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目次
農業の現在地と、迫る転換点
地域の価値が"溶けていく"未来
温泉街という過去の幻想
the kindestの立ち位置と可能性
ブランドを"請け負う"という視点
ラベルではなく"共創"へ
最近、街づくりと農業との関係性にとても興味があります。
食糧需給などではなく、「その土地ならではの価値」という視点で農業を見たとき、街がそれらをどう育て、どう広げていくかという視点。
私自身は、この文脈の中で"野菜や果物のブランド化"がもつ可能性に強い関心を持っている。
なぜなら、それは単なる農産物の価値向上だけに留まらず、街の文化や誇り、街の持続可能性そのものに深く関わるテーマだと思うからです。
この仕事を始めて、私は子供達を連れてたくさんの土地にお邪魔してきました。
自然、生産者、ものづくりに携わる職人、すべてが美しく、子供達が大人になった未来にも残したい、また訪れて欲しいと思うものばかりでした。
そんな視点で読んでもらえると嬉しいです。
長崎五島列島の天然海水で作る塩を作る釜、モックモクでした。職人はお話が止まらない系で、最高でした。
農業の現在地と、迫る転換点
まず押さえておきたいのは、日本の農業が直面している現実。
高齢化と担い手不足。
特に中山間地や地方都市では、もはや"農家の減少"ではなく、"地域から農業が消える"フェーズに入っている。
農業経営者である久松達央さんが語るように、いま日本の農業は"大淘汰時代"の只中。
スマート農業、ロボット、AI、ハウス栽培、そして流通の効率化。
あらゆるテクノロジーが農業の再編を促し、"誰でも・どこでも・同じものが作れる"未来が現実味を帯びてきている。
実際、アグリテック企業の台頭によって、生産性は向上し、品質の均質化も進んでいる。これはポジティブな側面もある。生産の安定、労働力の省人化、脱属人的なモデルづくり……。
だが同時に、それは地域に根ざした「その土地らしさ」や「作り手の存在感」が失われていく流れでもある
私は非農業従事者として、このテクノロジーが定着した後の未来に貢献できるのではないかと考えてます。
もっともっと農家さん回りたい!
沖縄の県内バナナを広めるバナナおじさんと。翌日一緒にシュノーケルもした。
あまりに楽しかったのか、バナナおじさんが大好きになり、バナナが好きになりました。笑
通称バナナおじさん(まこっさん)絶品スムージーみんなに飲んで欲しいなー!
地域の価値が"溶けていく"未来
もし、全ての農産物が工業製品のように作れるようになったら?
どの地域でも、どの企業でも、同じトマトやにんじんが作れる時代が来たら?
間違いなく、地域ごとの農業の意味や存在価値は薄れていく。
収穫高No.1という指標は、いずれ意味を持たなくなる。
ロボット栽培で効率化された農場が、データに基づく最適解で運用され、クラウドでノウハウが共有される。
気候や土壌の個性すらも、アルゴリズムで吸収されてしまうかもしれない。
それは、地域の「物語」が音もなく溶けていくようなものだ。
そしてこの変化の厄介な点は、それが"ゆっくりと確実に進行する"ことにある。目に見える崩壊ではなく、価値の蒸発。
まるで、凍った氷が時間をかけて透明になり、やがて形を失っていくようなもの。
僕たちはその変化に気づいたときには、手遅れになっている可能性がある。
温泉街という過去の幻想
もう一つアナロジーを加えるなら、旅行に行ったときに感じる違和感でも説明できる。
箱根の駅を降りてから温泉街まで続く道のりにあるいくつかのお店。 あるいは、別府温泉のあの道のりに並ぶお店たち。
別の場所なのに、これが温泉街にあると儲かるんでしょうね。と消費者でも感じてしまうほどの同じフランチャイズの店。つまりパッケージ。 それは偶然ではなく、画一化された観光地の行き着いた先であり、結果"どこでも同じ街並み"の完成でもある。
農業の未来にも、これと似たような気配を感じてしまう。
それぞれの地域が持っていたはずの個性やこだわりが、再現性や効率という言葉のもとで薄まり、やがて「どこかで見たことのある何か」に成り代わっていく。
この時代に突入する前に、やっておかねばならないのは、地域単位でチャレンジする「ブランド化」なんじゃないかと思う。
シャンパーニュが認めるシャンパンを例にして説明すると、シャンパンと認められるスパークリングワインは瓶内二次発酵という、手間のかかる伝統技術が使われている。
これがあの美味しさの秘訣の一つとも言える。
ただこれはスペインのカヴァでも使われている技術であり、製法そのものだけで見れば、似たような手法は他国にも存在する。
けれど、シャンパンとそれ以外には大きな価格的差がある。
それはもちろん、土地の気候、ブドウの品種、土壌のミネラルバランス、熟成期間、もあるが、私はそこにシャンパンとそれ以外というはっきりとした線引きを行い浸透させたブランディングに価値があったのではないかと考える。
これは農家個人ではなく、自治体や企業、生活者を巻き込んだ街全体のプロジェクトでなければ成り立たない。
そこに本気で取り組めるかどうかが、その街の未来を左右する時代が来ているように思う。
美しすぎるだろ。。。
the kindestの立ち位置と可能性
僕たちthe kindestは、そんな未来に対して一つのアンサーを持っていると考えている。
the kindestは原料に強いこだわりを持っている。
農薬や添加物の問題だけではなく、「誰が」「どこで」「どんな思いで」作ったかを、ひとつの価値として捉えていきたいと考えている。
効率や収益性だけでは測れない、生産者の意志と手間が込められた素材を、丁寧に選んできた。
正直、これは資本主義と相性がいいとは言い難い。
手作りや少量生産は、どうしてもコストがかかる。だが、だからこそ、僕らにしかできない役割があるとも思っている。
それは、"その土地でないといけない"という文脈を、プロダクトとストーリーの両輪で証明していくことへの挑戦だとも思っている。
にんにくを選んでます、そうです、お土産でもらうやつ笑
ブランドを"請け負う"という視点
そんなthe kindestが今後目指すのは、単なる食品ブランドで終わるつもりはない。
街単位での農産物のブランド化、いわば"シャンパーニュ戦略"を共に担うパートナーになる可能性を模索していきたい。
その街のトマトを、にんじんを、いちごを、the kindestが使っている。
全国の赤ちゃんを育てる家庭に届けている。
そして、「この素材は◯◯町の◯◯さんが育てていて……」と消費者に語る。
それを続けることで、街にも生産者にもthe kindestにも三方良しの循環が生まれる。
地域や農家からしてもthe kindestは、ただの販路ではなく「誇れる存在」というお墨付きにもなり得ると考えている。
ラベルではなく"共創"へ
私たちがやりたいのは、単なるコラボや取り組み紹介ではない。
未来に残す価値を共創し、消費者に届け、未来を変えていく仕組みを作ること。
様々な街のアイデンティティとthe kindestが結びつき、生活者の選択肢になっていくこと。
街と野菜の視点から見るthe kindestは、資本主義を活用した未来にこそ、私たち世代が持つべき重要な視点なのではないかと伝えたい。
農業は、これから大きく変わる。
だからこそ、未来を想像し、仕組みを考える。
私たちの世代から、考え行動あるのみ。
本当に甘いコーンは生で食べるんだよ。って教えてあげられる未来を残したい。
【noteはこちら】https://note.com/milyuya