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「貿易」を仕事にするということ 代表取締役社長 佐々木敏行

●人と貿易の歴史

かつて金と塩が等価で交換されていた時代があった。とんぼ玉と奴隷が交換されたことさえもあった。その時代や社会通念によって、現在とはかけ離れた価値観によって物の交換、つまり「交易」がなされていた。

そもそも「交易」とは何かと考えるに、等価の価値の交換、言い換えれば互いに合点のいく形で物と物、金銭と物、或いは無形の何かを交換する行為である。それを外国と行う場合に「貿易」と呼び、商品を送り出すことを「輸出」、受け入れることを「輸入」と呼ぶ。貿易は互いに利益を生み出すことが重要なのはいうまでもないが、異文化の交流、異なる慣習や言語の交わりによって互いに生じる変化にこそ、貿易というビジネスの醍醐味がある。

異文化の怪しさや非日常に違和感や畏怖、畏敬などを感じながらその距離を縮め、差異を埋め、時には取り込み、互いの文化の多様性を生み、それに歌や芸術、文学などといったものも交わりながら、貿易は発展してきたのである。アダム・スミスの謂うように、人間には「ある物を別の物と取り替え、引換え、やりとりする性向」が本質的に備わっているのかもしれないが、ただの物質面での「交換」に過ぎないのであれば、古来人々が生命を賭してまでそれに臨む価値もなかった。豊かに生きる為に、或いは生存競争に生き残る為、盛んに余所の文化を取り入れては変化を遂げてきたのではないかと考えられる。

サハラ砂漠では、古来、世界遺産トンブクトゥとタウデニ岩塩鉱の間を「隊商」と呼ばれるラクダの「キャラバン」が、毎年2,400kmもの距離を6ヶ月かけて塩を運んでいた。タウデニでは今でも塩が貨幣の役割を果たす。こうした交易路には、バザールやスークが発生し、その側には「キャラバン・サライ」と呼ばれる隊商宿ができ、これがまた文化の交流点ともなった。「バザール」の原意は、"(物の)値段の決まる場所"で、元来バザールには定価はなく、商人達が互いに合点のいくところで値を決めてきた。「スーク」は市場を意味し(語源は、送る、運ぶ、手渡すという意味の動詞)、元来、キャラバン(隊商)の通る街外れに定期的に立つ交易の市を指す。それは祝祭の場でもあり、部族紛争のときも中立性が担保されていた。砂漠では、長い道程に水が不可欠な為、オアシスとオアシスを繋ぐかたちで交易路が形成されていった。

●貿易という仕事の魅力

先進国が、開発途上国に資本や技術を供与し、輸入国の仕様、需要に合うように開発し、その生産物を輸入することを「開発輸入」という。途上国にとっては、未開発の資源を生かし、様々な技術やノウハウも習得でき、雇用の創出、収入基盤の創出につながる一方、輸入者側は原材料や人件費などのコストが軽減でき、自国のマーケットに合った製品を安価で購入できる。

「開発輸入」の場合は、最初から自国のマーケット需要を考慮したうえで一から作っていけるので、意に沿った形での輸入販売形態となるはずだが、実際には文化、商習慣等の違いからなかなか思った通りに事が運ばない場合が多い。品質が均一でない、サンプルと本製品が異なる、納期が守られない、連絡が容易でない、政変、天変地異の影響を受けやすいなどリスク要件を挙げればキリがない。不利な条件にばかり着目していては、埒が明かないし、第一に神経が持たない。反対に、知られていないが故の新規性、市場での自由度などのメリットに極力注目し、現時点で確保されている優位性や利点を最大限に伸ばす方が余程気が楽になるし、また得策でもある。

貿易に携わる立場からその魅力について挙げるとすれば、やはり「異文化との遭遇」だろう。異質なものに適応する努力をしているうちに、自らの世界観が広がったり、価値観に変化が生じていることに気がつく場合がある。異なる文化と習慣を持つ相手との間には問題ばかり起きるのは当然で、それを解決する能力や姿勢も自ずと養われる。実際に貿易という仕事は楽しい。職業としては、「是非やってごらんなさい」とお薦めしたい。ビジネスとして世界を旅することは、自由気ままな「旅行」とはまた違う。金銭、報酬、生活の糧が絡む為、現地の人との関わりようもまた違った真剣味を帯びてくるし、それに伴う目標、体験、感動の質もまた違ってくる。私は、両方とも経験しているが、これを「仕事」としていられることを幸せに思う。

●貿易を生業にした理由

貿易を始めたきっかけは、2002年「塩の販売自由化」であった。100年近くもの間、塩の販売については、専売制が敷かれ、専売公社が一手に担っていた。

遥か異国の彼方で”有難く”使っていた赤味がかった岩塩を口にしながら、「何故この塩が日本にはないのか?」というかねてより湧いていた疑問が、「輸入自由化」によって「彼の地から運んできたいが…」「どうやって運ぶ?」「わからない…」「わからないからやってみながら覚えるしかないか…」という思考回路に合せて身体を動かしたと記憶している。

それまでは、別に商社に籍を置いていた訳でも多少なりとも貿易経験があった訳でもない。ビジネス経験はおろか就職さえしたことがなかった。20代前半はもっぱら「夢見る自由人」として世界をただ当てもなく放浪していた。それも海外旅行などという上品なものではなく、ヒッピーのようなものでしかなかった。誰の役にも立っていないし、貢献していないという意味では社会の一員でさえなかった。

ただ、現地の生活にどっぷりハマっていたお陰で、その土地その土地の文化にまみれ、吸収しながら適度に順応していく「能力」を身につけていったことは間違いない。

「大事なことが何か」を朧げながら認識し始めたのもこの頃だった。”水と空気と塩が無ければ人は生きていけない”と実感したのも、ヒマラヤの山間を漂っていた頃の話だ。

●貿易相手と感動や思いを共有する

遠い国のよく知らない相手とビジネスをする場合、出来るだけ多くを深く感じ取り、可能な限りの表現力を駆使し、相手に最大限伝わるように最も効果的な表現をする必要がある。何度も話し、何度も顔を合わせ、目標、体験、感動といったものを共有するほどに「結びつき」が強まる。これについては、洋の東西を問わず、今も昔も変わらない。この「結びつき」が、何かトラブルが生じた場合に互いを繋ぎとめる拠り所になる場合もある。筆者の場合は何度も現地へ足を運んでは、様々な場面で喜びや怒りを投げかけ、感動や思いを共有するようにしている。

●途上国との貿易における結果責任

多くの場合、現地生産者グループに足りないのは「資力」である。繰り返し生産し、販売することによってこそ、生産者グループの財政基盤は安定化する。輸入者が売ることができずに次からの注文が途絶えれば、現地の期待を裏切る結果となる。フェアトレードビジネスを標榜しつつも、国際協力の名の元に「売れない作品」を生産者に作らせてしまい、現地の日本市場への過度な期待とは裏腹に「良い事」をした気になって終わってしまう例も枚挙に暇がない。職を変え、私財を投げ打っている生産者だってある。現地生産者は「売れる」ように期待し、頑張っているのだ。「商品」である以上「商い」が前提であり、「売って稼ぐこと」が「継続」「発展」の大前提となる。言うまでもなく「結果」が大事なのである。だからこそ、必ずマーケットの方にも意識が向いている必要があり、パッケージデザイン、ネーミング、販売チャンネルなどを具体的に想定しながら商品開発をしていく。

●自分だけのキャリアパスを描く

「キャリアパスを築く為に今何をする必要がありますか」という質問には、直ぐに「あてもなく異文化圏を彷徨ってきなさい」と答える。「できなかったらどうしよう」「大変だったら嫌だな」という不安よりも「今の自分に何ができるか」を主体的に考え、行動していく良いきっかけとなるのを期待してのことである。生きていくうえで「不確定要素」があったり、「確信がない」などということは当たり前であり、それを少しでも確かなものにしていく努力や能力が問われるのである。

「いつか貿易を始めたい」という人のなかに、特段の「決心」や「大義名分」「十分な条件」が揃わなければ始められないという人をよく見かけるが、これではいつまで経ってもその日は近づかない。「いつかやる」と言ってやった人を見たことがない。「失敗したらどうしよう」という考えから一歩も前へ踏み出せない人もよくいる。圧倒的に多いのは「できない理由」を見つけて並べ立てるケース。途上国の人達から見れば、「できる条件しかない」人たちが「できない理由」を一生懸命見つけては「できないことを正当化」するのは不可解であり、滑稽でしかない。この国では、仮に失敗したところで「餓死」することもないわけだから、そんなに終末観に浸ることもないのだ。何も「簡単だ」と言っている訳ではないし、そうとも思っていない。想定しうるリスクに可能な限りの対策を打つことが必要なのは言うまでもないが、「難しく考えすぎる」必要はない。

大抵の場合は60%から精々70%も条件が揃えば着手し始めて、残りの「不可知」な部分は事を進めていきながら解決していくことにしている。貿易において「不測の事態」などは当たり前のことでしかなく、「問題解決能力」こそが求められるスキルなのである。くれぐれも起こりうる事態を事前に100%予測しようなどとは思わないことだ。時間の無駄である。

●行動指針「発熱し自噴する」

・発熱する

まずは何をおいても「熱」である。途上国とのビジネスにおいては、「熱」がないどころか、冷水をかけられることさえ少なくない。だから自分だけは「発熱体」であり続けることが必要なのである。周りがどんなに冷めていようが、自らが熱を発し続けることにより、次第に周囲も温まってくる。人よりも多くを感じ取り、それを熱く表現するのだ。「暑苦しい奴」と思われようが、とにかく感動した分だけ熱っぽく表現する。言葉でも文章でもデザインでも、その感動が伝わってはじめて「そこに居合わせなかった第三者が動くのである。

・自噴する

もっと言えば、周りが「不毛」な場合は、「自噴」し続けることが大切だ。泉のように湧き続けるのである。「オアシス」は周りが不毛であろうとも滾々と湧き出す泉が草木を育み、過酷な環境下にあっても生き物が生活できる空間を作り出してきた。私は「オアシス」を何度も見てきたし、そこから商品を作りだしてもきた。「オアシス」を見るたびに、湧き続ける泉のようでありたいと心の底から思うのである。

・諦めない

諦めさえしなければ何とかできる場合は多い。途上国との開発輸入ビジネスなど「止めても仕方がない」と思うことばかり起こる。それをいちいち憂いていたら埒が明かない。「これだけやって駄目だったんだから仕方がない」という言い訳を予め用意したり、早々に持ち出すくらいなら、はじめから途上国とのビジネスなどやらない方がいい。その程度の覚悟に付き合わされる現地生産者はたまったものではないからである。ともに困難を乗り越えて協同してビジネスを作り上げていく過程で信頼関係が築かれていくのである。

・信義を守る

自分で決めて公言したことについては、都合が悪くなろうが、気が変ろうが何としてもやりぬく習慣が必要だ。これには、発言について慎重になる効果と責任感が備わるという二重の利得がある。一見不合理なようだが、効果は抜群だ。発言通りに実行すれば「言ったことはやるヤツ」となり、信頼関係も生まれようが、その逆もまた然りである。

・挑戦する

「何もせずに何とかなる」などと甘い事をいうつもりは毛頭ないし、それほど楽観論者でもない。ただ失敗を恐れず、苦労を厭わず果敢に挑戦して欲しいと思うのである。現代日本の若者のように、食べる、着る、住むを自由に選択し、親兄弟の世話も強いられず、生きる死ぬの問題にも直面していない人たちなど、世界人口のほんの一握りでしかない「類い稀な存在」なのだ。自ら選べる「困難」など「何とかする」という気概で克服し、道を切り拓いていく。土台、文化や習慣の異なる人間とのビジネスである以上、貿易は容易いことではないが、仕事を通じて異文化に触れて価値観、世界観をひろげ、志次第では国際貢献にも繋がる、という実にやり甲斐のあるワクワクする仕事なのである。

佐々木 俊行(ささき としゆき) 代表取締役社長
1965年北海道生まれ。20代海外放浪、異文化を見聞。1994年に27歳で起業。2003年世界の塩の輸入から貿易業に業態転換、以降途上国を中心に開発輸入を行い、世界中のストーリーを織り込んだ商品を開発。『FAR EAST BAZAAR』、『CARVAAN』の総合プロデューサー。
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