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【CEOインタビューその1】アクトビ創業までのキャリアについて聞いてみた

テクノロジーとビジネスの両軸を兼ね備えた人材が集まる組織を作る。

そんな組織の創業者である藤原良輔にインタビューを行うCEOインタビューの第一弾。

初回は藤原の経歴と創業までの経緯についてインタビューしました!

プロフィール

株式会社アクトビ 代表取締役 CEO                                   藤原 良輔 (ふじはら りょうすけ)

1987年9月22日 大阪生まれ 自動車整備の専門学校を卒業。
メルセデス・ベンツ正規ディーラーにてメカニックとして勤務。メルセデス・ベンツ公認メカニック2級を取得後、退職し個人でダイニングバーを開業。その後、プログラマを志し東京のSIer企業へ転職。複数のiOS/Androidアプリ受託案件やIoTサービスの立ち上げを経験。アプリケーションエンジニアとして主にiOS/Androidアプリを企画からローンチ、運営までを一人で経験する。同時にマーケティング、サポート業務も経験。 その後、コンサルティングベンチャー企業を経てフリーランスエンジニアとして独立。地元大阪へ戻った後、2018年2月 ACTBE Inc.設立。

IT業界に入ったのは25歳の時だった

__よろしくお願いします。さっそくですが、これまでのキャリアについて教えて下さい。藤原さんって起業前からエンジニアですよね?学生時代から情報系だったんですか?

いえ、僕は自動車整備士の専門学校卒なんで、最初は整備士としてメルセデスベンツのディーラー勤めからキャリアをスタートしました。20歳~22歳までですね。

ちょっとこのあとからがぶっ飛んでるかもしれないんですが。

一年半で整備士は辞めちゃうんですよね。そもそも整備士になった理由が、高校生の頃に「ベンツ乗りたいな。」ってゆう不純な動機から始まっているというのもあって・・2年目のときに整備士としてメルセデス・ベンツの社内資格を取ってしまったあとに整備士としての熱が冷めてしまったんですよ。ちょうど同時期に目標だった中古の古いベンツ買ったのもあったのかもしれませんが、しごととして別のことをやりたくなってしまったんです。

それで、昔からサラリーマンという働き方よりもお商売に興味があったのもあって、すぐに退職願をだしちゃって・・・貯金7万円の状態でお商売を学ぼうと思って銀行借入して飲食店開業したんですよね。今思うと何やってんだって話ですが。

それで、晴れて22歳で初めて「代表」ってポジションでダイニングバーのオーナーになりました。すごい小さなお店だったんですけど。

当時はなんか新鮮でした。あぁ。自分でお金稼いでいくんだって。

結局1年半くらい飲食店やっていて、お商売自体は面白かったんですが、飲食店というモデルって今目の前にいる人に価値を提供することで売上があがるんだって思い始めて。

もっとたくさんの人になにかを提供できる、ビジネスって領域にきちんと入り込みたいと思いはじめました。そして、どうせなら一生をかけられる業界に飛び込もうと決めて、飲食店は閉店しました。それが24歳のときですね。

__今時点で、全然IT関係ないですね。。そこからIT企業に転職されたんですか?

そうです。閉店してから1年程は、昼間は整備士やりながら夜はバーでバイトして、その期間でたくさんの業界を調査してました。昼職の体に戻すリハビリが必要だったのと、銀行からの借入金も残っていたので働かないと (笑)

その期間で、一生をかけられる業界として候補に入れていたのがレジャー産業とIT産業でした。レジャー産業は、休みの日に人が笑顔でお金を使う業界だったのでとても興味があって。でも調べれば調べるほど闇の深い産業だなって見えてきて断念。いつかは会社を作るんだろうなって漠然と考えていたので、きちんと長期的な展望を持てる産業がよかったんですよね。

それで、ITの業界って選定しました。今思うと、飲食店の店舗サイトも自分でHTML頑張って作っていたし(もちろん集客には生きませんでしたが) 、整備士時代も電装やコンピューティングの勉強が楽しかったので、好みとしてはマッチしていたんだと思うんですが、当時はiPhoneが日本にきてようやくスマホが広がってきたくらいだったので、「うわーすげー!アプリ作りたいな!」程度しか考えてませんでした。エンジニアが向いているなんてそもそも思ったこと一度もなかったです。当時はまだエンジニアってオタクの集まりってイメージだったので余計に。。

昔から、興味の軸は業界というものにあって、ITの業界に興味をもったんですが、興味をもつと次は現場が知りたくなって、業務が知りたくなって、エンジニアリングが知りたくなったという流れでした。

そこから、未経験可の募集で一番上に出てきた受託開発とSESをしている会社にエントリーして、採用いただき、エンジニアとしてのキャリアスタートした感じです。25歳ですね。

__25歳からだったんですね。そこから東京に行かれたんですか?

はい。採用試験のときに、「未経験だから最初東京に行ってもらうけど大丈夫?」って聞かれて。東京にいくなんて全く考えてなかったんですが、面白そうだなと思って東京にいきました。祝!上京!ぐらいの軽いノリでした。そこからアクトビ設立までの4年間を東京で過ごしました。今でも東京は大好きな都市です!

__未経験からエンジニアになられるって大変でしたか・・?

美談にしても仕方ないので・・・リアルに話すと、死ぬほど大変でしたよ。最初の研修のときに受けた試験では、研修生の中でも成績最下位。業界を知るために、iOSのアプリエンジニアになるために、この業界にきたのに、最初は炎上していた検証案件からの開始で、何回もなんだこれって思いました。エクセルしか触ってねぇって。毎日終電きっつって。今振り返るとこの案件でよかったんですけどね。コピペって右クリックからするものだと思っていたし、インターネットってYahooのことだと思っていたし。インターネット環境って契約しなくても世界中自由に使えると思っていたし。ひどいくらい一般的な知識がなかったんですよ。なので、この検証案件というものの中で、インターネットとかツールとかプロジェクトとかの基礎知識を学んでいったのかもしれません。感謝ですね。

ただ、どうしてもエンジニアとしてのスキルを習得したいって思いがあったので、忙しい合間をぬって同期と集まってはハッカソン開催したり、先輩エンジニアにソースレビューしてもらったりで案件外で必死でObjective-Cという言語を勉強していました。あのときに人生で初めて本気出したのかもしれないです。

けど、その努力が実って入社半年くらいで晴れてiOSの案件にアサインしてもらいました。そこからはもう楽しくて仕方なかったです。完全にコーディングにハマっていました。

事業開発のプロジェクト立ち上げにアサインしてもらってキャリア感が変わった

__アクトビは事業開発の方向性も常に模索していますよね?エンジニアのキャリアからどうしてその考えにいたったんですか?

2年くらいエンジニアとしてクライアントワークの案件に入っていたんですが、当時の事業部長から社内のIoTサービスの立ち上げメンバーとしてお声がけいただいたんです。そこから事業づくりというものに没頭しました。

そのサービスのiOSとAndroidアプリ構築から、ユーザーの声を聞いて機能追加をしたり、展示会等やプレスリリースなどの広報活動をしたり、サポートしたり。いちエンジニアだけでなく、エンジニアの立場で事業を作っていくという思考にこのときなったんだと思います。声をかけてくれた事業部長には本当に感謝しています。

0→1, 1→10といった事業のフェーズを身をもって経験させてもらいました。

知らないことの連続ですごい大変だったし、周りのメンバーにもすごい迷惑かけました。でも、そもそもエンジニアって知らないことの連続が当たり前で、それをどう解決するかって思考じゃないですか。その時はもう過去の自分とは全然違った考え方になっていました。エンジニアって過去自分が経験してきた仕事のスタンスとは全く異なるなって。マニュアルがない状態から本質を捉えて、解決する、実現する。それを毎日のように行っているんだと思うと、すごい職種ですよね。

__それを経て独立されたということですね。

いえ (笑) その後に、コンサルティングと事業開発を並行しているベンチャー企業に入りました。短い期間でしたが、ここでも学びの連続でした。あ、ベンチャーってこんなスピード感で進んでいるんだ。こんな意思決定早いんだ。こうやって事業成長させていくんだと。ただ、このときに、大阪にいる父の体調や今の奥さんとの結婚のことなど仕事外での検討事項が増えてきて、一度大阪に戻ろうと決意しました。しごとに没頭していても、結局は家族第一だって。

それで、フリーランスエンジニアとして東京、大阪で活動をはじめました。

フリーランスエンジニアとしてではなく、会社を経営する

__大阪でもフリーランス活動されていたんですね!

はい。ただ、当時の僕のスタンスは本当にクライアントに失礼だったなと今は思います。フリーランスとして案件も全然あるし、報酬もそこそこ高い。生活に不満もなく、仕事せずに旅行に行ったりと遊ぶためにフリーランスとしてお金を稼いでいるって状態でした。

ただ、30歳になったときに不意にこのまま30代過ごすのか?ってとてつもない不安に襲われて・・・・いつまでもフリーランスとしてエンジニアしていけるのか?技術のキャッチアップし続けられるのか?そもそもやりたかったのってこれなのか?って。

あ、違うわ。って思い出しました。

そんなときにタイミングよく、知人から「会社を作らないか?」という話をたまたまもらって、今のアクトビの事業構想を本気で考え始めました。

受託開発の会社だったら今の状態で法人成りするだけですぐにでも起こせる。でもそれじゃ意味がない。自分のようにエンジニアのこの先のキャリアに不安をもっている人はたくさんいるんじゃないか?

「エンジニアがネクストキャリアとしてビジネスを構築できる環境をつくりたい。」

これがアクトビを設立しようと決めたときでした。

そこからは早かったです。事業計画書を作って、社名を決めて。

__アクトビの社名の由来ってなんなんですか?造語ですよね?

これ、かっこよい理由じゃないのであまり公表していないんですが。

「あ」はじまりが良い。

カタカナ4文字が良い。

造語が良い。

で、ことばつなぎ合わせていって、Actというワードがやはり自分にあっているなと思ったんですよね。"行動"。まさに今までの自分の人生ってアクションから始まっているし行動することで切り開いてきたなって思って。この思想をもった会社にしたいって思いました。それで、Act (アクト) を使うとあと1文字しかないんで、Beってつなげて・・・ACTBE (アクトビ) でいこうって。直訳すると「行動たるは・・」みたいな意味らしいのですが、もう時間もないしこれでいこう!って流れで決めました。

設立時に決めていたことは今も会社のバリューとして残っています。

クリエイターファーストの会社であること。本質からずれたことはしないこと。システムとして見るのではなく、ビジネスとしてプロダクト全体としてみること。正しいものを正しくつくること。

そして、プロであること。

それが今のアクトビのMissionに反映されています。

自分に合っているしごとなんて、出合うまで探し続ければよい

__なんか最後の方巻きで話してません?(笑) ただ色々と経験、苦労されてきたのですね。。

すみません。(笑) あまり昔のこと思い出すと疲れちゃって。。

振り返ると色々と経験してきたかなとも思うんですけど、一貫してたのは、本気になれるもの、夢中になれるものを探して飛びついてきたなってのは思います。

正直、高校も中退しちゃっているし、自分が意味がないって思ってしまったことはやりたくない。やらない。というスタンスでここまできてしまったので生きていく為に自分ができることを探し続けてきたって感じです。でも、思うんですけど。自分に何が合っているのかなんて出合わないとわからないですよね。今振り返っても飲食店もサラリーマンもエンジニアも働いているときは夢中だったし、合っていると思っていました。でも、それ以上に興味を持ったのが今の経営という仕事で、今はこの仕事が一番夢中だしあっているなって思います。だから、探し続けて行動し続けている限りはずっと途中というか、それの積み重ねで、その積み重ねをどう未来に活かしていけるかって流れなのかなって。

だから、大変だったけど今に全部つながっているなって思うと全部やっていてよかったなって本気で思いますよ!!

__ありがとうございます!きれいに締めてくれたので(笑) 一回このあたりで切らせてもらって、次回は創業から今にいたるまでのストーリーを聞かせてください!

・・・その2へ続く


【CEOインタビューその2】アクトビ創業期について聞いてみた | 株式会社アクトビ
テクノロジーとビジネスの両軸を兼ね備えた人材が集まる組織を作る。 そんな組織の創業者である藤原良輔にインタビューを行うCEOインタビューの第一弾。 第2回目はアクトビの創業期についてインタビューしました! 株式会社アクトビ 代表取締役 CEO                                   藤原 良輔 (ふじはら りょうすけ) 1987年9月22日 大阪生まれ ...
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