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Konelのアートって何ですか?人情派キュレーターが考えるその未来。

プロデューサー/アシスタント・ディレクターとして活動しつつ、Konel初のキュレーターでもあるカイトこと長野魁斗。謎めいた雰囲気とコワモテな風貌とは裏腹に、物腰やわらかく周囲をさりげなく気遣う、温かいハートの持ち主です。今回はそんな彼が考えるKonel流のアート表現について聴きました。

突如開眼した高校時代

―今は金沢のメンバーとして活動するカイトだけど、出身は四国だよね。どんな子供だったの?

自分は愛媛県出身で、2歳の時に父が亡くなり母子家庭で育ちました。また、生まれ育った町は工業地帯で、いわゆるブルーカラーの人たちが多い地域でもありました。
そういう地域って親の所得やコミュニティでの立場が暮らしに大きく影響するんですが、自分の家は比較的裕福だったので、家族や周りの人たちからは“良いところの子”として手堅い進路を歩むだろうと思われていたみたいです。
そのこと自体に違和感や反発はなかったんですが、実際の自分にはヤンチャな友達も多く、真面目な学生とは言い難い状況で、周りから見られる自分と自覚している自分との間にかなりギャップがあるなと子供ながらに感じていました。

―カイト、いかにも強そうだし、ヤンチャでした感ある・・・。東京リベンジャーズ的な世界?

あそこまでではないです(笑)。昔もグレてるとは思ってなかったですが、中学生ぐらいの時は、上下スウェット+健康サンダルがユニフォームではありましたね。高校も、家を出てコンビニに寄って遅れて学校に着くのが当たり前で、、授業に出ても寝てるのが日常でした。おまけに、文化祭や修学旅行もなかったので、高校時代の記憶はほとんどないです。

強い。(社員旅行のワンシーン)

―そこからどうして上京して大学進学することになったのか不思議・・・。

高3のGW前まで本当に何もせず、無気力な生活をしてました。でもある時、友人がご両親の離婚をきっかけに引っ越したので、その手伝いに行ったんですよ。その友人はご家庭の事情とか色々があり進学を諦めたんですが、片づけを手伝いながらポツポツと話をする中で、彼に「お前は大学行けよ」って言われて。
それを聞いて、なんだか突然『ここで頑張らなくちゃクソだな』って思ったんですよね。自分で自分の人生を選べない状況にある人が彼以外にもたくさんいる環境の中で、自分は何かしなきゃいけないんじゃないかって。
当時は中一英語もわからないくらいの学力しかありませんでしたが、その次の日から1日12時間ぐらい勉強するようになりました。

―極端すぎる!(笑)

「大学行きたい」と言っても笑われるような状況だったんですが、周りの友達と母親は最後まで味方でいてくれましたね。猛勉強して、無事東京の大学に受かり通い始めたんですが、いまいち居心地が悪くて・・・。それで、親の影響もありなんとなく服飾の世界を目指そうと思って、フランスに渡りました。でも結果的にファッションの世界もしっくりこず、帰国してとりあえず大学を受け直すことにしたんです。

アートとの出会い

―それが中央大学だったと。本格的にアートを学び始めたのはそこから?

はい。日本の総合大学で美術史を学べる学校は数えるほどしかないんですが、そのうちのひとつが中央大学で、フランス美術史を専攻しました。美術史を強い興味があったわけではないんですが、たまたま受けた阿部成樹先生の講義がとてもおもしろくて、だんだんハマっていきました。特に、当時阿部先生が講義の中で、何か対象物を見る時にそれだけで良し悪しを判断せずに、“それが形成されるまでの過程”と向き合うことが大事だと仰っていて、その点がすごく刺さりました。自分の中にあった、世の中の一方的な視点と自分自身の視点とがちぐはぐだなと思う感覚が、講義を通じて紐解かれていくような印象的な体験でした。

―子供の頃からの違和感がアートで解放されていったんだね。その後は就職せずに東京芸大に進学したのはなぜ?

瀬戸内国際芸術祭で豊島に行ったことがきっかけでした。自分の地元と豊島が似てるなと思ったんです。海辺の街で田舎具合も似ていて、ドック(造船や修理のための施設)があって。でも自分の地元は殺伐とした雰囲気なのに、豊島は違っていました。豊島にはアートを求めて世界中から来た人が行き交い、ポジティブなコミュニケーションがあったんです。
その違いを目の当たりにして、いつか地元でこんなことをやれたら、友達の子供に続いてしまいそうな負の連鎖みたいなものも断ち切れるんじゃないか?皆が自分らしく生きていくことができるんじゃないか?と思いました。

豊島美術館と棚田と瀬戸内海

―素敵な話。カイトならではの視点だね。

その後卒論制作もあったので、瀬戸内国際芸術祭やアート、文化について色々リサーチをするようになり、より深く学びたいと思うようになって、東京芸大の大学院を受験しました。
縁があって無事入学できたのですが、入学後はその当時いただいていた仕事が忙しく、合間を見つけてリサーチを行う状況で、ここでも真面目な学生ではありませんでした。なので、担当教授の熊倉純子先生にはかなりご迷惑をおかけしたのですが、先生には自分のスタイルを否定されることもなく、「今までと違う形で、アートを通して世の中にポジティブな影響を与えようとしている人が求められているから」と言って、応援してくれて。その一言は、とてもありがたかったです。

インディペンデント・キュレーターとしての活動も。都市の中で洞窟をコンセプトに企画した、BIEN×Mars89による企画展『Hole in the View』(2019)

90年代生まれの作家たちよる、反虚構を再現したグループ展『BUG4ASS』(2021)

Konelがやっていることは、実はすでにアートだった?

―そしてKonelとの出会いは約2年前でした。きっかけは?

東京芸大卒業後はいろいろクリエイティブ関係の仕事をしていたんですが、ちょうどフリーで担当していたプロジェクトの区切りがついた頃で、何か新しいことをしたいなと思ってました。そうしたら友達がKonelっていう面白そうな会社があると教えてくれて。それで面接してもらったんですが、“欲望を形に”というビジョンや越境を奨励する感じがしっくり来て、素直に働きたいなと思いました。それに代表の出村さんや金沢代表の宮田さんも信頼できると方々だなと思ったので。
面接で「金沢で勤務するのはどう?」って言われて、「いいですよ」って答えて、以来金沢オフィスを拠点にしています。

―これまでやってきた中で印象に残っているプロジェクトがあったら教えてください。

うーん、なんだろう?どのプロジェクトも面白いですよ。とりあえず毎日楽しいです(笑)。

―そりゃ最高だ(笑)。

何かひとつ挙げるとすると、Konelで初めて担当した「シャトラス」という織ネームの会社のブランディングは、気づきの多い仕事でした。
過去のお仕事では、限定されたターゲットに対していかに情報を伝えるかに集中していましたが、ブランディングは必ずしもそうではない。より広く訴えるためにはチューニングして伝えることが必要なんだなと改めて学びました。

https://shatrus.com/

―アートの届け方と言えば、Konelは届けるアート自体もまだまだ少ないし、“アーティスト”としてはまだまだ駆け出しのレベルだと思うんだけど、それは気にならなかったの?

アートとは何か?ということについては、いろんな解釈があると思いますが、自分は“何かを生み出し、影響を与え合うこと”がアートなんじゃないかと思っています。なので、たとえクライアントワークでも、斬新なイベントやWEB、紙媒体などのクリエイティブ、新しいものを生み出す過程でのプロトタイプも含めて、アートだと言えると思います。Konelはやりたいことを何でもやってしまうことで、外の方からは「どんな会社なのか説明しにくい」って言われますけど、それは枠に囚われず純粋に何かを生み出して、世の中としっかり影響を与え合ってる証拠だと思います。

―なるほど。そのKonelの中で、カイトはどんな役割を果たしていきたい?

自分のKonelでの役割は、チームとしてやっている“欲望を形にする”ことは変えずに、アート業界へ輸出していくことだと思ってます。

長い時間軸の中で高みを目指す

―Konel自体はやってることを変えなくて良いんだ。

そうですね。大切にしたいのは、クリエイションに優劣をつけないということかなと。クリームパン作るのも、数億円の作品を作ることも、ビジュアル系バンドのライブも、その内容が素晴らしければ皆同じだけ尊いと思うんです。
その中で、唯一アートとして認められることのメリットがあるなら、世界中からリスペクトを得られる点だと思います。ただ、名誉のためにそうしたいのではなく、認められることで、やってきたクリエイションが使い捨てられずに、長いスパンで意味があるものだと評価してもらえる。そういう環境へ、Konelとして乗り込んでいければと考えています。

―あぁ、同じような内容でも、雑誌だと読み捨てられがちなのに、学術書だと何十年も読み継がれていく、みたいな感覚かな。

近いですね。アートとして評価されることで、評価を受ける時間軸が長くなる。そうなると、次の世代の人たちにも作品を通じて何かを学んだり、感動したりという状況を作れる。それ自体はすごいことだと思う一方で、アートそのものが特別優れているわけではないと思うので、“アートの中で遊ぶ”くらいのつもりでいるのがKonelらしいんじゃないかなと思います。

―アートの世界で渡り合うことで、Konelが社会に対して何らかの貢献できそうなのはもちろんだけど、同時にKonelにとってもメリットが大きそうだね。

アートって、世の中の99%の人には多分どうでも良いことで、残り1%の人にとってはすごく大事なこと。ただ、その1%の中で得られる濃密な人脈や学びは、ほかでは得られないもので、Konelの視野を広げてくれるものだと思います。今の日本だと同じ方向性のチームとして、チームラボさんやライゾマティクスさんが頭ひとつ抜けている状況ですが、彼らもリスペクトしつつ、Konel独自のポジションを模索できたらと思います。

―では、アーティストとしてのKonelの特徴って何だろう?

“共感”や“共生”の要素が強いアートを作るのがKonelだと思います。
今年の春に発表した「3753」も“ともに生き方を考える”ことがテーマでしたし、7/30日から展示予定の脳波を用いた作品「BWTC」もたくさんの人と作り上げるものです。そのほかのクリエイションも、独りよがりではなく多くの人の視点を混ぜたものが多いことが最大の特徴だと思います。

2022年1月、Konel初の個展となった《3753》は、現代における「繋がり」のあり方に着目し、神事としての七五三を再考することから生まれた。

「BWTC」では、自動買取機を用いて脳波を買い取り、独自のプログラムによって脳波絵画を生成し、さまざまな価格で販売。目には見えないさまざまなデータが無意識に取引される現代で、情報の価値について考え、新たな取引の形を模索することを目的にしている。

―最後に、これからやりたいことを教えてください。

やりたいこととは違うかもしれませんが、“良く生きたい”ですね。人として、義理・人情を欠いたら終わりだと思っているので(笑)。家族や地元の友達、大人になってから支えてくれた人たちに、ちゃんと恩返しをしたいです。大事な人との時間や関係は大事にしたいですね。

―“魁斗”という名前からして義理堅い感じがするよ。

その名前に負けない顔に生んでくれた親に感謝ですね。今日はどうもありがとうございました。

―いやいやそんなお礼を言われるようなことは何も・・・!やっぱり義理堅い(笑)。

聞き手:丑田美奈子/撮影:Adit

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