皆さん、こんにちは。
ONE COMPATH 人事の大橋です。
前回の弊社CFOおよびCTOのインタビューをご覧いただきました皆さんありがとうございました。
おかげさまでたくさんの反響をいただくことができています。
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今回は、弊社の経営層であるCMO(=Chief Marketing Officer)の山本さんをインタビューしました!
ONE COMPATHの経営層がどんな人物で、どんなことを日々思っているのか。
そこに再びスポットライトを当てていこうと思います!!
山本さん。今日はよろしくお願いいたします。
まずはじめに、山本さんがどんな方なのか。
パーソナルな部分についてお聞きします。
Q.) 山本さんは、どんな学生だったのでしょうか?
“ 2種類の自分を交互に生きてきた ”
まず初めに言っておくと私は、たくさん失敗を繰り返してきました。でもだからこそ言えることがあると思っています。今日はそれが少しでも伝わればよいなと思い一生懸命お話しますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
さて、どんな学生だったかという話ですが、改めて自分の学生時代を振り返ると、ステージが変わるごとに2つの自分を行ったり来たりしながら生きてきたなというふうに思います。具体的にはおとなしい自分と、輪の中心にいる賑やかな自分を交互に生きてきたイメージです。
小学校の時は、学校では目立たない存在でいつも仲が良い2、3人で遊んでいました。しかし中学に入るタイミングで転校をして違うコミュニティに入ったことをきっかけに、学校の中で目立つ賑やかなメンバーとなりました。
典型的なエピソードを2つご紹介します。1つ目は、中学1年生の時の林間学校でキャンプファイヤーの司会をやることになった時のことです。マニュアル通りに司会をやったらおもしろくないなと思い、マイクを使って会場のホテルに宿泊している他のお客さんや海辺にいるカップル達に『キャンプファイヤーやってるので来てください!』と声をかけて集客に力を入れました。その結果、人がたくさん集まってきて、中学校のイベントだったはずが、宿泊者を巻き込んでの大きなイベントになりました。学校の先生には「お前変わっているな」と言われたのですが、みんなで盛り上がった体験がすごく楽しかったのを今でも覚えています。
2つ目のエピソードは、中学2年生の時に生徒会の副生徒会長の立候補しようと思ったときのことです。他の候補者もいる中で選ばれるためには、とにかく目立つ必要がありました。ましてや私は外から引っ越してきている身なので、その土地で生まれ育った人たちより圧倒的に爪痕を残す必要がありました。そこで考えたのがエレキギターを使ってのライブ型選挙演説です。各クラスをギター片手に回り、自分が副生徒会長になった暁には、どんなメリットをもたらすかをライブ感たっぷりで学校中にアピールしました。その甲斐もあって同学年ではトップ当選することができたのですが、先輩からは生意気だと目を付けられて結果落選してしまいました(笑)でも自分がやりたいことをやった結果の落選だったので少しも後悔がなかったですね。再び転校するまでの間は、とにかく盛り上がる体験ばかりを考えていた中学生活でした。
一方で高校では、逆に、静かなコミュニティに身を置いていました。クラスでも全く目立っていなかったので私のことを覚えている同級生は少ないのではないでしょうか。不思議なもので、おとなしい自分も賑やかな自分も、自分が所属しているコミュニティを楽しませたい、という部分では一貫していて、その規模が大きいか小さいかだけの差だけでした。いつでもわがままにやりたい放題生きてこられたのは、本当に両親と各コミュニティの友人たちのおかげですね。
おとなしい自分と賑やかな自分を交互に生きてきたと言語化する方に
初めてお会いしたので大変興味深く聞かせていただきました。
「いつでも仲間を楽しませたい」というのが山本さんらしいなと思いました。
全体会議の時の山本さんのプレゼンテーションが脳裏に浮かびました。
Q.) ファーストキャリアはどう歩まれたのでしょうか?
“ 非常識であれ ”
● 就職活動期
先ほどお話した通りステージが変わるたびに、2つの自分を交互に生きてきましたが【仲間を楽しませたい】ということは一貫していました。就職活動の際に、なんで仲間と楽しみたいのかを考えて「そうか。楽しい思い出を作りたい。もしくは、提供したいのか」ということに気が付いたのです。
《人の心に残るような想い出作り》を仕事としてお手伝いできるのは、ウエディング業界と旅行業界かなと思い、その業界を中心に面接を受けていました。結果ご縁があって、ある旅行代理店に新卒で入社することとなりました。
● 社会人1年目
ここで人生の中でこれまでのものとは比べられない大きな挫折をしました。
これまで自由に生きてきたので、きちんと決められたルールの中で決められた行動を取るということが極端に苦手だったのです。要は「ちゃんとやる」ができませんでした。当時の旅行業界は慣習やしきたりがきちんとあり、それに沿わないと相手にされませんでした。しかし慣習やしきたりに従ってみても、全然楽しくないし全然うまくいかないのです。
簡単なこともできずミスばかり。自分でもビックリするくらい仕事ができなくて、同期の約100人の中でも初受注は最後でした。そんな自分が情けなくて、悔しくて毎日泣いてボロボロになっていました。
●訪れたブレイクスルーポイント
半年を超えたくらいだと思いますが、決められたルールの中でもがきました。しかし好転する気配を全く感じなかったので環境を変えようと思い、いつか行くぞと決めていたアメリカ留学にこのタイミングで行こうと思いました。今思うと半分は逃げたんだと思います。当時の上司に、退職の意向を伝えると「山本君、今の君は会社に全然貢献していない。結果も出てないのに辞めることはできないよ。」と言われました。どうしても辞めたかった私は、結果を出す以外に方法がなかったので、先輩に聞いていた当時の某支店における年間受注の新人記録を塗り替えて辞表を出す!と決意しました。しかし残された時間は半年もありません。この短い期間で記録を塗り替える必要がありました。
この時の自分の思考を今でも覚えています。これまでは、他の企業の営業と同じように慣習やしきたりに従って営業をしてきたが全然うまくいかなかった。まして自分は新人。それであれば、『自分らしく自由にやってみよう、たとえそれが非常識だと言われても良い』と。良い意味で腹を括ることができました。だって留学行きたいですからね(笑)
そこで旅行代理店の1人の営業マンとしてではなく、「山本」という個人を売り込むことに注力しました。具体的には自分のプロフィールシートを作成して、クライアント全員に配って回りました。昔テニスのコーチのアルバイトをしていたこともあったので「テニスがうまくなりたい人、テニス教えます」という一言を添えて。するとクライアント側から「山本さん、プロフィール読んだよ、テニスやってたんだってね。」と自然と話しかけられるようになったのです。話す機会をいただけたことで次第に仲良くなっていき、ありがたいことにそこから受注もたくさんいただけて、結果、当時の年間新人受注記録を塗り替えることができました。もちろん、先輩方の助けがあってのことですよ。
当時のクライアントにどうして当社のツアーを採用してくれたのですか?と聞いたときに言われた言葉は今でも忘れません。『山本君に添乗して欲しかったからだよ。』 本当に感動してその場で泣いてしまいました。
このことをきっかけに、自分なりの営業スタイルに自信を持つことができるようになりました。そして年間新人受注記録を塗り替えるという「結果」も残しましたので退職を認めてもらい、無事念願の留学に行くことができました。アメリカには約2年ちょっといましたが、とんでもないハプニングの連続で話すと長くなるので別の機会で(笑)
留学の話気になります(笑)
社会人1年目で、大きな挫折が訪れたんですね。
業界の非常識でも良いから自分らしさを追求したことで大きな成果を残したというエピソードは多くの方に勇気を与える話だと思いました。
また業界に依存しない自分の型を手に入れると、その後の汎用性や再現性が高まるので良いですね。
Q.) アメリカ留学から帰ってきた後は、どのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか?
“ 入社して半年でサービスの立ち上げを経験させてもらって、その半年後にはサービスを畳む決断をした ”
● ITベンチャーに入社
2006年に日本に帰国しました。当時の日本はモバイル全盛期。よくわからないけれど勢いがあってかっこいいという理由だけでIT業界に行くことにしました。まだ100人に全然満たないほどのベンチャー企業がアメリカ帰りの超生意気な自分を受け入れてくれたので入社しました。そこでまずアドネットワークの広告営業をやりましたが、前職の経験から営業には自信があったので特別苦労した記憶はないです。
しかし入社して半年後に、いきなり部長と自分、そしてその年の新人7名のみで新規事業を立ち上げるというミッションを担ったときは本当に苦労しました。そもそも好き勝手生きてきた自分にとって誰かをマネジメントするという経験自体が初めてだったので、新人7名をマネジメントするだけでも四苦八苦しているのに、ましてや新規事業を立ち上げなければいけないという難題と向き合いました。手探りで新規事業を立ち上げておかげさまで半年かけて月に数百万円ほど売りあがるサービスを創ることができました。
安堵しているのも束の間、社長室に呼ばれ当時の社長が「山本君、今のサービスを半年後にどうしたら50億円にできるか?考えてよ。できないならサービスを終了するかどうかを含めて、今後どうするかを君が判断してみて。」と言われたのです。まだ入社して1年たっていない27歳の若造がせっかく立ち上げたサービスを終了するかどうかの判断をしなければいけなくなりました。しかも一緒に立ち上げた部長はすでに別部署に異動になっていました。事業PLを改めてきちんと分析して、サービスの将来性を見極めながら1週間悩みました。結果として今後の大きな事業スケールが見込めなかったので、事業を畳むという決断をしました。入社して半年でサービスの立ち上げを経験させてもらって、その半年後にはサービスを畳む決断をしたんです。入社当時100人未満だった会社は、私のいる約3年間の間に従業員数も爆発的に増え、上場も果たすまで大きく成長しました。勢いのある会社の中で、様々な経験をすることができたことは私にとって大きな財産となりました。
● マピオンに入社
ベンチャーで働いていた時は、寝る間も惜しんで必死に働いていました。ただ、結婚をして子供が生まれるとわかったタイミングで、ライフスタイルを一度見直そうと思ったのです。2つの条件で転職活動をしました。1つは、35歳で起業をしようとずっと思い描いていたので、起業をするために必要と感じていたPC-WEB業界の知識やスキルを身に着けられる職場であるということ。2つ目は、家族と過ごす時間をきちんと作れるということです。結果、条件をクリアしていてご縁があったマピオンに2009年に転職しました。マピオンでは、PCを含めたWEBサービスの広告営業を6年間勤め、マピオンの成長を営業として支えることができました。
● 念願の起業
マピオン時代に知り合った方と数年間入念にプランを練り、その方含め数名で会社を起業することにしました。おかげさまで、プロダクトは各所で賞を頂けて、順風満帆に見えていたのですが、ここで再び大きな挫折を味わうことになりました。
一緒に起業したメンバーは本当に優秀な人たちだったのです。言うなれば凡人の私がとてもレベルの高い輪に1人入ってしまったという感覚です。日々レベルの違いを痛感し、自分があまり期待されていないように感じていました。小さい会社ですから、元々経験していた営業だけやるというわけにはいかず、法務・広報などなど会社に足らない機能は分担してメンバーで担いました。しかし未経験の領域がいきなりうまくいくはずもなく、もがき苦しむ毎日でしたね。さらに家族を養うために週2~3回は別の会社で営業の業務委託としても働いていました。メンバーとの実力差を感じながら2年が経つ頃には、心身ともにだいぶすり減っていました。実はこの業務委託先の経験も人生のポイントの一つなんですが、それはまた別の機会に。
● 再びのマピオン、そしてONE COMPATHへ
これまでお世話になった先輩たちに状況を相談しているなかで、マピオン時代の先輩から、もう一度マピオンに戻ってこないか?というお話をいただき、悩んだ末に再びマピオンに入社することにしました。決め手は、マピオンを出てからは苦しむ経験が多かったけれど、この経験をした今の自分のほうが以前よりもバリューが発揮できるかもしれない。そして昔一緒に働いていたメンバーや声をかけてくれた先輩や同僚にこんな自分でも恩返しできるのではないかと思ったからです。入社後、しばらくして営業部長として経験を積み、2019年4月、ONE COMPATHのCMOに任命されることとなりました。
20代後半という年齢でITベンチャーで事業の立ち上げとクローズをご経験されたのはとても稀有ですね。また、夢だった起業も果たすわけですが、起業の光と影を身を持って体験されて、その後これまでのご経験を糧に古巣のマピオンにて再びご活躍されているキャリアということですね。
Q.) 山本さんの考えるCMOとしての役割はなんでしょうか?またCMOとして気を付けていることがあれば教えてください。
じっくり考えた後、ゆっくり口を開いた山本さん
● CMOの役割
私がCMOとして任命された理由は、他の方よりいろいろな意味での“ 失敗と挫折の数が圧倒的に多い ”からだと思っています。失敗を多く経験してきたからこそ、どうしたら失敗するのか、失敗のメソッドを多く蓄えています。失敗する方法が1つでないのと同じで成功する方法も1つではないです。これまでの経験を活かして客観的にONE COMPATHを見ながら失敗を回避して、成功確率を上げることをCMOとして期待されていると認識しています。
また、成功している事業・会社はメンバー全員が同じベクトルを向いています。したがってCMOの実務面としては、ONE COMPATHのすべてのサービスのマーケティング戦略とブランドを見直して、社員のだれもが共通ワードで社外に発信できるように、会社・サービスの価値の再定義を行っていきます。
● CMOとして気を付けていること
マピオンに帰ってきてすぐに、ビジョン設計とチームビルディングをとことんやったことがあります。自分の理想に向かって強引に推し進めてしまったので、信頼を勝ち取れず事業やチームをまとめることができませんでした。この失敗を通じて、『信頼の前払い』の重要性を学びました。信頼がないと自分が何か困ったときやお願いごとをしたいときにメンバーは快く助けてくれません。なのでまずは自分がメンバーのために動き、信頼積み重ねることが重要です。CMOとなった今も、『信頼の前払い』を常に意識しています。
失敗のメソッド、信頼の前払いなど貴重なキーワードがたくさん出てきて、とても興味深いお話でした。失敗のメソッドは山本さんならではの強みで、信頼の前払いは全社員が持つべき考え方だと思いました。
Q.) 今後山本さん個人として、どんなことにチャレンジしていく予定でしょうか?
“ 自分の強みをこれからも探し続けたい ”
2つあります。
1つ目は、自分の『強み』を今後も探し続けたいですね。自分にとっては当たり前だけれど、ほかの人にとっては当たり前じゃないことがその人の強みとなる、と考えているのでじっくり自分自身と他の人を観察して自分の強みは何かを見定めていきたいですね。
2つ目は、自分の『徳』を磨いていきたいです。
先ほどの『信頼の前払い』につながりますが、自分がやりたいことをアクションした時に、周りの人が喜んで手助けしてくれる人間を目指します。そのために日々ONE COMPATHのメンバーのためにできることをコツコツと積み重ねていきたいです。結果として徳のある人間になれるといいですね。
自分の徳を磨くというのは、まさに「情けは人の為ならず」(人に情を掛けると、めぐりめぐって自分に良いことが返ってくる)の意味に近いですね。大変共感します。
Q.) 最後に、この記事を読んでいる学生や転職を考えている方に一言お願い致します。
“ 失敗する勇気を持っている人が、思いっきり失敗できる環境や文化を創る ”
チャレンジすることにビビる必要は一切ないです。なぜならば、チャレンジに失敗し続けた私でさえ、今ではみなさんに選んでいただけるようになっているからです。失敗をしたという経験が自分の強みになりうるのです。
常識だと思われていることを疑い、様々なことに自分らしくたくさんチャレンジしてください。そしてたくさん失敗しながら前進して、自分が一番輝ける場所を見つけてください。
ONE COMPATHでは、失敗する勇気を持っている人が、思いっきり失敗できる環境や文化を作っていきます。そうすることで、その本人と我々も一緒に成長できると思っているからです。
山本さん、ありがとうございました。
失敗や挫折を繰り返してきたとおっしゃる山本さんだからこそ説得力がある“失敗する大切さ”を様々なエピソードを通してお話いただきました。
こういう人の元で働きたい、失敗できる文化が素敵だなど少しでもご興味が湧いた方は、ぜひ「話を聴きに行きたい」をポチっとよろしくお願いいたします!
以上です。
それでは!