【業務内容紹介】ヒトキワのセールス職、大公開!社会課題を解決する、コンサルティング営業のリアル | 株式会社ヒトキワ
株式会社ヒトキワは、「才能の架け橋を世界に」というパーパスを掲げ、日本企業と海外の人材を繋ぐ、急成長中の国際人材サービス企業です。その事業の最前線でエンジン役を担うのが、今回ご紹介する「セールス...
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「日本語が話せるか、という条件だけでマッチングするのではなく、どうすれば幸せに働けるかどうかを一番に考えています。」
株式会社ヒトキワの営業、バヤンバト ホスチメグは、まっすぐな瞳でそう語る。14歳で家族を背負う覚悟を決め、単身日本へ。言葉の壁、文化の壁、そして理不尽な壁に立ち向かい、道を拓いてきた。なぜ彼女は、ヒトキワという場所を選んだのか。自らの経験を武器に、彼女が創りたい「才能の架け橋」とは。その軌跡に迫ります。
バヤンバト ホスチメグ / 営業部
モンゴル出身。2018年に来日。2年間の日本語学校を経て、関東学園大学へ進学。卒業後、大手携帯キャリアショップでの勤務を経験し、2024年に株式会社ヒトキワへ入社。現在は、法人営業として、候補者に寄り添う共感力を武器に、圧倒的な成果を出している。
私は16歳までモンゴルで過ごしました。昔から活発で、何より「負けず嫌い」な性格です。転機が訪れたのは14歳の時、父が病気で亡くなったことでした。母は仕事をしておらず、まだ小さい弟もいましたので、悲しんでいる暇もなく、「私が家族を支えるしかない」と覚悟を決めました。日本に来た最初の目的は、正直に言うと、お金を稼いで家族に仕送りするためだったんです。
大きなきっかけは、15歳の時に親戚を訪ね、観光で一度だけ日本に滞在したことです。その時はまだ日本のことをよく知らなかったのですが、そこで聞いた「日本語」の響きと多様性に、すっかり魅了されてしまって。特に、ご縁があって少しだけお手伝いをした印刷工場で、大阪出身の工場長が話す関西弁には衝撃を受けました。「いつも聞いている日本語と全然違う!なんて面白いんだろう」と。その時から、日本という国自体よりも先に、日本語という言語そのものの魅力に惹かれていきました。
はい。あの短い滞在が、私の人生を大きく変えました。日本語の面白さに夢中になり、モンゴルに帰ってすぐ、現地の日本語学校に3ヶ月間通いました。そして、「もっと本格的に学びたい」という想いが抑えきれなくなり、今度は留学生として、再び日本の地を踏むことを決意したんです。
とにかく、日本語しか使えない環境に自分を追い込むことだけを考えていました。来日してすぐ、まだ挨拶ぐらいしかできないのに、日本語学校の隣にあったコンビニに「面接してください!」と飛び込みました。当然、「あなたの日本語では無理」と一度は断られましたが、どうしても諦めきれなくて。
はい(笑)。一ヶ月間、必死に勉強して、同じお店にもう一度面接を受けに行きました。「前回落ちたでしょ?」と言われましたが、「少し話せるようになりました!お願いします!」と頭を下げて、何とか採用していただきました。あの時の悔しさと、認めてもらえた喜びが、今も私を突き動かす原動力になっています。
そこで約1年間、必死に働きました。お客様とのやり取りを通じて、日常会話や数字の言い方など、生きた日本語の基礎を叩き込んだんです。ただ、1年経つと「もっと難しい言葉や敬語を学びたい」という欲が出てきて。このままでは成長が止まってしまうと感じ、次の挑戦としてファミリーレストランと居酒屋でのダブルワークを始めました。「生ビール」や「灰皿」といった、そこでしか使わない言葉を一つひとつ覚えていき、そうやって、常に自分を新しい環境に置き続けることで、言葉を身体に染み込ませていきました。
はい。2年間の日本語学校を終えて、群馬県にある大学に進学しました。大学の4年間も、常に日本人の中に身を置くという自分のルールは変えず、学校の近くのファミリーレストランでアルバイトを続けました。そこでは、言葉だけでなく、日本人特有の考え方やチームワークの大切さなど、多くのことを学びましたね。
「一度負けたら、次はない」と、常に自分に言い聞かせているからかもしれません。父が亡くなってから、誰かに頼るという選択肢はありませんでした。だから、自分で道を切り拓くしかなかったんです。周りの人が諦めるようなことでも、私は絶対に諦めない。その気持ちが、私を突き動かしてきたのだと思います。
はい。大手携帯キャリアショップでお客様対応をしていました。しかし、そこでの経験が、私に「働く上で最も大切なこと」を教えてくれました。それは、「仕事内容より、一緒に働く仲間が一番大事だ」ということです。その職場は個人の意見が尊重されにくいトップダウンな風土で、チームで協力するというよりは、上からの指示に従うことが求められる環境でした。これ以上ここで自分は成長できない、と転職を決意しました。
自分の経験を活かして、同じように日本で頑張る外国人の力になりたい、という想いがずっとありました。そんな時、転職サイトで「外国人チーム」「法人営業」と書かれたヒトキワの募集を見つけたんです。ヒトキワなら、営業スキルだけでなく、法律や経営の知識も学べる。それは将来、私の母国で、私と同じように日本での就労を目指す人たちの人材支援をする上で、必ず役に立つ経験になるはずだと考え、入社を決めました。
最高です!入社してから、「仕事に行きたくない」と思った日が一度もありません。平均年齢が27歳と若く、役員や上司も、全く偉ぶることがないんです。私が仕事で気持ちが落ち込んでいると、上司である中山さんや寺西さんだけでなく、代表の金子さん自ら「どうしたの?」と声をかけてくれることもあります。役職に関係なく、一人の人間として心配してくれる。一人ひとりを、本当に大切にしてくれている、という実感がありますね。
はい。ヒトキワでは、個人の目標以上にチーム全体の目標達成を重視しています。数字が伸び悩んでいるメンバーがいれば、誰からともなく「手伝うよ」と声をかけ、チームでカバーし合うのが当たり前。営業会社にありがちな、個人同士が競い合うギスギスした雰囲気は全くありません。社員旅行で沖縄に行ったり、休日にフットサルをしたり、仕事以外の交流も多いので、自然と強い信頼関係が生まれているんだと思います。
法人営業として、人手不足に悩む企業様と、私たちの教育サービスを受けている外国籍の候補者を繋ぐ仕事をしています。やりがいを感じるのは、やはり企業様と候補者、双方から「ありがとう」と言われる瞬間です。特に、私自身がモンゴル人として企業様と話すことで、「外国籍の方でも、こんなにしっかりしているんだね」と、少しでも偏見をなくすきっかけになれた時は、本当に嬉しいですね。
日本語が話せるか、という条件だけでマッチングするのではなく、どうすれば幸せに働けるかどうかを一番に考えています。すぐに辞めてしまったら、企業様にも、そして何より日本でのキャリアを夢見て来た候補者本人にも、申し訳ないですから。だからこそ、私たちはその人の人間性や、働くことへの真面目な気持ちといった、履歴書だけでは見えない部分を深く理解するように努めています。
ありがたいことに、私たちのビジネスモデルは、この想いを後押ししてくれます。ほとんどのお問い合わせは、企業様から直接いただくので、私たちは新規開拓に時間を割くのではなく、一人ひとりの企業様、一人ひとりの候補者と、じっくり向き合うことができるんです。
はい。私も、日本語が話せない時期、仕事が見つからない時期がありました。だから、候補者たちの不安や、日本で人生を変えたいという強い気持ちが、痛いほどわかるんです。ビザが取得でき、「メグさんのおかげで、日本にいられるようになりました」と涙ながらに感謝された時は、この仕事を選んで本当に良かったと心から思います。彼らの人生が変わる瞬間に立ち会えることが、何よりのモチベーションです。
2つ、大きな夢があります。1つは、日本にヒトキワ独自の日本語学校を設立すること。そしてもう1つは、私の母国であるモンゴルに、ヒトキワのグループ会社を創ることです。これは、私一人では決して実現できません。だからこそ、今いる最高の仲間たちと、そしてこれから入社してくれる未来の仲間たちと共に、この夢を追いかけたい。
私たちが求めているのは、経験やスキルではありません。相手の気持ちを本当に理解しようと努力できる人、そして、できない理由を探すのではなく、「どうすればできるか」を考え、行動できる人です。嘘をつかず、誠実に、自分の目標に向かって努力できる方なら、必ず活躍できます。この想いに共感してくださる方と、一緒に働ける日を楽しみにしています。
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