海や川などウォーターフロントの付加価値を高めることで、地域を活性化する「水辺のまちづくり」を手掛ける当社。海に関連する観光やレジャーに限って言えば、日本一幅広い事業領域を手掛けていると言っても過言ではありません。
そんな私達は、今年から新たにグランピング事業に参入します。これまで海に関する事業を展開してきた私達が、陸の事業に参入することは「まちづくり」と「ビジネス」両側面で大きな意味を持っています。
「ビジネスとして成立しないまちづくりは続かない」
代表の瀬崎公介はそう語ります。衰退しつつあった天草の観光業界を数々の事業で盛り上げ、熊本地震によって傷ついた地域の復興を先頭に立って進めてきた瀬崎に、これまでの道のりと今後のビジョンについて聞きました。
一本の航路が天草の街を変えた
―まずはこれまでの経歴について聞かせてください。
私は京都の大学を卒業後、親の大病をきっかけに家業を手伝うことになりました。本当は海外が好きで、商社マンになるのが夢だったのですが、家業での丁稚奉公のような状態からキャリアをスタートすることになったのです。
大学の長期休みの度に家業を手伝っていたので、既存の業務はすぐにこなせるように。仕事に慣れてからは事業改革に乗り出しました。インターネット黎明期の1999年頃から中古ボートのネット販売をスタートし、行政や旅行会社とタイアップしたサービスを作るなど、新しい事業を立ち上げ会社の改革を進めました。
今でこそ当社のHPは制作会社に依頼していますが、もともとPCを触るのが好きだったので、当時からつい最近まで自分で作っていました。自慢じゃありませんが、制作会社として独立できると言われたくらいの技術は持っています。
―入社直後から家業の改革を行っていたのですね。印象深かった仕事はありますか。
印象深く、大きな転機となったのは2009年の公共交通への参入です。その背景には2011年に開業を控えていた「九州新幹線全線開通」があります。新幹線が開通すると新幹線駅がある周辺地域、そしてそこから伸びる在来線の沿線は様々な恩恵を受けますが、私達の地元・天草は離島なので線路がなく、天草地域の人達は恩恵を受けられないと諦めていました。
▲リニューアル前の三角駅
私はどうにか新幹線の乗客を天草に連れてこようと、新幹線の主要駅「熊本駅」から天草方面へ伸びるJR三角線と接続運航をする航路の就航を思いつきました。幸いにも三角駅から港までは数百メートル。航路を接続することで実質的に線路を延長したことと同義となり、天草まで観光と移動を兼ねた一本の道を作ろうとしたのです。
―JRとの連携は難易度が高いように感じますがスムーズに行くものですか?
最初は何度も門前払いをくらいましたね。しかし、様々な方の協力も得て、JR九州熊本支社長に提案する機会を頂くことができました。「新幹線の乗客を天草に誘致し、地元を盛り上げたい」と訴えたところ、熊本支社長は共感してくださり、すぐに本社の役員会へ話を通していただきました。その結果、数カ月後には連携することがきまりました。
大きなチャンスを得て準備にとりかかったものの、自治体の補助金を使わずに準備を進めいたので、先行投資が膨らみ経営はどんどん火の車に。新幹線開通直前は、債務超過も覚悟しました。経営的には綱渡りでしたが、観光客を天草まで誘致するという構想は絶対に間違っていないと思い、なんとか航路開通まで漕ぎ着きました。
それが特急「A列車で行こう」と定期船「天草宝島ライン」です。豪華列車「ななつ星in九州」をはじめJR九州の観光列車のデザインを手がけるデザイナー水戸岡鋭治氏の監修により、列車と駅舎と船のデザインを統一された世界的にも珍しい観光航路が完成しました。
▲リニューアル後の三角駅
―観光航路の反響はいかがだったのですか。
コンセプトがうまくヒットし、スタートから右肩上がりでお客さんが増えていきました。また、定期船の開通により、港のある前島は大きな変化もありました。
港は既に閉鎖されて廃墟となった市の国民宿舎の一角にありました。周辺は草むらで、唯一の観光地といえば水族館(パールセンター)のみ。海の玄関口がそのような状況ではまずいと、当時の市長と話しあい港を整備することにしました。
廃墟だった宿舎は解体して更地にし、観光施設を誘致しました。「リゾラテラス天草」など、多くの商業施設が次々に建ち始めたのです。航路を一本作るだけで、廃墟と草むらしかなかった地を九州屈指の人気エリアに激変させたのが、これまでで一番の実績ですね。
「海」の次は「不動産」を使った街づくり
―海での仕事を行っていた瀬崎さんが、なぜ今回グランピングに参入するのか教えて下さい。
グランピングに参入するきっかけは、2018年までさかのぼります。航路一本で上天草前島エリアが激変する様を目の当たりにした私は、それからまちづくりに興味を持ちました。そこで私が目をつけたのが、全国的に大きな問題になっている空き家・空きビル。
今度は船ではなく、不動産を使ってまちを変えたいと思ったのです。早速、天草の繁華街にあった空きビルを購入、リノベーションし、2019年7月にホテルを開業しました。続いて10月には「mio camino AMAKUSA(ミオカミーノ天草)」の運営を、九州産交グループと一緒にはじめ、アクティビティと交通の拠点を作りました。
なぜ九州産交グループと手を組んだかというと、公共交通を連携させたかったから。それまで私達はJR九州と手を組み、鉄道と船は連携できたので、次はバスとの連携を考えたのです。
―当時の天草では、公共交通は連携されていなかったのですね。
天草は公共交通が不便と言われており、その背景には公共交通同士の連携不足がありました。これは全国の地方部のどこでも起こっていることですが、新幹線や列車が着いた時間には既にバスが出発していて、次のバスまで1時間待たされることが珍しくなかったのです。
そこで私達とJR九州、そして九州産交グループと連携することにより、バスと鉄道&船を連携させました。公共交通を軸として衰退した観光地を生まれ変わらせた実績が評価され、今度は人吉市の第3セクター球磨川くだり(手漕ぎの船で川を下るアクティビティ)の再建依頼がきました。
元通りではなく、以前よりいいものを。球磨川くだり再建にかけた想い
―球磨川くだりと言えば、令和2年7月豪雨で大きな被害を受けましたよね。
そのとおりです。再建をしている最中に、コロナ禍と災害が立て続けに起こり、市に続いて大株主だった私達もまた、大きな損害を被りました。コロナ禍では本業のシークルーズも大打撃を受けたので、再建の話はお断りして本業に集中する選択肢もあったと思います。
▲球磨川くだり(急流コース)
しかし、球磨川くだりは人吉相良藩の参勤交代の移動手段をルーツとし、100年の歴史を持つ人吉観光のシンボル。再建を諦めても経済的な影響は大きくありませんが、地元の人にとって精神的なダメージは計り知れませんでした。そのような考えから、まちづくりの支柱となる球磨川くだりは再建を諦められませんでした。
―再建は順調にすすんだのですか。
災害のちょうど1年後、今年の7月4日に新しい観光複合施設「HASSENBA」をオープンします。それだけ早く復興できたのは、普段から自然対策の備えをしてきたから。私達は普段から自然と対峙した仕事をしているので、他の地域の自然災害からも学んでいたのです。
その教訓が活きたのが泥の処理。水害で一番厄介なのは水ではなく、被災地に残った泥です。それを知っていた私は、災害が起きてすぐに泥の撤去に取り掛かり、災害発生4日後の2020年7月8日には泥を撤去し終え、7月末には全ての片付けが終了。8月には再建チームの立ち上げ及び仮設事務所を設置し、再建に取り掛りました。
―では一年で元通りの状態に戻せたのですね。
元通りではありません。以前よりも劇的に進化した施設が完成しました。九州各地から私の復興への想いへ共感していただいた設計やデザイン、飲食など各領域のプロフェッショナルから構成される再建チームの協力なサポートのもと、パンケーキカフェやショップ、バーが併設された施設として生まれ変わります。
災害のあった街が以前のように復興しないのは、国の手厚い支援があるものの原状回復にとどまってしまうから。災害があれば人口も減りますし、街の外見だけ元通りにしても売上は元には戻りません。新しい付加価値をつけてより魅力的な街にしなければ、以前のような活気が戻ることはありません。
▲HASSENBA
「HASSENBA」を作るにあたっても、以前の施設を作ろうとするのではなく、ゼロから人吉市を分析して、魅力的な観光スポートを作り上げました。
安定した事業ポートフォリオを、グランピングでさらに強化
―コロナ禍や災害によってクルージング事業もダメージを受けたと思いますが、経営に問題はなかったのでしょうか。
売上は落ちましたが、劇的に減ったということはありません。いつ何が起きてもいいように、非観光事業にも力を入れていたからです。
私達はクルージングでの観光事業のほか、ボートの免許教室や船の修理販売も行っています。コロナ禍が起きて、密を避けるためにボートやクルーザーに乗りたい人が増えたおかげで、観光事業の落ち込みを補ってくれました。
▲マリーナに停泊するSERENA号
―観光ビジネスのリスクに備えていたのですね。
観光業は利益率が高いものの、お客さんのほとんどは一見さん。何がきっかけで売上が落ちるかわかりません。先代である私の父は「継続的な顧客を持つ商売もしないと怖い」と言って、安定した収入を得るために基盤を作ってくれていました。
ボートの免許教室ももともとは先代が創業時に行っていたもので、更新講習において卒業生数万人の顧客がいる、安定した収益を得られるビジネスです。そのように事業の特性を組み合わせることで経営を安定させています。
―そのポートフォリオに新たにグランピングを追加する理由をお聞かせください。
一つは既存事業と相性がいいから。グランピング施設を開業するのは既存事業と同じ上天草前島エリア。つまり、定期航路やイルカウォッチングをはじめとするアクティビティとの組み合わせも可能な訳です。また、ミオカミーノ天草やリゾラテラス天草、11月リニューアルオープン予定の天草パールガーデンズなど九州屈指の観光集積エリアに隣接。体験・食事・買い物に便利なまたとない立地だと言えます。これまでホテル事業も展開していましたが、グランピングを追加することで宿泊の選択肢も広がります。
▲Sea Cruise Glamping Kumamoto Amakusa
もう一つの理由はタイミング。グランピングはコロナ禍でアウトドアブームが起きたことを追い風に今や大きなトレンド。昨年まではブルーオーシャンでしたが、今年は参入企業が全国的に相次ぎ、急速にレッドオーシャン化しています。つまり競走過多の中で、独自のポジションをしっかり確立するためには綿密な戦略が必要だと感じています。
実は昨年もグランピングに参入しようと、立地や事業パートナーの選定を進めていたのですが、そのまま進めてもとても勝ち目はないと判断しました。一旦、立地もパートナーも白紙に戻しゼロベースで事業計画自体を根本的に見直しました。
―今年は勝ち筋が見えたのですね。
グランピング事業はロケーションやランドスケープが何より重要ですが、+アルファの付加価値がなければいけません。私達が見つけた付加価値が「快適な温度」と「非接触」です。
これまで主流だったベルテントを活用したグランピングの弱点は、温度変化に弱く、夏の暑さや冬の寒さに対応できないこと。また、多額の設備投資を避けるために、バス・トイレやキッチンなどの水回りが共用の施設が多く、コロナ禍で敬遠される他のお客様との接触リスクがあります。その弱点を改善することが差別化につながると考えました。私達の施設は断熱性の高い素材を使ったドーム型で、水回りとリビングを兼ね備えた別棟を完備しておりお客さん同士の接触もありません。安心して使えるハイグレードなグランピングを提供する予定です。
▲Sea Cruise Glamping Kumamoto Amakusa(施設内)
―将来的にはどのような構想を描いているのでしょうか。
2年で初期コストを回収する計画を立てていますが、その先にはホテル事業と合わせて宿泊事業の分社子会社化を考えています。理由は事業セグメント別の収支を明確にするため。今は全ての事業で人もお金も兼用しているため、それぞれの事業の正確な収支が明確になっていません。
クルージングの観光事業、免許教室などのマリーナ事業、そしてホテルとグランピングの宿泊事業を3つの柱として独立させる予定です。特に宿泊の会社は、地方に埋もれている遊休不動産を再活用するまちづくり会社という立ち位置。将来的には飲食事業やコンサル事業も視野に入れています。
―収支を明確にすることに、経営者としてのこだわりがあれば教えて下さい。
これまで全国の街づくりを見てきましたが、失敗する一番大きな要因はビジネスの目線が欠け、補助金+ボランティアに頼り切った取り組みだから。ビジネスとして収益を上げることができないまちづくりの取り組みは絶対に続きませんし成功もしません。
しっかりビジネスとして軌道にのせ、利益を出して社員に還元する。さらに自分たちだけでなく地域にも経済効果をもたらす。その相反する2つを両立してはじめてまちづくりは成功するのです。決して簡単なことではありませんが、私達はこれまでそれをずっと続けてきました。
「地方創生の仕事は甘くない」覚悟を持って働ける人を募集中
―現在の採用状況について教えて下さい。
ありがたいことに、新卒の応募はたくさんきているので、今後は中途採用に力をいれていきます。ウォンテッドリーに掲載をスタートして以来、学生さんからの応募は非常に多いですね。地方創生に興味のある学生は多いと実感していて、当社のような地方の中小企業に国公立大学や東京の六大学、関西の関関同立などの学生からも多数の応募をいただいて驚いています。
―中途採用でどのような人材を求めていますか。
覚悟を持って仕事に携われる人です。これまでも中途の応募は多くありましたが、一番多いのが「フルリモートでも働けますか」「副業できますか」という質問。正直、まちづくりの仕事はそんなに甘いものではありません。中には大企業やコンサル出身の優秀な方もいましたが、天草に住んでもらう話をすると尻込みしていたので縁がありませんでした。
加えて言うなら、野心を持っている人です。入社したからといって、一生ここで働いてもらいたいとは思っていません。いずれは故郷に帰って、自分の地元を再生したい。そのためにまちづくりのノウハウを学びたいという野心を持っている人は大歓迎です。そういう人を全国に排出して、一緒に何かできるのを楽しみにしています。
―スキル面で求めているものがあれば教えて下さい。
強いて言うなら数字に強いこと。マーケティングをするにも、予算を組むにも数字に強くなければいけません。これまでにマーケティングや予算を組んだ経験のある人なら文句ありませんね。
もしくはITに明るい人。地方は労働人口が減っているので、ITを使って効率化、省人化を図っていかなければなりません。ただし、いずれにしてもスキルは教えられますし、働きながら身につけてもらえれば構いません。
何よりも田舎の可能性を信じ、覚悟を持っている人と一緒に働きたいですね。