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3 months ago
デベロッパーとして都心の再開発を経た私が、自然と共生するライフスタイルの実現にチャレンジする理由
建築から不動産デベロッパーへ 建築学科では、ものづくり、建築、まちづくりを通して社会にアプローチする面白さを見つけ、そこから自分の人生観、キャリア形成がスタートしています。卒業後は不動産デベロッパーである森ビルに入社しました。建築デザインも好きですが、それよりもビジネスとしての不動産・建築に携わりたいと思ったのが大きな理由です。実は有名建築家の建物って資産性とはあまりリンクしていなくて、市場評価が低い場合も結構ある。この建物はデザイン的には優れているが、実際にはいくらで市場評価を受け、どのぐらい使いやすいのか。もう少し建築をビジネスとして多面評価できる領域として、不動産を選びました。そこ...
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4 months ago
Vol.5 未来のチームメンバーへ - CEO 福島からの手紙
Text by 福島弦 , CEO「今、自分が取り組んでいる事業は、人生を賭けて取り組みたいことか?」この問いに、100%の自信を持って、Yesと答えられる。それが私にとってのSANUである。人生の時間は限られているし、事業を興すというのは苦労の連続でもある。それでもぐっと歯を食いしばれるのは、間違いなくこの事業が、会社が、世界を良くするんだという確信に近い信念であるし、それによって今いる素晴らしい仲間たちに出会うことができたとも思っている。SANUは世の中のスタートアップの教科書とはまるで正反対の方法で進んできた。まず、ファウンダー兼ブランドディレクターである本間貴裕に誘われて創業して...
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4 months ago
Vol.4 自然回帰の潮流とSANUの未来
Text by 境はづき , Director of Corporate Strategy例えば夏休み前の小学校の教室で、「今年の夏はセカンドホームで過ごすんだ」という会話がされていたら、少しびっくりしてしまうと思います。もっと多くの人が、気軽に自然との接点を持てるように。我々SANUはまず、日本の”セカンドホーム”の概念を変えたいと思っています。📷セカンドホームを”一部の人の贅沢なもの”から”気軽に持てる自然との結節点”へまず最初にお伝えしたいのは、SANUはセカンドホーム屋さんではないということです。私たちがやっているのは「Live with nature. / 自然と共に生きる。」...
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4 months ago
Vol.3 SANU 2nd Homeの体験と、その指針
Text by 坪井大輔 , Head of Operationsキャビンの扉を開けるとき、つい ”ただいま” と言ってしまう。そんなシーンを思い浮かべながら、自然の中のもう一つの家「SANU 2nd Home」の体験をつくっています。都市生活の余白を、自然の中で過ごす📷SANU 2nd Homeは、月額5.5万円で各地のSANU CABINを自由に利用できる、サブスクリプションサービスです。都市と自然を軽やかに行き来する、新しいライフスタイルを提案しています。都市の便利な生活を捨てるわけではなく、都市生活の余白を自然の中で過ごす二拠点居住の(さらに、お気に入りの “二拠点目” を日本中...
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4 months ago
Vol.2 自然と共に生きる、私たちの環境問題への価値観
Text by 水谷彩 , Head of PR & Creative Leader「馴染みの中華食堂には潰れてほしくない」というだけのシンプルなはなしーなぜSANUは「自然の中へ繰り返し通い、生活を営む」新しいライフスタイルを提案しているのか?それは、至ってシンプルなことです。例えば、あなたの馴染みの中華食堂が経営不振で閉店しそうになっていたら。きっとあなたは、仲間を誘って足繁く店に通うでしょう。まだその店に行ったことがない友人には、おすすめのメニューを提案するでしょう。そのお店を好きになって、直面する危機を共に救ってくれる仲間を1人でも増やすために。 この「あなた」をSANUに、「中...
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4 months ago
Vol.1 新しい生活様式を提案する、SANU創業の思い
Text by 本間貴裕 , SANU Founder / Brand Director一人で下を向き、思わず笑顔になってしまう瞬間がある。早朝、誰もいない海。オレンジや紫、赤といった無数の色を湛えた朝焼けに染まる海面を、穏やかな波と共に滑る時。雪の降る白銀の冬山。仲間との距離がひらき視界から人が消え、ふと静寂が訪れた時。30歳になった頃、私の人生は有限であり、かつ、自然は圧倒的に美しいことに気がついた。この時に何か特別なことがあったわけではない。しかし、20代を終え、肉体的にはこれから衰退していくんだな、なんて考えていた思考の先に行き着いた感覚。ちょっと待てよ、こんなに海も山も楽しいの...
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7 months ago
現代アート一筋でキャリアを築いた私が、次の挑戦にSANUを選んだ理由
ボーイスカウトに熱中し、自然に魅了された学生時代 Photo: TimotheeLambrecqもともと実家は神奈川の山間の方で、少し足を伸ばせば猪に遭遇するような環境で生まれ育ちました。小学校4年生のときに両親の薦めでボーイスカウトを始めるとあっという間に夢中になり、高校時代にはアルバイトで貯めたお金でイギリスの世界大会(3週間にわたるキャンププログラム)に参加するほどでした。キャンプやハイキングなど自然の中での活動は、天候に左右されたり、食事も時間と手間がかかり不便なことばかりです。でも、その不便なことこそ昔の人の生活では当たり前のことで、少し工夫すると快適にできることや、娯楽がなく...
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7 months ago
伊藤忠商事で商売に熱中してきた僕が、「自然と共に生きる」SANUで30代の新たな挑戦をするまで
幼い頃から、「どう生きるか」への関心が強かった📷私は東京都の出身ですが、子供の頃は週末や長期休みのたびに自然の中へと通う生活を送っていました。夏休みには母の出身地である秋田の海に入り、鳥海山に登り、白神山地をトレッキング。秋田から戻れば、今度は父の出身地である逗子で遠泳を行い、その仲間と伊豆の海沿いの民宿で泊まり込み生活。そのような生活の中で、自然の中で多様な暮らしを実践する大人にも多く出会いました。特に、小学生の頃お世話になった丹波篠山の陶芸家の方から大きな影響を受けました。日中は畑の手入れや裏山での山菜取り、薪割り、窯の補修、陶芸作品づくりなどを行い、作業の合間には1日に2回のお茶を...
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7 months ago
上海に6年駐在、キユーピーで中国新規事業の立ち上げを担った僕がコンサルを経てSANUの運営を統括するまで
喜多方の自然と戯れ、スポーツと音楽に没頭した学生時代僕は美味しい水とラーメンが有名な町、福島県の喜多方市で生まれ育ちました。好きなことは人を笑わせること、スポーツ、そして音楽。野球部でキャプテンを務めながらバンドでドラムを叩き、コーラス部にも所属して決して上手くはないが高らかにアルトパートを歌いながら(映像で見ると恥ずかしい程デカい声で歌っている。笑)、夏は川に飛び込み、冬は雪と戯れる。面白そうなことには片っ端から首を突っ込むタイプでした。実は、このタイミングでSANUの創業者である本間貴裕と出会います。進学した高校の同級生で、共にテニス部で団体戦を戦う仲間でした。 SANU創業者本間...
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7 months ago
ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーと外資系金融でキャリアを築いた私がSANUでコーポレート領域を担う理由
私が仕事を選ぶ時の決め手は、ただひとこと「直感」。新卒で入社したゴールドマン・サックス、異業種に挑戦したラグビーワールドカップ、そしてSanu。いずれも、出会った時の直感が原動力でした。ただそこには、直感を確信させる共通点もありました。「誰と働くか」で選び、外資金融の世界へ就職活動をしていた2000年頃は、外資系金融機関の拡大期でした。ゴールドマン・サックス(以下GS)を含むいわゆる「外資金融」は、80年代に日本に上陸したのち、90年代後半にかけて日本の市場にストラクチャード商品や証券化商品といった新たな手法を取り入れ、急拡大の最中にありました。それに伴い採用活動にも熱心で、そこで働く人...
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7 months ago
NTT研究所、Plan・Do・See、LINEを経て、SANUのデジタルを一手に担うまで。
自然豊かな田舎で、パソコンに熱中した学生時代私は日本で最も人口が少ない地方の出身です。なんの変哲もない田舎で、なんの変哲もない幸せな共働き家庭に育ちました。普通と違う点といえば、実家が神社の家系で、父が兼業の神主だったことぐらいでしょうか。父は普段は市役所で公務員として働き、休日には時たま神主の格好で出かけていく人でした。映画や音楽が大好きで、自室には膨大な映像・音楽ライブラリや楽器を所有していました。彼の部屋には、他にも面白いものが幾つかありました。ひとつは科学雑誌「ニュートン」、もうひとつはパソコンです。Windows95が出る前から家にパソコンがあり、父が使っていました。市役所勤め...
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7 months ago
三井物産でインフラ事業に熱中していた私が、ロシア駐在を経てSANUに賭けた理由
よく仕事し、よく飲み、よく遊んだ物産時代子供のころから漠然と「国際的な仕事がしたい」と思い、業種関係なく様々な国・地域の人と仕事ができるかもと三井物産に入社しました。チームで働き、かつ次世代に残る仕事がしたいと考え、第一希望だったインフラプロジェクト部門に配属。 当初は専門用語が多すぎてチンプンカンプン、眠気と戦いながら読んでいた英語のEPC契約(≒工事請負契約)にもめげず、地道に仕事を取りながら徐々に先輩たちの信頼を勝ち取り、それに比例して仕事の裁量とやりがいも増えていきました。平日は当然フルで働き、週末も仕事をするか会社の同期やテニス部の仲間と遊ぶかという、まさに「物産一色」の生活を...
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