■齊藤雅也
コンサルティング本部 部長。埼玉県川越市出身。成城大学卒業後、大手石油会社へ入社。中小企業への営業や経営そして販促企画などを学ぶ。同時に、社会人生活を通していく中で、地域や地元の豊かさと働き方に興味を持つ。そんな中、ご縁があり地域課題の解決や自由な働き方を行うトレジャーフットに出会う。今後は、スキルを磨きながら、自身や大切な人達が豊かになれる活動を目指している。
豊かさの源泉と論理的な直感
まず、初めに僕が大手インフラエネルギー企業を辞め、なぜトレジャーフットへ入社したのかについてお話しします。
端的に述べると「価値観の変化」が転職しようと思ったきっかけです。
新卒で入社した時の価値観は、「肩書き・年収1,000万・羨む大手企業」といった「物質主義的価値観」がメインでした。入社して4年間、とにかく仕事で結果を出すことに重きを置き、周囲の人からは、とにかく良く思われたいと八方美人に働く。本意ではないのに先輩からの誘いを断らず笑顔で参加する、そんなこんなで「始発、そして終電」といったような生活をしてました。
仕事だけではなく飲み会なども繰り返していたら、体調もよく崩すようにも…。その時は、結構しんどい気持ちになり、「ああ〜このままじゃ幸せになれない!」「くっそう、ふざけんな!」といったような悔しい感情と悲しい感情になったことを強く覚えています。
そんな感情の中、地元である川越の街並みを歩いてみると、おばあちゃん友達同士がお茶してたり、老夫婦が手を繋ぎながら散歩している情景を目にして、ああ幸せ、豊かさってこういうことなんだと気づきました。
そこから改めて大手企業で働いていく中で、かっこいいと思えるような先輩があんまりいないなと思ったことや、このまま安定的な給与や福利厚生を享受しながらも、自分の感情を抑え、そして割り切りながら生きていくっていうことは幸せではないな、という気持ちになったことは、自分の中でも大きなきっかけになりました。
きっと、もっと豊かになれる方法はある、そう思いました。
そこから価値観が変わっていき、より本来の幸せ・豊かさといったことにフォーカスをして生きていきたい、そんな人生を送っていきたいと強く考えたのです。
学生時代に感じた感情に似ていた、そしていつの間にか忘れそうになっていた
その時は、学生時代にも持っていた、ある感情を思い出し、大切なものを見落としそうになっていたことに気づいたことも自分の原体験の1つと言えます。
それは、自分が19歳の時に父親が病気で亡くなり、「いつもまでも側にいる存在なんてないのかも」という、学生なりの感情です。その時から、「当たり前は当たり前ではないこと」「生きてるだけで丸儲け」なんだということを大切にしていこうと胸にそっと秘めるようにしていました。
しかしながら、どういう訳かその大切にしていこうとしていたものを、時代や周りの目に流され、いつの間にか忘れてしまっていたのです。「あかん、あかん。」自分の軸で生きようと改めて思いました。
いつでも連絡できる大切な家族・友達・仲間が周りにいて、雨をしのげる家があって、あったかいお風呂に入れて、あったかい布団で寝れて、それだけで「俺ってめちゃくちゃ幸だ」という感情でも良いんじゃないか。そんなことに気づき、これが自分にとっての「本来の幸せ、豊かさ」であること、そして同時に「自分自身が大切にしたいこと」だと気づきました。
自分の軸が次の行動へと移ってきた
そして、改めて「自分はどういう人生送りたいのか」っていうことをもう一度考えた時に、自身の軸が見えてきました。
自身の本当の豊かさとは、
ー [ 大切な人たちのそばにいることができること ]
ー [ 自分自身で選択肢を作ることができ、そして選べる状態になっていること ]
より言葉を分解していくと、
ー [ 大切な人たちのそばにいることができること ] ということは、【働く場所や時間が自由であり自分で決定することができること】
ー [ 自分自身で選択肢を作ることができ、そして選べて自己実現ができること ] ということは、【今後自分がやってみたいもの。あるいは、選択肢としてはなかったものが新しく学べる環境/サービスがあること】
これら2つを軸として転職活動を進めていった時に、当時トレジャーフットの採用担当であった石井さんからご連絡をいただき、初めて田中さん、 辻さん、圭くんと出会いました。話を進めていく中で、論理的な自分自身の軸に合致している、加えて「ここやな」と直感的にすごく感じ、ここで頑張りたい、ここで学びたいと決めました。
ここまでが入社した経緯です。
Treasurefootサービスを通じて感じること、それが”onkochishin”
「温故知新」を広辞苑で引くと、このようなことが書かれています。
前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。
トレジャーフットは、“新しい働き方を創造し、地場産業の発展に貢献すること” をサービスの主たる目的としてます。
つまり、このサービスを届けるためには、地方の方々、特に地方の社長さんとお話をさせていただく機会が非常に多く、僕はこの2年間事業を推進していく中で、改めて、その土地の方々、ないしは昔の方々が築き上げてきた産業の素晴らしさに気づきました。
そこから自分自身、新しい気づきや学びを得ることが非常に多く、まさに先に述べた「温故知新 - "onkochishin"」を実感します。
地方産業の主役はあくまで、地場の方々
入社してから2年ほどが経過し、「今僕が何をしているか」について、より具体的にお話しできればと思います。
まず僕が担当させてもらってるのは、コンサルティング本部部長としてトレジャーフットの基盤サービスであるマッチング事業の推進です。
手段としては、地方の金融機関と連携させていただきながら 地方で人材不足やスキル不足で自社の産業の発展が止まってしまっているクライアントさんに向けて「外部人材マッチングサービス」を提供をしています。
そして、マッチング後はプロジェクトが円滑に進むように PM的な立ち位置で、都度プロジェクトの調整をしながら、外部人材による商品・サービスの事業推進や企業の発展に貢献できるように進めています。
約2年で20プロジェクト程度の案件を見ていく中で感じたことが一つだけあります。それは、サービスを推進していく中で、外部人材の方々のスキルや人柄が申し分なくても、結局は地場産業の方々に意志がないとプロジェクトはうまくいかないことが多い、ということです。
だからこそ、我々の介在価値は高まるわけですが、「外部人材のプロ=魔法の杖ではない」といことを地場産業の方々に、実際にプロジェクトスタート前にお伝えするようにしてます。
Masaya is あまのじゃくSHOUNEN
自分を一言で表すと「あまのじゃく少年 - SHOUNEN」のような人間かなと思います。
これはトレジャーフットの会社の方々もそうなんですが、おそらく昔からの友達も同様に感じているはずです。良くも悪くも、歩いているだけで、めちゃくちゃ素直がゆえに、めちゃくちゃ顔に出てしまいます…(いや、それは社会人としてどうなのか、という議論があることも分かってます…笑)
ただ、僕としては、人と人とのコミュニケーションなので、お互い正直に話して、伝えた方が肩肘張らずに対話ができ、良い方向に向かっていくんじゃないかと。だからそうしてます。
あまのじゃくすぎる私、器広すぎる田中さん
そんな一言を表すようなエピソードがありました。
トレジャーフット入社後初めて、社長である田中さんと出張に行った時のことです。
帰りの飛行機の便で、行きの便は田中さんが予約をしてくださり、帰りの便は各々で取ろうという話になりました。普通の人はおそらく、入社後初の出張を社長と行くとなったら、飛行機の座席はエコノミークラスで手配すると思うんですよね。
でも、僕、多分疲れてたんでしょうか、クラスを上げて予約したんですよね。でも「まぁ、社長やし、田中さんもあげてるかな」と軽く思ってました。そうしたら、乗る間際ぐらいに、田中さんに『僕クラス上げてるんですけど』って言ったら、田中さんは『おれは普通のクラスやで』って言われました。
その時、ああミスったかもと思いましたが、まぁもう変えられないからなと思って、二人で沈黙のままベンチで搭乗を待ってました。
実際に搭乗するときには、基本的にはクラスが上の人から搭乗すると思うので、結局僕だけ先に、めちゃくちゃプレミアムに搭乗して、めちゃくちゃ大きい席に1人で座って、その後ろから社長である田中さんが通路を通って後ろのエコノミーに座りました。
そして、羽田空港に到着した後、何事もなかったかのように田中さんは僕に話をして解散しました。
めちゃくちゃなエピソードなんです…この話は、飲み会で何回も擦ってます。
特に、ここで伝えたいことは、自分の性格を表すエピソードではあるのですが、それだけではなく「田中さんの器の広さ」について、仕事はもちろんですが、こういうところからも感じることができる、ということです。
今、トレジャーフットに興味を持っていて、この記事を読んでる方がいらっしゃれば、「田中さんは恐ろしいほど愛があって、恐ろしいほど広い器で全て受け止めてくれます」というのをお伝えできれば嬉しいです。
自身の豊かさ、これからも大切に
最後に、トレジャーフットに関わりながら、僕自身が、どういうビジョンを持っているのかについて触れていきます。
冒頭、転職の軸でお話した通り、僕には、 [自分自身で選択肢を作ることができ、そして選べるような状態になっていること] というビジョンがあります。
そのためには、会社から頂いている給与やものといった環境に依存せず、ある程度、いろんな選択肢を自分の中で作り出し、そして選べるようになっていく必要があるのではないか。選択肢を作るための、必要なスキルや経験を蓄えながら、実現出来そうなものに着実に取り組んでいきたいと考えています。
とはいえ、これらが全てではないので、ビジョンを目指しながらも、肩肘張らずにゆるく楽しみながらやっていきたいとも思っています。
当たり前は当たり前じゃない。
大切な家族や友達が周りにいること、雨を凌げる家があること、あたたかい布団があるだけで十分。
「知足」や「感謝」を持ってさえすれば、僕はハッピーなので、つらつらと書いてしまいましたが、少しでもトレジャーフットに興味を持っていただいた方がいれば、あるいはあまのじゃくSHOUNENに興味持っていただいたら、ぜひお話しましょう。
それは、入る・入らないに限らず、お互いのご縁として。
ああ、今日もみんながハッピーに過ごせたらいいなあ。
おわりにかえて
雅也さんは自分の幸せをこの2つに定義しています。
・大切な人たちのそばにいることができること。
・働く場所や時間が自由であり自分で決定することができること。
幸せの状態を定義できる人は強い。
なぜなら、幸せをゴールと考えた時に、道標を自分の中に持っているので、たどり着くことができる。見た目クールな雅也さんですが、誰よりも熱く、仕事に対する姿勢も一流。
本文中に”おばあちゃん友達同士がお茶してたり、老夫婦が手を繋ぎながら散歩している情景を目にして、ああ幸せ、豊かさってこういうことだと気づきました”とありますが、こういうことが幸せってわかってる人だと仲間も安心してついていける、そう感じました。
代表取締役 田中 祐樹