BES社長である田中千晶さん。ネットで検索するもあまり記事が出てこない謎多き社長。今回はそんな田中さんの幼少期から起業時代の苦労話しに迫りました!
-幼少期はどのように過ごされていたんですか。
淡路島の中でもど田舎に育ったんだよね。遊ぶに関しても畑で遊ぶとか、田んぼで遊ぶとか、川で遊ぶとか何だよね。友達も少なかったんだよね。人口が少ないから笑 一人一人の繋がりは濃いんだけど、人と何かをするっていうよりも自然な中で3個上のお姉ちゃんと遊んでいたんだよね。
今の仕事に活きているのは、自制心とか、自分が本当に何をしたいのか、どう考えているのかがクリアに見えるんだよね、ノイズがないっていう感覚なのかな。他人にどう思われるよりも自分がどうしたいかなぁ。自分がシンプルに楽しいと思った遊びを見つけて遊んでいたね。
学校ではご存知の通り体育会系だったんだよね。自分で言うのも何なんだけど、ボール感覚が良かったんだよね。小学校の時はバレーボールやっており、レフトでエースでキャプテン。淡路島の島の大会で2位だったんよ。
そんな小学校生活を経て中学校、高校は卓球部。朝練、昼練、夜練の三部構成というハードな日々。成績は中学校でシングルスやダブルスで淡路島の中で優勝していて家にトロフィーは一杯あるんだよね。
高校ではミキハウスに所属していて、石川さん、あいちゃん、平野さんとやらせてもらったりしてたんだよねぇ。社内のメンバーには知られていないけど、高校ではインターハイにも出場していたんだよね。
団体でベスト16の成績だったんよ。この時は卓球で飯を食べていきたと本気で思っていたから全国ベスト16の成績に対して全く満足出来なかったんだよね。あぁ卓球で食べていくのは無理だなぁってその時に思ったよね。食っていける保証がないと思ったんよ。
勉強もそれなりに出来たんだよねぇ。小中学校の時までは笑
100点取れたらご褒美で100円もらえる制度が田中家にあったんだよね。100点貯金箱があってそれに貯金してた笑
ただ高校に入ってからは卓球一筋になったので全く勉強しなかった。勉強が不完全燃焼なので、浪人して島から出て予備校に通ったんだよね。お姉さんの私立大学に居候しながら勉強してたんよね。
当時はまっていたことは?
卓球、バレーボールという球技が好きだったかなぁ。今も週2時間はトレーニングしているし。
自分の性格が凝り性なんだよね。卓球で賞がもらえたら、次は県大会ベスト4。その次は近畿大会ベスト4を目指す。といったように目標設定をしてどうやったら次勝てるのかを考えるのが好きなんだよね。
幼少期から活発で卓球にすべてを注いできた代表の田中千晶さん。次回は〇〇万円稼いだ大学時代のエピソード、起業までのきっかけに迫ります!