ー AI時代に、学校は何を育てるべきなのか。吉祥寺湧水中学校・高等学校 学校長の菊池が語る、「湧水リベラルアーツ」「協働的な学び」「個別最適な学び」、そしてMIRAIsの本当の役割。
2027年度、藤村女子中学・高等学校は、吉祥寺湧水中学校・高等学校へと生まれ変わります。
それは単なる校名変更ではなく、教育のあり方を内側からつくり直す挑戦でもあります。
AIが答えを出せる時代に、学校は何を育てるべきなのか。
偏差値や進学実績は、今も大切です。けれど、それだけで子どもの未来を語りきれない時代になったとも感じています。
そんな問題意識から、吉祥寺湧水中学校・高等学校は「湧水リベラルアーツ」を教育の軸に据え、学校全体の学び方そのものを再設計しています。
今回は学校長の菊池に、これからの時代に本当に必要な教育、そしてその実装としての「協働的な学び」「個別最適な学び」「MIRAIs」について聞きました。
ー まず、吉祥寺湧水中学校・高等学校がどんな学校を目指しているのか、入口から教えてください。
まず最初にお伝えしたいのは、私は偏差値を否定しているわけではありません。偏差値は、学力という一側面を測るわかりやすい指標ですし、努力の成果が見えやすい。子どもにとっても、保護者にとっても、安心材料になるものです。
ただ、偏差値だけで学校を語るには、時代が変わりすぎたという感覚があります。
AIが答えを出すことや、処理することを担うようになるほど、これから問われるのは「どの大学を出たか」だけではなく、その人が何をやってきたのか、どういう価値観で判断してきたのか、どんな失敗を経験してきたのか、ということだからです。
だから私たちは、偏差値を捨てるのではなく、偏差値だけに依存しない教育をつくりたいと思っています。
学力はしっかり育てる。
その上で、一人ひとりの中にある「好き」や「違和感」や「問い」がちゃんと湧き出てくる環境をつくり、その子が心身ともに一番自然な角度で育つ可能性を、6年間学校として引き受けたい。そこに本気で挑戦したいと思っています。
ー その6年間の先に、どんな生徒に育ってほしいと考えていますか?
一言で言うと、「自分の人生を、自分の言葉で説明できる生徒」です。
成績が良いかどうか、有名な大学に行くかどうか、それだけで人は語れません。
この6年間で身につけてほしいのは、自分は何が好きで、何が苦手で、それでもどう生きていきたいのかを、自分なりに考え、選び、引き受ける力です。
- 正解が用意された問いに答える経験だけではなく、答えのない問いに向き合った経験。
- 人と意見が違う中で悩み、決めた経験。
- うまくいかなかったことも含めて、それでも前を向いて選び直した経験。
そうした積み重ねを経て、「Who I Am」を誰かに与えられた言葉ではなく、自分の言葉で語れるようになってほしい。卒業するとき、自分の未来に少し楽しみを持って外へ出ていける。そんな生徒を送り出したいと思っています。
ー その土台になるのが「湧水リベラルアーツ」だと思います。これは、どういう考え方なのでしょうか?
リベラルアーツという言葉を聞くと、「幅広い学問を学ぶこと」と受け取られることが多いと思います。もちろんそれも一つの側面ですが、本校が大切にしたいのは、もう少し違うところです。
私たちが考える湧水リベラルアーツとは、多様な人や価値観、世界に出会うことで、自分や社会を相対化して捉え、複眼的に見ながら、自分なりの考え方の軸を育てていく学びです。
人生はたくさん失敗するものです。
でも、自分の考えの軸を持って決断したことは、たとえ失敗しても後悔が少なく、次に進む力になります。私たちは、それこそが「豊かに生き抜く力」につながると考えています。
だから、湧水リベラルアーツは単なる教育流行語ではありません。STEAMのように何かの科目群を示す言葉というより、子どもがどう生きるか、どう選ぶか、その土台を育てるための本校の教育思想そのものです。
ー では、その湧水リベラルアーツを、学校ではどう実装していくのでしょうか?
ここは誤解なくお伝えしたいのですが、私たちはリベラルアーツを「教科を一つ増やすこと」だとは考えていません。
学校全体の学び方そのものを、二つの柱で組み替えています。一つは、協働的な学び。もう一つは、個別最適な学びです。
つまり、リベラルアーツを“教える”のではなく、そういう学び方をする学校にする。
これが、吉祥寺湧水中学校・高等学校の考え方です。
ー まず、「協働的な学び」について教えてください。
これは、いわゆるアクティブ・ラーニングの部分です。ただ、単に生徒同士で話し合う授業を増やす、という意味ではありません。
私たちが掲げる「湧水リベラルアーツの8つの花びら」は、知識の項目ではなく、人と一緒に考える中で立ち上がってくる力を整理したものです。
正解を聞く授業ではなく、問いを立て、意見が食い違い、納得できないまま考え続ける。
そういう場面の中で、論理的に考える力、自分の考えを表現する力、倫理観や美意識といったものが同時に鍛えられていきます。
社会に出れば、自分と同じ考えの人だけで物事は進みません。
だから学校でも、違いの中で考える経験を大切にしたい。人と学ぶ中で、一人では辿り着けなかった自分に出会う。
それが、本校の考える協働的な学びです。
ー もう一つの柱である「個別最適な学び」は、どう位置づけていますか?
子どもの得意も、苦手も、理解のスピードも、心の状態も同じではありません。だから本校では、全員が同じペースで進むことを前提にしません。
理解が必要なところには時間をかけ、得意なところは先に進む。
一人ひとりに合った支え方を重視しています。
ここで大事なのは、個別最適な学びの目的が「一人で完結する学び」ではないということです。基礎学力や理解の土台をしっかり整えることで、その子が対話や挑戦に向かえる状態をつくる。
つまり、個別最適な学びは、協働的な学びを豊かにするための土台でもあります。
ー その個別最適な学びを支えるものとして、MIRAIsがあるという理解で合っていますか?
はい。そこはかなり重要なポイントです。
MIRAIsは、協働的な学びの代わりになるものでも、AIが教育の中心になることを意味するものでもありません。MIRAIsの役割は、本校の個別最適な学びを支える基盤をつくることです。
AI通知表や、AIオンデマンド予備校、生徒のコンディションサーベイは、そのための仕組みとして開発しています。基礎学力や理解のスピードを、一人ひとりに合わせて支えるためです。
ただし、AIはあくまで補助です。
最後に子どもを見て、意味づけし、励まし、次の一歩を一緒に考えるのは教員です。そして、そうやって生まれた時間と余白を、協働的な学びにしっかり使う構造にしたい。
ここが、本校におけるMIRAIsの立ち位置です。
要するに、MIRAIsは個を閉じるための仕組みではありません。個を支え、そのうえでより深い対話や挑戦に向かわせるための土台です。
ー 菊池さんが考えるリベラルアーツには、授業以外の体験もかなり含まれていますよね。
そうですね。私は、リベラルアーツを教室の中の学びだけで完結させたくありません。
10代で誰と出会い、何を見て、何を体験するかは、その後の人生を大きく左右します。
だから本校では、生き方を探すための出会いを偶然に任せるのではなく、地域や民間企業、大学、専門学校との連携を通して、多様な価値観と出会える機会を設計していきます。また、生徒主体のイベントの企画・運営や、仲間や外部の大人と一緒に何かをつくる経験も大切です。
意見がぶつかることもあれば、思い通りに進まないこともある。
それでも試行錯誤しながら最後までやり切る経験は、学校の中だけでは得られない学びになります。そうした積み重ねもまた、「Who I Am」を問い続ける力につながると考えています。
ー 部活動についても、これまでの延長線ではない改革を考えているそうですね。
はい。ここも、本校らしさが出るところだと思っています。
中学段階では、早くから一つに絞るのではなく、いろいろなスポーツや文化活動に触れながら、自分の身体や感覚を知る時間をしっかり持つことが大切だと考えています。
マルチスポーツ的な発想で、「これが好きだな」「これは苦手だな」「苦手だと思っていたけれど意外と楽しいな」と感じること自体に価値があると思っています。
もう一つは、「部活動を自分でつくれる」という考え方です。
今は存在しない部活でも、「やりたい」と手を挙げれば立ち上げから学校がサポートする。企画して、人を集めて、続けていく。その経験自体が、「Who I Am」を見つけるきっかけにもなるし、人生に残る学びになると考えています。
勝つことだけで終わらせない。続けることだけを目的にしない。
スポーツも文化活動も、自分を知り、仲間と関わり、人生につながる経験として位置づけ直したいと思っています。
ー 最後に、この記事を読んでいる求職者や保護者に伝えたいことをお願いします。
学校選びでも、学校づくりでも、つい目の前の指標だけを見てしまいがちです。
でも本当は、その子がどんな問いを持ち、どんな価値観を育て、どんな未来を選んでいくのかまで考えないと、教育は完成しないと思っています。
吉祥寺湧水中学校・高等学校が目指しているのは、進学実績だけで語られる学校ではありません。
学力をしっかり育てながら、その先で、自分の人生を自分の言葉で説明できる生徒を育てる学校です。
もし教育の現場で、本気で子どもの可能性を信じたいと思っている方がいるなら。
もし保護者として、我が子の偏差値の先にある未来まで大切にしたいと感じているなら。
この学校の挑戦に、ぜひ注目していただけたらうれしいです。