしまうお店もどんどん出てくるのではないかと思うんです。
だから、おいしいもの、素晴らしいものの価値をちゃんと届けることができる会社にしていきたいと思っています。


朝市で『顔は悪いが味はいい』りんごを元気に売る方

”オモシロい”については、本当においしいものを造る事業者さんが事業を続けられたら、それが飛騨の個性となって魅力的な町になると思うんです。
一つ一つは小さくても、重なり合って色んなエネルギーになって”オモシロい”未来ができるんじゃないかなって思っていて、私たちが手伝うことでそれが実現できたら最高だろうなと妄想を膨らませています。


廃業予定だった白川村の深山豆富店を立てなおす新規事業

目指しているのは無人島でも価値を発揮できるチーム

ーー そんな未来、楽しみすぎますね!かなこさんはヒダカラを経営する上でどんなことを大切にしているんですか?

かなこ:イメージしている舞台は無人島です。
現実にはあり得ないんですが、無人島に流れ着いたとしても、ヒダカラのみんなが集まって知恵を出せばなんとかなる!何も持っていなくても、そこにあるものから価値を見出せる!そんな集団でありたいと思っています。
得意なことも不得意なことも、興味も感心もみんなそれぞれ違うからこそ、それを尊重しながら面白いチームとなり、新しい価値が生み出せる会社にしたいですね。
私たち夫婦2人だけじゃできないことも、みんなでならできます。
ヒダカラのみんなが楽しそうに働いてる姿が一番嬉しいので、そうやって働いてもらえる会社にすることを大切にしています。

ーー 無人島って言葉がすごくかなこさんらしいです。最後にかなこさんご自身が大切にしている価値観を教えてください。

かなこ:自分にも他人にも言えることなんですが、やりたいことやその人らしいことをするのが一番いいと思っています。
なので、「やったことないから出来ないよね」とか、「これ出来るんだからやってよ!」と勝手に周りが判断するのではなく、本人が今やりたいことを尊重して、義務でも惰性でもなく健やかに挑戦できることを大切にしています。
ヒダカラは私にとって夢や挑戦したいことが湧き出て、どんどん膨らんでくる場所なんです。みんながいるから私自身、自分のやりたいことに挑戦できているし、だからこそ働いてくれているみんなにとってもそれぞれの好きなことや挑戦してみたいことを実現できる、そんな場所であってほしいと思っています!

ーー ヒダカラのプロジェクトは働いている人の個性が活きたものが多いと思っていましたが、その理由が分かった気がします!お話聞かせていただきありがとうございました!


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【インタビュー&執筆】
水邊慧子
Twitter:@satopeminako

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