はじめまして、しおつき あおな です
はじめまして、塩月 青菜 と申します。
2000年生まれ、好きなことは音楽を聴くことと猫を愛でること、それと、おしゃべり。
大分県佐伯市で生まれて、宮崎県川南町/高鍋町で育ちました。大学4年間は沖縄県で過ごし、宮崎県で22新卒として社会人をスタートしました。新卒で東京に本社があるベンチャー企業の宮崎センターに就職し、思い切って転職。KOKOKARAに入社して、2年目に入りました。
私のKOKOKARAでの仕事は大きく分けると2つ。
① 西都市の特産品を使った地域産品の開発、販路開拓のサポート
② “さいとおやさいピクルス”のプロデュース、営業
この記事では、
宮崎県での就活を踏まえて「24歳、地域産品をプロデュースする」という話をしようと思います。
(実はこういうの憧れていたから、めちゃくちゃ嬉しい。)
目次
はじめまして、しおつき あおな です
18歳、宮崎県を発つ、22歳、宮崎県へ帰る
24歳、KOKOKARAに入社
24歳、さいとおやさいピクルスをプロデュース
20代をKOKOKARAで過ごす
18歳、宮崎県を発つ、22歳、宮崎県へ帰る
一旦、地域産品について話すまえに、私の宮崎県での就活を話そうと思います。
2018年、当時18歳。
「宮崎から出たい!宮崎にはなーんにもない!つまんない!」と、県外の大学へ進学。沖縄県での暮らしは刺激的で、もう宮崎県に帰る理由なんて見つからない、そう思っていました。ところが、就活を考えはじめた頃、将来を考える中で、「宮崎に帰ろうか」という選択肢が浮かんできたのです。(→当時からお付き合いをしている彼(地元が同じ)と一緒に人生を歩みたいというきもちが、宮崎に帰りたくないきもちを上回ったから。文字に起こすとはずかしい。)
2021年、当時21歳。
心機一転、宮崎県での就活をスタートさせました。誰かの役に立つ仕事がしたい、誰かをそばで支えることを仕事にしたくて、BPO業界の会社を受けました。最終的に、BPO業界のベンチャー企業に就職。
働き始めて、たくさんの人と出会い、ほんのちょっと見える世界が変わった気がしました。
ふと立ち止まって考えると、なにもないと思っていたこの場所には、なにかを始める余白がありました。
誰かの役に立ちたいと思って選んだ仕事も、出会った人たちも、全部この土地で広がっていきました。「なにもない」って、もしかしたら「なんでもできる」のかもしれない。
そう思えるようになりました。
24歳、KOKOKARAに入社
24歳のころ、転職を決意します。
理由はもっと関わる人の輪を広げてみたい、もっと肌がぶつかる距離で仕事したいから。
そこでビビッと来たのが、KOKOKARAの「地域産品 開発担当」の求人でした。
まさかの「未経験OK」。
西都市の観光魅力を高めるために地域産品の開発をするというのがミッションでした。西都市は地元の隣町。正直、西都原古墳群しか知らなかったし、言われてみれば「西都のお土産」なんて思いつきませんでした。実際に住んでいる人や宮崎県内の人も同じ印象の人が多いように思えました。
だからこそ、農家さんや事業者さんと一緒に、ゼロから形にしていけるなんて、
ここから始められることがあるって、なんだかわくわくしました。
そこからすぐエントリー。3回の面接を通過して無事に入社。
24歳、さいとおやさいピクルスをプロデュース
さいとおやさいピクルスは、西都市の野菜を使用したピクルス。
入社後、このピクルスのコンセプトメイクから販売、営業までを担当させていただけることに。
なぜ私がプロデュースを?
西都市は、地域産品開発の補助金を申請することができます。西都市の野菜を使用したピクルスを作ることと補助金の申請をして開発することは決まっていました。ピクルスはきっとPMがプロデュースするんだろうなと思ってたけれど、これがチャンスかも!とPMに「ピクルスやりたいです!」と相談したことを覚えています。入社5か月目のことでした。勢いに任せて言ってみたものの、なにから着手するか?と私自身にも課題は山積み。
どうしよう①:ピクルスってなに?
最初の壁は、そもそも「ピクルスって何?」というところ。この壁を突破すべく、とにかく出張や旅行、外食の度にピクルスを食べるようにしました。実は、ピクルスってただの酢漬けじゃなくて、意外と出汁が効いていたり、甘かったり、四角かったり、丸かったり。コンセプトやターゲットにあった味付けや切り方をしていることに気がつきました。
どうしよう②:野菜の調達ってどうするの?
西都市の野菜をつかうぞ!と意気込んだものの、農家をいちから探す必要がありました。社内で相談して繋げてもらうこと、市役所から農家さんを教えてもらって、電話して訪問。あとはリサーチ。最寄りのスーパーに行って、地元野菜コーナーに出品している農家さんに問いあわせる。そうして、仕入れをおこなっていきました。“さいとおやさいピクルス”では、地元の農家さんにお金が落ちること(=地域の経済を回すこと)を設計の段階から意識しました。
どうしよう③:野菜には旬がある?!
プロジェクトが進むと同時に、野菜って1年中採れるわけじゃなくて、旬があって、、というのを実感しました。スーパーに並んでいるものは西都市でも年中とれてるでしょ〜と思っていた私。仕入れの時に農家さんから「それは今植え付け作業中!もうないよ〜」と言われ、大焦りしました。(私が世間知らずなだけ)現在、1年中採れないものは期間限定にして、あとは工場と調整中です。ここはまだまだ進行形の課題で、早くどうにかしなければと思っています、!
まだまだ課題ばかりの“さいとおやさいピクルス”。たまに逃げ出したいときがあるけれど、商品が一人歩きできるようになるまで、じっくり時間をかけて向き合っていこう、売る人にも買う人にも西都市のみなさんにも優しい商品になるといいな〜と思っています。
20代をKOKOKARAで過ごす
私はKOKOKARAで「地域産品をプロデュースする」というはじめの一歩を踏み出しました。そして、今日も商品開発に燃えています。何歳だって遅いことはないとよく言いますが、私は20代中盤でこの経験ができたことに意味があると感じています。
宮崎県西都市は、なにかを始める余白のある場所です。
KOKOKARAは、若くてもやってみたいことを任せてもらえる場所です。
実際に手と足と頭を動かしながら検証ができます。得られるものは評価や対価だけではありません。
もしも、あなたも「やってみたい」という気持ちがあるなら、ここで一歩を踏み出してみませんか?
いつかあなたと、KOKOKARAで会えるのを楽しみにしています。