工藤駿之介(くどう しゅんのすけ)
ミライの風株式会社 代表取締役。1999年生まれ、23歳。埼玉県越谷市在住。小学校から高校まで野球に打ち込み、ポジションはピッチャー。高校では副部長を務める。高校卒業後、消防士試験に不合格となり自衛隊に入隊。2年間の勤務を経て営業の世界へ。モバイル通信営業で日本トップレベルのクローザーとなり、2025年8月にミライの風株式会社を設立。趣味はサウナと美味しいものを食べに行くこと。
野球少年が見た、プロとの圧倒的な差
── 学生時代はどんな生活を送っていましたか?
小学校から高校まで、ずっと野球漬けの生活でした。小学校4年生のころからプロ野球選手になりたいという気持ちが強くなって、放課後は毎日自主練習に明け暮れていた。友達から「遊ぼう」と誘われても「自主練があるから」と断るくらい、本当に野球が好きだった。小学校、中学校、高校とポジションは一貫してピッチャー。マウンドの上からチームを引っ張る感覚が小さい頃から性に合っていたんだと思う。
高校では副部長も務めていました。ピッチャーとしてマウンドに立ちながら、チーム全体の士気を上げる役割も担う。練習メニューの相談に乗ったり、後輩の指導を引き受けたり、プレー以外の時間にも周囲に目を配る日々だった。振り返ると、この経験が今の経営スタイルにそのまま直結している。「自分がやる」だけでなく「全員で勝つ」ために動く感覚は、野球の中で身についたものだと確信がある。
── プロを目指す中で、転機となった出来事はありましたか?
中学時代、僕はチームの2番手ピッチャーでした。1番手は、今西武ライオンズでプロとして活躍している田代大士選手です。同じチームで毎日一緒に練習しているからこそ、彼の圧倒的な実力は言わなくてもわかる。ボールのキレ、スピード、コントロール──すべてが次元が違った。「こういう人がプロになるんだ」と痛感した瞬間、自分の中で何かが変わった。
悔しかったけれど、その挫折があったからこそ次の道を探せた。元々「人を助けたい」という気持ちが根底にあったので、そこから消防士になりたいという目標に切り替わりました。野球を続けるために大学に行く選択肢もあったけれど、それ以上に消防士への想いが強くなっていた。その目標は高校3年生までずっと続いていた。プロとの差を目の当たりにしたことで、逆に自分が本当にやりたいことが見えてきた部分もある。
自衛隊での2年間。忍耐と葛藤の先に見えたもの
── 消防士を目指していた中で、なぜ自衛隊に入隊されたのですか?
大学には進学せず、高校卒業後に消防士の試験を受けました。野球を続けるために大学へ行く道もあったけれど、それよりも消防士になりたいという気持ちの方がはるかに強かった。でも、結果は不合格。正直、かなりショックだった。それまで野球と同じくらいの熱量で準備してきたつもりだったので、不合格の通知を受け取った日のことは今でも覚えている。
その後の進路として選んだのが自衛隊です。人を守るという使命感に惹かれた部分もあったし、自分を鍛き直す場所としても適していると感じた。消防士と自衛隊は「人を守る」という共通点がある。その軸がブレなかったことが、迷わず自衛隊を選べた理由だと思う。
── 自衛隊で2年間過ごして、得たものは何ですか?
一番大きいのは、忍耐力と精神的な強さです。特に教育隊の半年間は、想像を超えるきつさだった。毎日の訓練、先輩からの指導、厳格な規律──体力的にも精神的にも追い込まれる日々。朝から夜までスケジュールが決まっていて、自分の意志で動ける時間はほぼない。ただ、その教育期間を乗り越えたあとは、ちょっとしたことで折れることがなくなった。
野球もきつかったけれど、自衛隊はまた別の次元。自分の意志とは関係なく動かなければならない場面も多い。集団生活では常に誰かと一緒で、1人の時間がほとんどない。その経験が今の自分の土台になっているのは間違いない。営業の現場で断られても折れない心、圧力のかかる場面でも平常心を保てる力。どちらも自衛隊時代に養われたものだと思う。
反面、2年間の集団生活でメンタル的に疲弊した部分もある。駐屯地の中だけでは学べることに限界があると感じ始めたのも事実。もっと広い世界で自分を試したい、もっと学びたいという欲求が日に日に強くなっていった。
13人家族の2番目として。営業の世界に踏み出した理由
── 自衛隊を離れて、営業の世界に飛び込んだきっかけを教えてください。
自衛隊在籍中に親会社の社長と出会ったことが直接のきっかけです。副業を通じて営業という世界の存在を知り、そこで強く感じたのが家族への恩返しという原動力でした。自衛隊を辞めるかどうかはかなり悩んだけれど、外の世界で自分を試したいという気持ちが最終的に勝った。
安定を手放すことへの不安がなかったわけではない。でも、自衛隊にいたままでは、自分が本当に目指したいところには到達できないという確信があった。親会社の社長と話す中で、営業の世界には努力した分だけ返ってくる仕組みがあると知り、ここなら自分の力で道を切り開けると感じた。
── 家族への恩返しというのは、具体的にどういう想いですか?
僕は13人家族の2番目、11人兄弟です。下にたくさんの弟や妹がいる。その大家族を育て上げてくれた父と母には、本当に感謝しかない。食費も学費も、13人分を工面し続けた両親の苦労は、想像してもしきれない。
その恩を返すには、やはりお金を稼ぐ力が必要だと思った。自衛隊の給料では限界がある。もっと大きく稼いで、今までお世話になった分を返せるくらいの存在になりたい。会社を立てたのも、その思いが一番の原動力です。欲しいものを買いたい、旅行に行きたいという個人的な欲求ももちろんある。でも、一番深いところにあるのは家族への感謝。弟や妹たちがこれから進学するときに、「兄ちゃんに頼れる」と思ってもらえる存在でありたい。それが自分にとっての成功の定義のひとつです。
テレアポからトップクローザーへ。営業で開けた道
── 親会社に入って最初の仕事は何でしたか?
テレフォンアポインター、いわゆるテレアポです。毎日オフィスに出社して、ひたすら電話をかけ続ける業務。正直、やりたい仕事ではなかった。元々人と話すのが好きだったので、目の前のお客さんと向き合う対面営業をやりたかった。
ただ、自衛隊上がりで敬語もまだまだ未熟だった。言葉遣いの基本から学ぶ必要があった。その点でテレアポは、電話越しに丁寧な言葉遣いを求められる環境だったので、学びの場としては非常に価値がありました。半年から7ヶ月ほど続けた後、モバイル通信の対面営業に移りました。そこからが、本当の意味での営業人生のスタートです。
── モバイル通信営業ではどんな成果を上げたのですか?
日本でもトップレベルのクローザーになりました。クローザーというのは、お客様との商談を最終的にまとめる役割です。アポインターが取ったお客様に対して、僕が最後に入って商談をクロージングする。単価も上がりきるところまで上がった。テレアポから始めて、1年ちょっとでそこまで到達できたのは、自分でも驚きです。
成績が上がった要因は、商品知識よりも「聞く力」にあったと思う。お客様が何に困っているのか、何を求めているのかをまず聞き出す。その上で、最適な提案をする。押し売りではなく、相手の課題を解決するスタンスが結果に直結した。
── 元々営業をやりたかったのですか?それとも他にやりたいことがあった?
実は、元々やりたかったのはアパレル事業です。服が昔から好きで、自衛隊時代には自分のブランドを立ち上げたこともある。それくらいファッションには情熱がある。
ただ、何をやるにも営業力が必要だという認識があった。自分のブランドを売るにしても、お客様に価値を伝える力、信頼を勝ち取る力がなければ続かない。だからまずはモバイル通信の営業でその力をつけようと決めた。将来的には新規事業としてアパレルも展開したいと考えています。営業はそのための土台づくりであり、最終目的ではない。その経験を後輩に伝えるべきだという流れから、2025年8月にミライの風を設立し、代表取締役に就任しました。親会社に入ってから1年ちょっとでの起業。スピード感があるとよく言われるけれど、自分としては自然な流れだったと思っている。
23歳で代表に。経営の難しさと、その先の楽しさ
── 代表になってから、何が変わりましたか?
個人で営業をやっていた時は、自分の実績だけを追っていればよかった。お客様の前に立ち、商談をまとめ、数字を出す。それだけに集中していれば結果がついてきた。
会社を始めてからは、それだけでは済まなくなった。自分の実績以上にメンバーの成長を気にかけなければならない。メンバー1人ひとりの状態を把握し、教育し、フィードバックし、組織全体の方向性も決める。考えることが一気に増えて、最初はパンクしそうだった。正直に言うと、代表を降りたいとまで思ったこともある。「自分1人で営業していた方が楽だったのでは」と何度も考えた。
ただ、その壁を越えた先にあったのが、経営の楽しさだった。メンバーが成長していく姿を見ると、自分が営業で数字を出したときとはまた違う達成感がある。最初は全然売れなかったメンバーが、1ヶ月後に初めて契約を取ってきた瞬間。その時の表情を見て、「この仕事をやっていてよかった」と心から思えた。業務に慣れた今は、会社をやってよかったと実感しています。個人の成績を追いかけていた頃より、はるかに大きなやりがいがある。
「教育×単価」で勝負する。ミライの風の営業哲学
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── 営業の業界には競合も多いと思います。どこで差別化しているのですか?
モバイル通信の業界には、単価の高い会社自体はたくさんある。ただ、人材の質が伴っていない会社が多いのが現実です。外部のパートナーに頼ってしまう構造が常態化していて、自社の人材を育てるという発想が弱い。
うちはそこを変えたい。教育に力を入れ、自社のメンバーが強い営業力を持った状態で現場に出る。単価と教育の両方を両立できる会社は、この業界ではなかなかない。そこがミライの風の一番の強みだと思っています。
── 具体的にどんな教育をしているのですか?
まず、知識勉強会で商品やサービスの理解を深めます。通信業界は商品ラインナップの変動が激しいので、常に最新の情報をインプットする必要がある。その後クローザー研修で、実際の商談の進め方やトークの組み立て方を僕が直接伝える。僕自身がたどってきた道を、1から伝えていくイメージです。
現場に出た後がもっと大事で、毎日の稼働後に「良かった点・反省点・次の目標」を所定のフォーマットに記入して提出してもらう。それに対して僕が一人ひとりにフィードバックを返し、次の日の稼働につなげる。このサイクルを毎日欠かさず回している。電話やメッセージでも常にアドバイスをもらえる環境なので、「聴けなかった」という状態は起きない。
それに加えて、対面でのロールプレイング会も定期的に実施しています。従業員同士が実際の商談を再現し、互いに「ここはこうした方がいいよね」と意見を交換する。上からの指導だけでなく、横のつながりからも学べる環境を大切にしている。教育のゴールは、全員がクローザーとして独り立ちすること。そこまで引き上げるのが、僕の責任だと思っています。
── 営業で伸びる人に共通する特徴はありますか?
知識よりも「考え方」と「目標」。これに尽きる。何のためにこの仕事をやっているのか。そこが明確な人が大きく伸びる。知識は後からいくらでも入れられる。でも、「なぜやるのか」がない人は、どれだけ知識があっても壁にぶつかったときに踏ん張れない。
実際にうちで結果を出しているメンバーは、「独立したい」「車が欲しい」「旅行に行きたい」といった個人的な目標を持っている。その目標達成のために営業が大切だと認識している人が、結果的に大きく成長する。バイト感覚で何となくやっている人は、なかなか伸びない。
── 営業ができるようになると、人生にどんな影響がありますか?
営業ができると、何でも売れるようになる。それが一番大きい。例えばアパレルでも飲食でも、自分を売り込む力があればどこでも通用する。極端な話、今の仕事がなくなったとしても、そこら辺のティッシュやペンを1本渡されて「売ってこい」と言われても売れてしまう。営業力は、一度身につけたら一生使える武器になる。
それが、うちの会社が「成長装置」としての営業を掲げている理由です。ミライの風で働くことは、単にモバイル通信を売ることではない。一生涯使える営業力という武器を手に入れる場所だと思っています。
5年で20億円。「日本一の通信会社」を目指す
── 会社の目標を教えてください。
5年で20億円。そして最終的には「日本一の通信会社」になることです。
具体的には、SoftBank・au・docomoの代理店権を直接取得し、全国にショップを展開する。どのキャリアの店舗もうちが扱っていると言われるくらい、業界最大の代理店を目指している。「通信会社と言えばミライの風だよね」と言われるくらいの存在になりたい。
大雑把に決めた数字じゃないかと言われることもあるけれど、事業計画をしっかり立てた上での数字です。必要な人材数、毎月の売上増加ペース、拡大のステップ──そのすべてを計算した上で、全然リアルな目標だと思っています。
── 現在のフェーズと、今の課題は何ですか?
初年度で1億円は超える見込みですが、目標の2億円には届いていない。事業計画通りに人材を増やせなかったことが主な原因です。量も質も、両方を底上げしなければならない。
だからこそ、これからは事業計画を超えるペースで人材と教育を強化していきます。今の過不足を先のフェーズで必ず取り戻す。そのためにも、一緒に戦える人材が必要です。
── どんな人と働きたいですか?
ポジティブに目標に向かって取り組める人。「結果しか見ません」というくらいの強い意志を持ち、何事にも前向きでまっすぐな人が理想です。稼働が終わったら毎日電話で報告してくれるような、自ら動ける人。言われる前に自分で考えて行動できるかどうかが大きい。
通信営業に向いているのは、人見知りをせず、人と話すのが好きな人。言葉のキャッチボールができるかどうか。それが一番の判断基準だと思っている。スキルや経験は後からいくらでもつけられる。大事なのは、その人の姿勢と熱量です。経歴や学歴は一切関係ない。僕自身がそうだったように、ゼロからでも這い上がれる環境がここにはある。
この記事を読んでいる方へ
── 最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。
うちに入社したら、1人ひとりの人生と向き合います。僕自身がそうだったように、一人ひとりが求める目標を絶対に達成できる会社だと自信を持って言える。何を目指しているのか、何のために働くのか。それを一緒に明確にして、一緒に走る。それがうちのスタイルです。
営業ができれば、何でも売れる。今の自分に何のスキルもなくても、「何者でもない」状態からでも人生は変えられる。僕がその証明です。野球少年だった自分が、自衛隊を経て、営業の世界で成果を出し、23歳で会社を立ち上げた。この道のりの中で得た確信は、「人はいつからでも変われる」ということ。
少しでも気になったら、ぜひ一度話を聞きに来てください。堅い面談ではなく、あなたの目標や夢を聞かせてもらう場にしたい。そこから一緒に、次のステップを考えましょう。
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