高級なとらふぐを安く・美味しく提供する、「とらふぐ料理 玄品(以下、玄品)」。運営するのは、ふぐ取扱高で日本一の実績を誇り、業界のリーディングカンパニーである株式会社関門海(以下、関門海)です。
関門海には、「飲食業を通じてお客様を笑顔にしたい」「料理人として確かな技術を身につけたい」という想いで働く社員が多くいます。一方で、少し変わった動機で入社する社員もいるようです。
今回インタビューした商品製造管理部 外販通販加工部門の水野 雅仁(みずの まさひと)さんは、ふぐの外販商品の営業や新入社員の技術指導を担当するベテラン社員。
関門海に入社した理由を聞くと、「飲食店をやりたかったわけではなく…魚を育てたかったから」と想定外の答えが返ってきました。「魚を育てること」とは、ほど遠い業務に携わっているように見える水野さん。なぜ関門海で働き続けているのか、その理由を伺いました。
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【インタビュー/ライティング】
株式会社ストーリーテラーズ
ストーリーライター ヤマダユミ
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目次
- 自分を支え続けたのは、自身の夢と懐の深い社員の存在
- 「仕事が嫌で仕方なかった」退職が脳裏をかすめる日々
- 「努力が報われる」仕事への想いが一変した店長時代
- 「より安心安全なふぐを養殖する環境を作る」ために歩み続ける
自分を支え続けたのは、自身の夢と懐の深い社員の存在
「これまでに『辞めよう』と思ったのは、一度や二度ではありません(笑)でも、『魚を育てたい』という夢と、懐の深い温かな社員のみなさんのおかげで、16年も勤め続けてこれました」
と、感慨深げに振り返る水野さん。この言葉から、「魚を育てたい」という夢に向かって、現在進行形で進み続けているのだとわかります。夢を叶えるために、これまでにどのようなキャリアを歩み、この先にどんな未来を描いているのでしょうか。
「仕事が嫌で仕方なかった」退職が脳裏をかすめる日々
水野さんは水産系の大学を卒業した、根っからの魚好き。大学時代はサメの研究を行い、趣味で熱帯魚などを育てていたといいます。
「卒業後は、魚を育てる仕事がしたいと思っていました」
そう話す水野さん。ひょんなことから、ふぐを養殖・販売する関門海の存在を知りました。当時の関門海は、ふぐの養殖方法などの特許技術を多数開発・取得しており、水野さんは「ここでふぐを育てたい」と入社を決めたといいます。
夢の実現に向けて、一歩踏み出した水野さん。しかし、すぐに養殖部門に携われるわけではありませんでした。
「『まずは現場を知ってから』と、入社後は『玄品』の店舗に配属されたんです。調理をメインに担当しましたが、研究とはまったく異なる仕事になかなか慣れず…当時は仕事が嫌で嫌で仕方なかったんです」
飲食業の仕事は、自分には向いていない。そう感じた水野さんは、先輩社員に退職を申し出たといいます。
「『もうだめです、辞めさせてください』と私が泣き言をいうと、先輩社員は『まだまだそんなもんじゃないだろう』と励ましてくれました。その後も、私が弱音を吐く度に優しい言葉をかけてくれて…なんて温かい会社なんだろうと実感しました」
先輩社員の助けもあり、だんだんと仕事に慣れていった水野さん。『玄品』で2年間勤め上げたあと、系列の寿司店へ異動。その後、入社5年目に系列のカニ料理専門店に異動することになりましたが…そこでまさかの店長に任命されました。
「もちろん自分から志願したわけではありませんでした(笑)『エリアを統括するマネージャーがバックアップしてくれるから』と、いきなり店長を任されたんです」
関門海には以前から、「まずやらせてみよう」という社風が根付いていました。そのため、若手社員が店長を務める店は多く、水野さんもそのうちの一人だったのです。
「努力が報われる」仕事への想いが一変した店長時代
店長になって早々、水野さんが悩まされたのはスタッフ教育の難しさでした。
「当時の私は27歳で、店舗で働く学生アルバイトのスタッフたちと年齢が近かったんです。『みんなと楽しくやれたらいいな』と思っていましたが、それでは組織としてうまく機能しないのだとすぐに気付かされました」
店長として、スタッフにはサービスをより深く理解して欲しい。けれど、その気持ちがなかなか届かない。きちんと指導しなければいけないタイミングなのに、厳しくできない。
「教育方法に悩んでいたら、気になっていたスタッフが、お客さまからお叱りを受けてしまったんです。そのとき、『自分が気づいていながら、しっかり指導しなかったせいだ』と反省しました。私が躊躇して指導せずにいると、後々困るのはスタッフ自身なんだと痛感したんです」
それから、一人ひとりと真正面から向き合い、スタッフ教育に取り組んだ水野さん。指導は店舗のルールや接客方法だけでなく、社会人としてのマナーなどにも及びました。
あるとき、学生時代にアルバイトで働いていたスタッフが、就職後に店舗を訪ねてきました。久しぶりの再会を喜んだあと、そのスタッフが水野さんにこんなことをいったそうです。
「仕事中に叱られたときはすごく不安だったけど、社会人になった今なら店長の気持ちがわかります。店長に教えてもらったおかげで、成長できました」
手探りで行っていた教育が、その人自身の糧になっていることを目の当たりにした水野さん。その瞬間、仕事に対する想いが変化したといいます。
「はじめは『飲食店の仕事は嫌だ』と思っていました。でも、自分が努力すればするだけ、お客さまの嬉しそうな笑顔が見れる。一緒に働くスタッフからも感謝される。
『努力が実を結ぶ瞬間を、肌で感じられる仕事っていいな』
そう思ったら、もう辞められなくなってました(笑)」
水野さんは入社当初からの夢である「魚を育てる」ため、現在も自身のキャリアを積み重ねています。最近になって、ネクストステップであるセントラルキッチンでの技術指導を担当し始めました。
「5〜6年前からずっと手を挙げ続けていて、やっと希望が叶いました。店長時代にたくさんのスタッフを教育・指導してきましたが、図らずもその経験が今生かされているなと感じています。つい先日は念願だった養殖場を訪問し、技術指導をしてきたところなんですよ」
とうれしそうに話す水野さん。少しずつ、でも着実に夢の実現に近づいています。
「より安心安全なふぐを養殖する環境を作る」ために歩み続ける
水野さんが入社して早16年。ここまで決して順調な道のりではありませんでした。それでも今日まで働き続けてこれたのは、「魚を育てたい」という自身の夢があったから。水野さんを支えてくれる先輩社員、慕ってくれるスタッフ、美味しい料理を喜んでくれるお客さまがいたからでした。
現在の水野さんの夢は、「魚を育てること」から「自社でより安心安全なふぐを養殖する環境を、自身の手で立ち上げる」ことに変わっています。
「養殖場は原料を生産しているため、すべての商品に響く最も重要な部分です。だからこそ、信頼の置ける人間だけが任されるポジションだということはわかっています。肝入りの部署なだけに、さすがに『まずやらせてみよう』とはなりません(笑)
『水野に任せてみよう』と思っていただけるよう、自分のできることを愚直に行い、夢の実現を手繰り寄せていきます」
店舗運営の要である店長を経験し、新入社員の育成にも携わるベテラン社員、水野さん。しかし、そのキャリアはまだまだ道半ば。夢を叶えようとひたむきに歩み続ける心の内には、熱い想いがほとばしっているのを感じますね!