正月明けの朝。
いつものようにスーツに着替え、会社へ向かおうとしていた時だった。
村田の中で、ふと何かが切れた。
「今日、言おう」
1年ほど前から、独立という選択肢は頭の中にあった。
このまま大手証券会社で働き続けるのか。
それとも、自分の力で金融アドバイザーとしての道を切り拓くのか。
考えていなかったわけではない。ただ、簡単に決められることではなかった。
当時の村田は、野村證券でリテール営業、投資銀行部門を経験し、年収は約1500万円。結婚もしていた。
安定した収入を手放す。
大手金融機関の看板を外す。
フルコミッションに近い世界へ飛び込む。
それは、自分一人の問題ではなかった。
家族を困らせるわけにはいかない。
もしうまくいかなかったらどうするのか。
自分の力だけで、本当にやっていけるのか。
何度も考えた。それでも、その朝だけは違った。
スーツに着替えながら妻の顔を見て、村田は言った。
「今日、言ってくるわ」
妻から返ってきたのは、意外なほど短い言葉だった。
「いいよ」
その一言に背中を押されるように、村田は会社へ向かった。
そこから、村田の独立への一歩が始まった。
当時、IFAのリアルを知る手段はほとんどなかった
今でこそ、IFAという働き方は少しずつ知られるようになってきました。
しかし独立を考えた当時は、IFAとして働いている知り合いはほとんどいませんでした。
実際の収入はどうなるのか。
どのようにお客様を増やしていくのか。
大手金融機関を辞めた後、どんな生活になるのか。
リアルな情報は多くありませんでした。
「当時は、IFAのプレイヤーが今ほど周りにいなかったので、情報は少なかったですね。報酬率も、だいたい6割くらいバックされるらしい、という程度の理解でした」
IFAになるかどうかを考える時、多くの人がまず気にするのは報酬率かもしれません。
何%戻ってくるのか。
どれくらい稼げるのか。
今の年収を超えられるのか。
もちろん、それは大切なことです。
ただ、村田にとって、それ以上に大きかったものがありました。
それは、
誰と働くか。
そして、
何をやるか。
この2つでした。
報酬率よりも大きかった、「誰と働くか」「何をやるか」
村田が大手証券会社を離れる時、単に「もっと稼ぎたい」と考えていたわけではありません。
むしろ当時の関心は、報酬率そのものよりも、これから自分がどんな環境で、誰と、何をやるのかにありました。
野村證券でリテール営業を経験し、その後は投資銀行部門で企業の資金調達、M&A、IR、IPO支援などに携わってきた村田。
金融の世界で経験を積む中で、次第に一つの限界を感じるようになっていました。
それは、証券だけでは、お客様の人生や事業全体を支えきれないということです。
資産運用は大切です。
しかし、お客様の悩みは金融商品だけで完結するものではありません。
保険。
不動産。
相続。
事業承継。
法人財務。
家族の将来。
経営者としての意思決定。
本来、それらはすべてつながっています。
にもかかわらず、金融機関の中にいると、自分が提案できる領域はどうしても限られる。
証券は証券。
保険は保険。
不動産は不動産。
領域ごとに分断されてしまう。
村田はそこに、もどかしさを感じていました。
「証券だけをやっていると、どうしても部分最適の提案になってしまう。もちろん、その中でベストを尽くしていましたが、お客様の人生全体を考えるなら、保険や不動産も含めて、もっとバランスよく見られるようになりたかったんです」
当時、後輩の経営者が保険代理店を立ち上げ、そこにIFAと不動産を組み合わせていく構想がありました。
保険、不動産、IFA。
この三つを一体で提供できれば、お客様に対してもっと広く価値を届けられるのではないか。村田にとって、それは「次の成長」につながる挑戦でした。
年収1500万円を手放す怖さ
とはいえ、独立は理想だけではできません。
当時の村田の年収は約1500万円。
大手金融機関で働き、一定の収入があり、社会的な信用もある。
それを手放すことに、不安がなかったわけではありません。
「結婚もしていたので、家族を困らせるわけにはいかないという思いはありました」
だからこそ、村田は勢いだけで辞めたわけではありませんでした。
万が一うまくいかなかった時、自分はすぐに転職できるのか。
市場価値はどのくらいあるのか。
どんな企業から声がかかるのか。
それを確認するために、転職サイトにも登録しました。
「ビズリーチに登録して、今の自分にどれくらいスカウトが来るのかを見ました。人生の保険のような意味合いですね。もしダメだったとしても、すぐに動ける状態にしておきたかった」
独立には、覚悟が必要です。
しかし、覚悟とは、何も考えずに飛び込むことではありません。
リスクを見た上で、それでも進むと決めること。
村田は、自分の実績を信じるしかありませんでした。
野村證券時代、厳しい環境の中で毎月の目標に向き合い続けてきた。
個人としても、チームとしても、数字を追い続けてきた。
簡単な環境ではなかったからこそ、自分が正しい方向に努力できれば成果につながるという感覚がありました。
「厳しい環境で、自分はちゃんと成長できた。仕事ができるようになるための型や仕組みを、自分の中に作ってきた。そこは一つの自信でした」
柴田さんからの教え。「目標の3倍の見込み客を用意しろ」
独立前、村田の中に残っている言葉があります。
それが、現在のFinancial Escortのメンバーでもある柴田からの教えでした。
「自分が上げたい数字の3倍の見込み客を用意しておけ」
独立してから、何となく頑張れば何とかなる。
そういう世界ではありません。
自分はどれくらいの収入を目指すのか。
そのために、どれくらいのお客様との接点が必要なのか。
誰に声をかけられるのか。
どんな営業スタイルで戦うのか。
事前に考えておく必要があります。
村田も、声をかけられそうな人、今後ご縁がありそうな人をリストアップしました。
ただし、ここで一つ大きなポイントがあります。
村田は、証券会社時代のお客様をそのまま引っ張ってきたわけではありません。
むしろ、実質的には0件0円からのスタートでした。
「リテール営業から離れていたため証券時代のお客様を当てにすることはできませんでした。年賀状のやり取りをしていた方が数名いたくらいで、ほぼゼロからのスタートでした」
大手証券会社を辞める。
そして、お客様も持っていない。
普通に考えれば、かなり厳しいスタートです。
それでも村田は、挑戦を選びました。
独立は、勢いではなく「準備したうえでの決断」だった
村田の退職は、正月明けの朝に突然決まったようにも見えます。
しかし、その背景には、長い時間をかけた違和感と準備がありました。
証券だけでは部分最適の提案になってしまうという問題意識。
保険や不動産も含めて、お客様の人生全体を支えたいという思い。
自分の市場価値を確認する現実的な準備。
そして、厳しい環境で積み重ねてきた実績への自信。
それらが重なった先に、「今日、言おう」という瞬間があったのです。
正解の道を選べたかどうかは、その時点では分かりません。
ただ、村田は決めていました。
自分で選んだ道を、自分で正解にしていくと。
次回は、退職を伝えた後に起きた家族の反応、親戚からの連絡、大手の看板が外れた現実についてお伝えします。