閉じないための仕組み
理念だけでは、現場は開かれ続けない
ちなみに、山国で育った僕は、生活の中に海はない。サーフィンなんてもってのほかだ。だから、真夏の妄想で、サーフィンをする自分をイメージしてみた。しぶすぎて神
前回は、社会企業という生き方について書いた。
福祉サービスを提供する会社でありながら、地域に価値をつくる会社でありたい。
支援と仕事。
本人と地域。
会社と社会。
そのあいだに、価値の往復をつくっていくこと。それが、僕たちの考える社会企業なのかもしれない。
そんなことを書いた。
ただ、ここでひとつ思う。理念だけでは、現場は動かない。
いや、理念は大事だ。
むしろ、とても大事だ。
何のためにやるのか。
どこへ向かうのか。
何を大切にするのか。
それがなければ、日々の仕事はすぐにバラバラになる。
でも、理念だけでも足りない。
「閉じない事業者でありたい」
「つながって、ひろがる場でありたい」
「主体性の回復を大切にしたい」
そう言うことはできる。
でも、忙しい現場では、すぐに目の前のことでいっぱいになる。
送迎がある。
記録がある。
請求がある。
見積もりがある。
受託業務の段取りがある。
畑の水やりがある。
職員同士の共有も必要だ。
利用者さん一人ひとりの状態も違う。
そんな中で、理念はすぐに遠くなる。
悪気があるわけではない。
むしろ、みんな一生懸命やっている。
でも、一生懸命やっているからこそ、目の前のタスクに飲み込まれる。
気づけば、
「今日をどう回すか」
が中心になる。
もちろん、それも大事だ。
今日を回せなければ、明日は来ない。
でも、今日を回すことだけに閉じてしまうと、少しずつ支援の意味が痩せていく。
この活動は何につながっているのか。
この人の役割はどこにあるのか。
この記録は次の支援に活きているのか。
この仕事は地域に何を届けているのか。
そういう問いが、忙しさの中で見えにくくなる。
だから、閉じないためには仕組みが必要なのだと思う。
ただし、ここでいう仕組みは、人を縛るためのものではない。
管理するためだけのものでもない。
誰かを評価したり、監視したりするためだけのものでもない。
僕が考えている仕組みは、問いに戻るための仕組みだ。
何のためにやっているのか。
誰につながっているのか。
どこへひろがっているのか。
そこに戻れるようにするための仕組み。
それがないと、どれだけ良い理念を掲げても、現場は少しずつ閉じていく。
事業所が閉じる時、そこにはたぶん、情報の詰まりがある。
ある職員だけが知っていること。
その場にいた人だけが感じたこと。
何となくうまくいったけれど、言葉になっていないこと。
逆に、何となくうまくいかなかったけれど、振り返られないまま流れていくこと。
現場には、そういうものがたくさんある。
もちろん、全部を記録することはできない。
全部を言語化しようとすると、それこそ記録のための記録になってしまう。
でも、大事なことまで流れてしまうのは、やっぱりもったいない。
この声かけで、少し表情が変わった。
この配置にしたら、活動に入りやすかった。
この作業は、実は本人にとって負担が大きかった。
そういう小さな気づきは、現場の宝物だと思う。
だから最近は、そうした実践知を、できるだけ蓄積したいと考えている。
おおげさに言えば、エビデンスの蓄積だ。もちろん、学術論文のようなものではない。
でも、現場には現場の根拠がある。
「なんとなく良かった」で終わらせない。
「なんとなく合わなかった」で流さない。
どんな環境で。
どんな声かけで。
どんな活動の組み方で。
どんな反応があったのか。
それを言葉にして残しておく。
そうすると、あとから見返せる。職員同士で共有できる。次の活動設計につなげられる。そして何より、自分たちの支援を問い直せる。
この記録は、監査対応のためだけではない。怒られないための記録でもない。
支援の本質に戻るための記録。現場の知恵を、次の実践に手渡すための記録。
自分たちの正しさを疑うための記録。
そういう記録でありたい。
ただ、記録だけでは足りない。記録したものが、誰にも読まれず、次の実践に活きなければ、それもまた手段の目的化になってしまう。
だから必要なのは、記録と対話をつなげることだと思う。
書く。
読む。
話す。
試す。
また書く。
この循環が大事だ。
山の畑では、活動をいくつかの入り口に分けて考えている。
グリーンワーク。
ものづくりサポート。
ITワーク。
スマイルコネクト。
それぞれの活動は、別々に見える。でも、本当はつながっている。
畑の作業がお店につながる。
ITワークが情報発信につながる。
スマイルコネクトが地域との関係につながる。
だから、活動ごとの情報も、ばらばらに置いておくだけではもったいない。
どの活動が、どこにつながっているのか。
どの利用者さんの力が、どの場面で活きそうなのか。
どの地域資源と組み合わせられそうなのか。
そういう見取り図があると、現場は少し動きやすくなる。
僕たちが「しごと組みAI」やクエストボードのような仕組みを考えているのも、たぶんそこにつながっている。
それは、現場を機械的に管理したいからではない。
利用者さんを作業に当てはめたいからでもない。
むしろ逆だ。
一人ひとりの状態や得意さ。その日の活動。事業所の予定。地域とのつながり。
そういうものを見えるようにして、無理なく組み合わせるための仕組み。
閉じないための仕組み。
職員の頭の中だけに閉じない。
その日その場の勘だけに閉じない。
情報を共有し、意味づけを共有し、次の選択肢を増やしていく。
それができたら、現場は少し楽になるかもしれない。
そして、利用者さんにとっても、活動に入りやすくなるかもしれない。
予定が見える。
選択肢が見える。
自分の役割が見える。
活動の先が見える。
そうすると、少し安心できる。
安心できると、少し動ける。
少し動けると、役割が生まれる。
役割が生まれると、誰かとつながる。
つながると、また可能性がひろがる。
ここでもやっぱり、つながって、ひろがるに戻ってくる。
仕組みというと、冷たいものに聞こえることがある。
マニュアル。
チェックリスト。
フォーム。
スプレッドシート。
記録システム。
情報共有ツール。
そういう言葉だけを見ると、少し堅い。
でも、本当は仕組みも、あたたかいものになれるはずだ。
人を管理するためではなく、人が動きやすくなるために。
支援者が抱え込まないために。
利用者さんが選びやすくなるために。
活動の意味が見えやすくなるために。
現場の知恵が消えないために。
そのための仕組みなら、僕は大切にしたい。もちろん、仕組みが増えすぎると苦しくなる。何でもフォームに入れればいいわけではない。何でも記録すればいいわけでもない。何でも可視化すればいいわけでもない。可視化しすぎることで、かえって人が見えなくなることもある。
ここでも、やっぱりバランスだ。
仕組みに閉じない。
記録に閉じない。
数字に閉じない。
でも、感覚だけにも閉じない。
そのあいだを行き来する。
現場の肌感覚と、蓄積された記録。職員の経験と、共有された知恵。
本人のその日の様子と、これまでの変化。
制度上必要な記録と、支援の本質に戻るための記録。
それらが相互に作用し合うようにする。
そこに、閉じない仕組みの意味があるのだと思う。
たとえば、朝の共有。
今日、誰が来るのか。
体調面で気をつけることはあるか。
受託業務はあるか。
畑は何をするか。
お店は動くか。
屋外が難しい人は、どの活動に入れそうか。
この利用者さんは、昨日こんな様子だった。
今日は少し見通しを丁寧に出した方がいいかもしれない。
こういう情報が共有されるだけで、現場の動きは変わる。
ただの業務連絡ではない。
支援の方向をそろえる時間になる。
そして、夕方の振り返り。
今日は何が起きたか。
うまくいったことは何か。
少し引っかかったことは何か。
明日に持ち越すことは何か。
本人の表情や言葉に、どんな変化があったか。
そこを少しでも言葉にしておく。
それだけで、今日の実践は明日につながる。
もちろん、毎日完璧にできるわけではない。
忙しい日もある。
疲れている日もある。
記録が追いつかない日もある。
むしろ、そんな日の方が多いかもしれない。
でも、だからこそ、完璧な仕組みではなく、続けられる仕組みが必要なのだと思う。
小さくていい。
荒くていい。
全部でなくていい。
でも、消えてしまいそうな大事なことを、少しだけ残せる仕組み。誰か一人の頑張りに頼りすぎない仕組み。現場の違和感を、次の改善につなげられる仕組み。そういうものを、少しずつ育てていきたい。
カイゼンという言葉も、僕たちはよく使う。
大きな改革ではない。
完璧な答えを一度で出すことでもない。
少し気づく。
少し変える。
やってみる。
また見る。
また変える。
その繰り返し。
誰かが悪い、と見るのではなく、
何が起きているのか。
どこに摩擦があるのか。
どうすれば使いやすくなるのか。
人を責める前に、場を変えられないか。
そう考える。
これも閉じないための仕組みだと思う。
問題を個人の中に閉じない。
関係性や環境の中で見る。
そして、小さく変えてみる。
この視点があるだけで、現場は少し柔らかくなる。
支援も少し優しくなる。
閉じない仕組みとは、立派なシステムだけではない。
本人の人生へ。
職員同士の対話へ。
地域との関係へ。
次の実践へ。
未来の自分たちへ。
仕組みは、そのためにある。
だから、僕たちは仕組みをつくりながら、同時に仕組みを疑い続けたい。
この仕組みは、本当に人を助けているか。
現場を楽にしているか。
本人の選択肢を増やしているか。
支援の本質に戻れているか。
それとも、また新しい「ちゃんと」になっていないか。
そう問いながら、使い続ける。
変え続ける。
それが大事なのだと思う。
閉じない事業者であるためには、理念が必要だ。でも、理念だけでは足りない。
仕組みが必要だ。でも、仕組みだけでも足りない。
理念と仕組み。
記録と対話。
現場感覚とエビデンス。
支援と仕事。
本人と地域。
それらが、つながって、ひろがっていく。
そのための小さな設計を、僕たちは続けている。
まだまだ途中だ。むしろ、途中だらけだ。でも、途中だからこそ、記録する意味がある。
途中だからこそ、振り返る意味がある。途中だからこそ、仕組みを変えていける。
今日の小さな気づきが、明日の活動を少し変える。明日の活動が、誰かの役割を少し増やす。その役割が、地域との関係を少し広げる。
そんな循環を支えるために。
僕たちは、閉じないための仕組みを、これからも少しずつ育てていきたい。
閉じない事業者であるための練習は、今日も続いている。
※次回は、「閉じない事業者論⑦」として、閉じない発信について考えてみたい。何を見せ、何を見せないのか。福祉色を前面に出さず、でも理念は隠さず、地域や未来の仲間にどう伝えていくのか。そんなことを書いてみたい。