メンバーと対話の中で出てきた問いがあります。「定着」は、本当に正しいのか、という問いです。
採用支援の仕事をしていると、定着という言葉には毎日のように触れます。採ったのに辞めてしまう、どうすれば長く働いてもらえるか。ご相談の多くは、最終的にそこへ行き着きます。私自身、これまで何の疑いもなく「定着させましょう」と言ってきました。
ただ最近、その前提そのものが揺らいでいます。
その対話の中で、私の口から「そもそも定着って、必要なんでしたっけ」という言葉が出てきたんです。自分でも意外でした。採用支援を生業にしている人間が言うことではない、という自覚もあります。それでも口に出してみたら、思っていた以上にしっくりきてしまった。
「ホワイトすぎる退職」が起きている

そう思うようになった理由のひとつに、最近よく耳にする「ホワイトすぎる退職」があります。
定着させたい。辞めさせたくない。その思いが強くなるほど、上司は部下に厳しいことを言えなくなります。負荷の高い仕事は振らない。指摘は柔らかく、期限も緩めに。退職の芽を摘むという意味では、合理的な判断です。
働く側も、最初のうちは居心地がいい。無理をしなくていいし、詰められることもない。
ただ、しばらく経つと別の感覚が出てきます。自分はいま、成長しているのだろうか、という感覚です。負荷がかからなければ、できることも増えません。3年経っても、去年と同じ仕事を同じ精度でやっている。そして「ここにいても伸びない」と思った瞬間に、辞めていく。
ホワイトな環境を丁寧に用意したのに、辞められる。しかも理由が「ホワイトすぎるから」。
では、厳しくすればいいのか。そうも思いません。「厳しくするか、甘くするか」の二択で考えている限り、この問題は解けない気がしています。
最近、組織について学び直しているなかで腑に落ちたのが、エンパワーメント型という考え方です。命令して管理するのでもなく、負荷をかけないよう遠ざけるのでもない。目標を明示したうえで権限を渡し、支援する。結果に対する責任は渡した側が持ち、実行に対する責任は受けた側が持つ。
そう考えると、負荷をかけないことが優しさなのではなく、権限を渡さないことのほうが、その人の成長機会を奪っているのかもしれません。
だとすると、必要なのは定着させるための工夫ではなく、定着という言葉そのものを設計し直すことではないか。「辞めさせないこと」ではなく、「この会社にいる意味を実感してもらった結果として、その人が留まっている状態」。定着をそう定義し直せば、打ち手はまったく変わってきます。
1社で成長し切ることが、難しくなっている
もうひとつ、構造的な話があります。

人の成長を、製品のライフサイクルのように捉えてみるとどうでしょうか。導入期があり、成長期があり、やがて成熟期が来る。同じ会社の同じ役割にいる限り、どこかで成熟し、そこから先は伸びにくくなる。役員に上がっていくような一部の人は別として、多くの場合は構造的にそうなります。
理由は両側にあります。個人の側では、家庭の状況が変わったり、人生の優先順位が変わったりして、以前ほどアクセルを踏まなくなる。会社の側では、一定の経験を積んだ人に対して、役職を上げる以外の成長機会を用意しづらくなる。
そして、このサイクルが以前より早く回るようになった気がしています。伸びしろの天井が、入社から数年で見えてしまう。
これは特に中小企業で顕著だと思います。大企業なら、新しい事業が立ち上がり、そこで責任者を任され、社内でキャリアチェンジもできる。けれど中小企業では、新しいことをやろうと思ったら転職するしかない場面が多い。
若手が2〜3年で次の会社へ移っていくのは、根性がないからでも、育て方が下手だからでもない。同じ場所にとどまり続けるメリットが、単純に薄くなっているからではないか。外に出たほうが早く成長できる。そういう構造になってしまっている。
その現実を横に置いたまま「定着させましょう」と言うのは、少し無責任なんじゃないか。
そもそも定着は、その人にとって幸せなことなのだろうか。晴れやかに働くことに、ちゃんとつながっているのだろうか。最近はそういう疑問を持つようになりました。
「定着」は、誰の目線の言葉なのか
そこで考えたいのが、定着という言葉は、そもそも誰の目線から出てきたものなのか、ということです。

会社の側から見たとき
事業を大きくするには、人が安定して残ってくれたほうがいい。採用コストも下がるし、ノウハウも溜まる。だから育成し、活躍させ、定着させる。理屈としては正しい。
ただ、「定着は会社にとって得で、退職は損」という単純な図式は、実は会社側から見ても成り立っていません。
人的資本経営という言葉があります。人を資本として捉え、その価値をどう最大化するかを考える。この観点で見たとき、同じ人が同じ場所に長くいることが、必ずしも価値の最大化にはなりません。会社にも代謝は必要です。何年も同じ状態が続き、ブレイクスルーが起きていない人がいるなら、入れ替わったほうが、本人にとっても会社にとってもいい場合があります。
私たちは人事評価制度の設計やブラッシュアップの仕事もしています。そこでよく出てくるのが、「いまの社員が、もらっている給与に見合う活躍をしていない。報酬を見直せないか」という、複数の現場に共通する相談です。冷たい話に聞こえるかもしれませんが、経営としてはまっとうな目線です。そして、こういう相談が出てくること自体が、「長くいてもらえれば会社は得をする」という前提が現実には成り立っていないことの証明でもあります。
働く人の側から見たとき
いま、同じ会社に居続けることを勧める論は、以前より減っている気がします。むしろ「コンフォートゾーンに入ってしまったなら、動いたほうがいい」という考え方のほうをよく聞くようになりました。慣れた仕事、慣れた人間関係、読める1年。居心地はいいけれど、そこから新しい何かが生まれる感じはしない。
実際、転職の相談を受けていても「いまの会社が嫌なわけではない」という方が増えました。待遇にも人間関係にも不満はない。それでも動きたい、と言う。不満が理由の退職ではなく、伸びしろが理由の退職です。
3年から5年、思い切り活躍して、次の場所へ行く。そういう関わり方があってもいいはずです。同じ会社に10年、20年いることが本当に最善なのかは、いまはもう自明ではなくなっています。
つまり、会社の側から見ても、働く人の側から見ても、「定着=正解」とは言い切れない。どちらか一方の都合の話ではなく、両方から見て成り立っていない。私はそこが面白いと思っています。
「定着=善、退職=悪」という前提を疑わないまま採用の話を続けるのは、そろそろ限界に来ている気がしています。
では、定着のかわりに何を目的に置けばいいのか。長くなったので、続きは次の記事に書きます。「はたらくの出口戦略」という、最近自分の中から出てきた言葉を軸に、書いてみます。
あなたの会社では、人が辞めることをどう捉えているでしょうか。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事でお伝えしたかったのは、「定着は必要ない」ということではありません。
「定着すること」を目的にするのではなく、その人がこの会社にいる意味を実感し、結果として一緒に働き続けたいと思える関係をどう設計するか。 その問いを、私たちは考え続けています。
HaReでは、採用も、人事制度も、マネジメントも、すべてを別々に考えていません。
「誰もが晴れやかな表情で働ける社会を築く」ために、人と組織の関係性そのものをデザインし直す。
そんな実験を、自分たちの会社でも続けています。
だから私たちが仲間を探すときも、「人手が足りないから来てほしい」という発想ではありません。
一緒にこの問いを考え、これからの"はたらく"をつくっていきたい。
そんな方と出会いたいと思っています。
もしこの記事を読んで、
- 「定着という考え方を、初めて疑った」
- 「人と組織の関係をもっと深く考えてみたい」
- 「HaReが目指している世界を、もう少し聞いてみたい」
そう感じていただけたなら、ぜひ一度お話ししませんか。
選考ではありません。
まずはお互いの考えや、これから実現したい未来について、ざっくばらんにお話しできれば嬉しいです。
画面下の**「話を聞きに行きたい」**から、お気軽にご連絡ください。
一緒に、"はたらく"の常識を変える仲間とお会いできることを楽しみにしています。