近年、スペシャルティコーヒーへの注目度は高まっているが、世界のコーヒー流通量の大半は、いまだコマーシャルコーヒーが占めている。コマーシャルコーヒーの取引は激しく変動する相場の影響を大きく受けるため、生産者は短期的な収益確保を優先せざるを得ず、経営の不安定化や後継者不足、離農、過剰生産、農薬依存といった問題につながっている。
創業以来、スペシャルティコーヒーに特化して事業を展開してきたTYPICAは、こうした構造問題を解決するため、トレーサブルなコマーシャルコーヒーを安定的かつ長期的に流通させる仕組み「限定パートナープログラム」を推進中だ。
同プログラムの目的は、相場の影響を受けず、品質と生産コストにもとづく長期固定価格によるダイレクトトレードを通じて、生産者とバイヤーの双方が最適なパートナーと安定的、発展的な取引を行えるようにすることだ。大手ロースターとマイクロロースターが共存するコミュニティへと進化させ、「規模の経済」と「質の経済」の相乗効果を最大化していくことを目指している。
TYPICAは2025年3月には、日本ーブラジル間の10年80億円規模の覚書第一号案件を、同年6月には、台湾ーブラジル間の5年30億円規模の覚書第二号案件を締結。今後、欧州にもこのモデルを水平展開していく推進役を担うのが、2025年10月に入社した欧州カントリーマネージャーの宮垣雄太だ。
2021年、前職の住商フーズ時代にTYPICAとの共働案件を推進してから約4年。TYPICAの一員となった宮垣雄太が、新天地での挑戦を通して実現したいこととは?
コーヒーの世界に戻りたくて
「おまえはコーヒー事業で頑張ってくれ」
食品専門商社の住商フーズに新卒で入社する前、豚肉部門の営業に配属されると聞かされていた宮垣に、寝耳に水の人事が言い渡されたのは入社初日のことだ。当時、住商フーズでは親会社の住友商事より事業移管されたコーヒー部門が新しく設立されて間もないタイミングだった。上司との二人体制で、手探りの中で仕事を進めていくことになったのである。
その先輩が移管業務を終えて異動になり、実質的に1人でコーヒー部門を動かしていくようになったのは2年目に入ってすぐのこと。若干23歳。人によっては途方に暮れる状況だが、宮垣はむしろ目を輝かせていた。
言うなれば個人商店の店長のようなポジションである。裁量が大きく、自分の頑張り次第で結果が目に見えて伸びていくことが楽しくて仕方なかった。当初は会社全体の利益率の1%未満だったコーヒー部門を、6年目には8〜9%まで伸ばしたのである。
「基本的に上から言われたことをこなすよりも、自分の意思や願望にもとづいて行動するのが好きな性分なので、自分に合っていたんだと思います。そもそも商社は自分で生み出した商材を持たないので、人との関係づくりが生命線になります。だからこそいつも大事にしていたのが、フットワークの軽さ。飲み会なり会食なり出張なり、声をかけていただいた際に断ったことは一度もありません。ブラジルへの出張から帰国したその夜、後輩の送別会で朝まで飲み会に参加した直後に朝一からSCAJで客先との商談を行い、また毎日会食が続く…というハードスケジュールをこなしたこともあります。
加えて、大学生の頃まで『コーヒー=苦い飲み物、砂糖とミルクを入れて飲むもの』だと思い込んでいた自分にとって、多様な風味があるという発見はとても刺激的だったというのもありますね。こう言っては何ですが、カフェに行くこと、コーヒーの話をすることが仕事になるなんて最高だったんです。
しかし、宮垣はある時期から行き詰まりを感じ始める。顧客が扱えるアイテムの上限や流通チャネルがほぼ確立されている日本市場の現状を踏まえると、これ以上急成長していく難しさを感じたからだ。事実、TYPICAとの共働開始後も、TYPICAが扱う高品質/高価格なコーヒーを何度も顧客に提案したものの、ニーズに合わず、欲しくとも見送らざるを得ないことが続いたのだ。
入社10年目となる2023年からは豚肉部門に異動になった宮垣は、ニューヨークに駐在。その間もコーヒーのことが忘れられず、現地法人の社長にコーヒーに関わる新規事業のプレゼンをしたこともある。結果的に承認が下りず、再びコーヒー部門に戻る可能性も低かった状況で、TYPICA・CEOの後藤将から誘われたとき、心は躍った。
「これからTYPICAを拡大していくフェーズに入ります。一緒にやりませんか?宮垣さんには、ヨーロッパで中〜大規模ロースター向けの新規開拓を担ってほしいんです」
といっても、すでに妻と子供二人を持つ身である。日本に帰国後すぐ、再び海外赴任になるのは、家族に負担をかけるのではないか…という躊躇いもよぎった。しかし最後には、30代のうちにもう一度海外で挑戦したいという意欲と、もう一度コーヒーに携われる喜びが勝った。妻の後押しも受けた宮垣は、TYPICAへの転職を決断したのである。
情で結びつくからおもしろい
宮垣には、忘れられない大学時代の原体験がある。
小学校から高校まで野球を続けてきた宮垣にとって、「自分にはこれ以上伸びしろがない」と悟った高校生活最後の試合は、野球人生に幕を引く決定的なタイミングとなった。明治大学入学後、新たに打ち込めるものとして見つけたのがストリートダンスだった。
明治大のダンスサークルに所属していた宮垣は、2年のとき、1つ上の東大生の友人とともにダンスサークルを立ち上げる。といっても、精力的に活動していなかったため、メンバーが5人しか集まらない日もあった。
そんなサークルを拡大し、次の代につながる仕組みをつくるべく、宮垣が改革に着手したのは、2代目の代表として運営を引き継いだ3年生のときだ。
「本格的なストリートダンスをやるサークル」という特徴を明確に打ち出し、新たなメンバーを勧誘するほか、他大学の学生や社会人も参加できるように間口を広げた。毎月必ずイベントを開催することもメンバーに約束すると同時に、月々のイベント費用とは別に入会金5,000円を徴収することでメンバーの質を担保した。
その結果、半年で約50名のメンバーが常時アクティブに活動するサークルへと変貌を遂げた。宮垣が引退してから10数年経った今では、関東で2〜3番目の規模を誇るダンスサークルにまで成長している。
「サークル活動は義務ではなく、ビジネスのように明確な利害関係で結ばれているわけでもないので、人はけっこう簡単に離れていきます。たとえば、長期休みなどで、参加しない期間がしばらく続くと戻りづらくなって離脱するケースも少なくない。
そんな中でメンバーを繋ぎ止める錨になっていたのは、『好きだからやりたい』『仲間と一緒に頑張りたい』『居場所が欲しい』という情動です。だからこそ、毎月イベントを開催して場を提供することを大切にしていたんですよね。しばらく参加していないメンバーを見つけると、イベントに出場するチームに入れるなり、親しいメンバーから声をかけてもらうなりして、つながりを絶やさないように工夫していました。
この経験を通して得た一番の収穫は、段取り力と推進力です。社会人になってから活かされた『順序立てて物事を進めていくスキル』や『仲間の士気を高めるスキル』、『仲間と足並みを揃えながら目標に向かっていくスキル』の土台は、サークル運営を通して培ったものだと思います。
おもしろいのが、コーヒーの世界も情に左右される部分が大きいこと。長い年月をかけて築かれた信頼関係の上に取引が成り立っていて、義理や人情で動いているところも大いにある。コーヒーの官能評価も人がやるので、必ずバイアスがかかる。それがいいかどうかはさておき、人と人との関係性で成り立っているところが魅力だと感じています」
感動と幸せを広げていく
欧州カントリーマネージャーとしての仕事に本格的に着手すべく、宮垣は2025年12月上旬、オランダに移住した。欧州でのビジネスの経験もマーケットの知見もない中で、最初のマイルストーンとしているのが「まずは1社と長期固定価格モデルの契約を結ぶこと」だ。ダイレクトトレード、GHG(温室効果ガス)削減、サステナビリティへの関心が高い企業を、主なターゲットに設定している。
「このモデルを水平展開していくことは、TYPICAに共感し、ともに事業を育んでいく企業を増やすこと。丁寧なヒアリングを重ねて顧客ニーズを正しく把握したうえで、最適な提案をすることが大切だと思っています。
学生時代から思っていることなのですが、感動や幸せは伝染するもの。仕事であれプライベートであれ、誰かが幸せや感動を感じていれば、それは何らかの形で周りにも伝わっていく。その点、食は感動や幸せを伝染させる身近なツールの一つだと思うんです。私が住商フーズを就職先に選んだのも、食を通して人の笑顔や幸せを広げていきたかったからです。
TYPICAの仕事で言えば、『今日飲んだ一杯のコーヒーが美味しかったから幸せな気分になれた』『大切な人と美味しいコーヒーを飲む喜びを分かち合えた』という経験を味わう人を一人でも増やしていきたいです。そういった感動や幸せを、世界のあちこちで伝染させる媒介者になりたいですね。
そのために大切なのが、テクノロジーとリアルの両輪だと思います。テクノロジーを駆使して、最大限利便性を高めつつ、リアルに交流する場面も創出して、お互いに補完し合えるようなプラットフォームに育てていきたい。単に『このコーヒーが美味しい』だけでなく、『この生産者から買いたい』と思えるような関係を育めれば、生活者にもきっと“感情が乗ったコーヒー”の魅力が伝わるはず。
TYPICAはまだまだ発展途上のスタートアップで、これからいかようにも進化していく段階にある。今、将来の礎となる基盤をつくるプロセスに携わることができていて本当にワクワクしています。まさに、ダンスサークルを拡大しようとしていた20歳の頃の情動がそのまま蘇ってきたような感覚があるんです」