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なんでもできるとしたら?を問い続けて、ベンチャーに意思決定した話。

こんにちは!22卒内定者の松本興果(まつもと きょうか)と申します!💐
「興味」を持って「結果」を出すと書いてきょうかと読みます。気軽に「きょーちゃん」や「きょうか」と呼んでいただいて頂けると嬉しいです🌟

現在は内定者インターンとして「intee」というスキルアップ型ファーストキャリア支援サービスに携わり、学生さんと多く接点を持たせていただいております。

突然ですが、
「あなたの人生、なんでもできるとしたら何をしますか?今と何か変わりますか?」

私は自分の人生と向き合った結果、他者の目を気にせず自分が歩みたいと思った人生を生きることは、幸せだと気づきました。

人の目は気になるものですが、自分の人生は他者に何を言われても自分にしか責任が取れないということです。そのため、このページを開いていただいた皆さんに、誰のための人生を歩んでいきたいのかという観点で何か少しでも人生にプラスになれれば幸いです。

まず初めに、このご縁に感謝申し上げます。ご縁は一度限りでなく一生切れることのないものだと思っておりますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!

前置きはさておき、早速本題に入っていきます!

本日は、
✔️ベンチャーへの意思決定に不安を感じている方
✔️最終意思決定フェーズで何を決め手にしたらいいか迷っている方
✔️Hajimariに勤めている人の人生を覗き見したい方
に特に読んでいただきたい内容になっております。

大学4年生という学生目線と、インターン生という内定者かつ社会人目線で私の21年の人生経験に触れながら、皆さん自身の意思決定や人生にお力になればと心より思っております。皆さんの貴重な3分というお時間をいただけると嬉しいです。⏳

3分後には、自分や周りの人の人生ともっと向き合いたいと思っている状態かつHajimariの中にはこんな考えを持っている人がいるのか、Hajimari社員と会ってみたいなと思っていただけたら、幸いです✨

今まで、ジェットコースターばりに色々な経験をさせていただいたので、本日は下記のアジェンダで深くお話しできたらと思います🎢🌞

3分間、この記事にて私と皆さんとでお話しできること楽しみにしております。

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【本日のアジェンダ】
①幼少期〜中学校時代
②高校時代
③大学時代
④根底にあった私の価値観
⑤就活時期(就活軸とベンチャーへの意思決定)
⑥Hajimariを選んだ理由
⑦読んでくださった方へ

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【簡単に自己紹介】

★松本興果(まつもときょうか)
★21年間名古屋在住(大学卒業後、初の一人暮らしです🏡)
★家族構成
◆父:無人レベルの海外の島やゲイバーにこどもを連れて行くような感性を持った経営者
◆母:ド根性を持って何事も楽しく楽観的に捉え乗り越えるパワフルな専業主婦
◆双子の兄:私と価値観が似すぎていて幼少期は喧嘩相手、今は尊敬する同志
◆2個下の妹:要領がよく80%で何事も人並み以上にこなすタイプ
◆亀:妹が小学生の時、犬を飼いたすぎて名付けた名前は「ぽち」

要は生まれた時から、いろんな価値観をもった人に出会ってきました。面白い人生だなとあたかも自分が経験しているとイメージしつつ、皆さんの経験と照らし合わせながら最後まで読み進めていただけると幸いです。改めてよろしくお願いいたします💐✨

①幼少期〜中学校時代

「結果だけで自分の価値を決めないこと」〜個性という違いを楽しむ必要がある〜

▼双子の兄が左、私が右です。双子あるあるですが、どの写真も基本ペアルックです👶🍼

私の家庭は、経済的に豊かだったため毎日1つ以上の習い事をしていました。また、双子ということもあり、どこへ行っても兄と成績を比べられる人生を送っておりました。

そんな中、外交的な兄と違い内向的で人見知りだった私は、常に人の顔をみてせっせか兄の後ろで動く策士のような人生でした。兄の言うことは絶対で、自分の意見を言ったり兄以上の結果を出すと面倒なことになると思い自分の成績を抑えようとする一方で、性格的に勝負心が強かったため常に上へという気持ちから真剣勝負で挑み勝ってやったぞと裏でガッツポーズをとる腹黒ぶりでした。笑

今思うと、連携して一緒に切磋琢磨したらいいのにと誰もがきっと思いますね。

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そんな私の幼少期は、以下のワードとエピソードでまとめられます。

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♯ 他者比較(兄を超えたい思い)
♯ 1番でないと意味がない
♯ 結果を出せないと自信をなくし、結果を出しても息継ぎせず次にチャレンジして結果を求める(常に成果を出さないと自分の価値がないと思っていた)
♯ 人見知り(父の色んな場の友人がよく家に遊びにきていたが、顔を見れず下を向いてしまう)(家の電話がなると何故か襲われると思い、違う部屋に逃走)
♯ 笑わない(楽しいのに表情に出ない)
♯ 人を大切にする
♯ 曲がったことは納得せず自分の意見を交換する(いじめ現場はお互いの意見を聞きとめに行く)

典型的な人見知りな一方で、自分なりに「人を大切に生きる」という正義を強く持っていた過去でした。過去の私と同じような価値観を持っている人もいるのではないでしょうか。

上記は私の幼少期ですが、小学校・中学・高校・大学といろんな経験をさせていただき、価値観が大きく変わっていきました。

小学校で1つ転機がありました。ずっと他者からの評価が自分の価値、自分の生きがいだと思っていた自分に対して、小学4年生の図工の時間に担任の先生が、「きょうかワールドを持ってるね」と声をかけてくださりました。

何を意味しているかというと、個性があっていいねということでした。今まで、自分の個性という点で褒めていただいたことがなく、人と違うということは面白く素敵なことであり成績だけで測るものではないと気づきました。そこから、自分らしさという個性やその人らしさを大切に人に関わろうと決め、存在価値と市場価値を切り離す重要性を学びました。

そこで、私は自分の意識と行動を変えました。笑うように意識して、笑顔の練習を鏡の前でずっとしたり、自分から周りの友人に声をかけるようにしました。すると、小学校卒業時には、学年全員と友達になるくらい人との関係性を持つようになりました。過去の人見知りな自分にとっては大成長です。

私は、人は何かを決めても行動することが怖い生き物だと身をもって知っています。今何か挑戦している人・迷っている人に対しては、自分は変われるんだと自分のことを信じ理想に向かっていってほしいです。

②高校時代

「組織の大切さを痛感した孤独もあった時代」〜1人では成し遂げられないことを組織で実現させる〜

▼チームで総体予選で入賞した際の表彰式の写真です。

私の高校時代は部活一色で、高校の3年間は空手道に一生懸命でした。(高校で初めて空手道に触れました)

2年生のときには部長を務めましたが、高校から空手道に触れる部活生が9割を占めていたので、メンバーの部活に対してのモチベーションの差が大きく、組織崩壊を起こしコーチからチーム戦の大会への出場停止を言いわたされました。

4種目あった中で、私は全ての出場権を持っていたのでメンバーの練習の意識の低さから大会に出られなくなったと当初は思いとても悔しい気持ちでした。

ですが、気づいたことがありました。


「組織は自分1人で頑張っても意味がない」

「組織がある理由は、自分1人ではできないことを成し遂げるために存在する」


ということです。

私はそこから、メンバーの気持ちに寄り添えておらず、大会で優勝するという組織の目標のみ見ており、自分の正しさをずっと押し付けしていたと自己評価しました。改めて組織が何を目指していてどんなことが課題なのかをメンバー全員で本音で話し、最終的には県大会で入賞できるチームになりました。

組織の目的や、人間関係構築と目標達成のバランスの大切さに気づきました。

③大学時代

「人の幸せってなんだろう」

行きたい大学に落ち、私の大学生活はスタートしました。最初は、なぜここに通っているんだろうと毎日、失望していたことを記憶しています。ですが、あることをきっかけに私は自分の人生や命に感謝して、しっかり人生を全うしたいと思うような経験をしました。

◆フィリピンへ3週間ボランティア
◆バングラディシュの子どもの教育支援
◆インドへ1週間ボランティア
◆社会人と一緒に大学生のキャリア支援
◆キャリア支援の学生団体の立ち上げ
◆地方創生の長期インターン
◆TABIPPOのDREAMに出場
◆社会人と学生が所属する目標達成コミュニティ参加
◆ビジネス教育リーダープログラム参加

色んなことに挑戦させていただきました。ここでは、上記の活動を何故やってきたのかという観点から、私の原動力やビジョンをお話ししていきます。

私の転機は大学一年生の春にフィリピンへボランティアに行ったことです。

▼私の大切なかわいい友人たちです。

フィリピンへ行った理由は単純で、祖父母がエチオピアへ行った際のストリートチルドレンの話を聞き、私は何も現地のことを知らないと思い、ボランティアに行こうとすぐ決めました。

現地に行くと、私は何も子どもたちやそのご家族の人生に大きく影響を与えるような価値提供はできませんでした。むしろ、毎日教わることばかりでした。

ある日、1日1食の生活。奨学金をもらっているにも関わらず、教育を受けたくても生計を立てるために学校へはいかず、子ども自身が働きにいかなければならない環境下の子どもとお話ししました。

その子どもは私にこう教えてくれました。


「あのね、家族がいるから幸せだよ」


そう聞いて、私の固定概念からどこか可哀想だと思っていたと自己評価しました。色んな幸せの形があることを学び、当たり前にあった家族がいる幸せに感謝ができていなかったと思いました。

そこでいつか自己満足かもしれないけれど、この子どもたちに教育を届けることで恩返しをしたいと強く感じ帰国しました。帰国して日本にいながら、海外の子どもの教育支援をしている中、周りの大学生の声に違和感を感じ大学生のキャリア支援をするようになりました。

過去の私もそうでしたが、周りの大学生が、1日3食食べ、学校に十分通って教育を受けているのにも関わらず、自分に自信がない。何をしたいかわからない。学歴がないからもう人生終わりだ。いい会社に行けない。と言っていました。

なぜ、経済的に豊かであるのにこんなに自分の人生に対して、精神的に豊かだと感じていないのだろうと思いました。そのため、何でもできる人生だったら何をしたいか?どんな自分になりたいか?どんな社会を作っていきたいか?一緒に考える場を作りました。

▼こちらが、大学生のキャリア支援を一緒にやってきたメンバーたちの一部です。

そこから、人の幸せってなんだろう?何のために生きているんだろう?と考えるようになりました。

④根底にあった私の価値観

「どんな人にも幸せだったと言える人生を送って欲しい」

ここまでどんな人に対しても、幸せであってほしいと強く願う理由として私の人生背景にあります。あまり多くの人に話してこなかったことでもあります。

私は過去、成功確率が5%の手術を受け、今を生きています。

そのため、生きていることが当たり前ではないと強く思っています。今日あることや明日あることが当たり前ではないということ。生きたくても生きられない人がこの世の中には多くいることを知ってほしいです。

だからこそ、皆さんが持っている命をどう使うか、自分が生きていてよかったな幸せだったなとどんな瞬間を切り取っても言える人生を描き、一緒に創り出していきたいと思っています。

命や時間は誰にも共通して平等にあります。同じ命という価値ある時間を、誰もが自分の指標で幸せに過ごすきっかけを提供することが私の幸せです。これは私の人生があるからこそ、多くの人に届けられることでもあり、経験してきたからこそ届けたい価値です。そんな私のビジョンは以下です。

幸せの定義を自分の経験から、経済的にも精神的にも自分の指標で豊かだと言える人としています。

そのために生きる意味、生きるための場所(お金を稼ぐ場所など)をもった人を増やします。私のビジョンを実現するために、人生100年時代と言われる中で働く時間が50年を占めるということから、働く意味と自分の自己実現に効果的な場で働く人を増やしていこうと決めました。



⑤就活時期(就活軸とベンチャーへの意思決定)

「自分の人生、他者の目や声、一切関係ないとしたら、なんでもできるとしたら何をしたいか?」

ここから少し就活時期のお話もさせていただきます。

タイトルにもあったように、当初私はメガベンチャーに行こうとしていました。当時は先ほどお伝えした対社会のビジョン達成とともに、30歳で経営者となる目標があるので、逆算して3つの就活の軸に落とし込んでいました。

①経営者視点を得られる成長環境
▶︎新規事業リーダーに立つ(入社3-6年)

お金を

1.作る力
2.回す力=セールス、マーケティング

人を

1.巻き込む力=採用
2.まとめる力=マネジメント

②理念浸透している
▶︎誰と何をするか=同じ価値観の人と働くこと
▶︎自分の成長を持って他者貢献の幅を広げること

③三方良しのビジネス
▶︎全ての人が勝つ組織=ビジネスモデル、どこで収益を上げているか

私は上記3つの軸から当初、人材のメガベンチャーを見ていました。中には、自分がやりたいと思えることが実現できそうな環境もちらほらありました。

しかし、ベンチャーでなく、メガベンチャーを最初選んでいたのは正直、人の目を気にしていたのもありました。みんなが知らない会社より、知っている会社に行った方が、見た目がいいのではないか。

メガベンチャーとベンチャー、どっちでも自分がやりたいことができるならメガベンチャーにしようとしていました。

一方で、自分の本当にやりたいことを考えた時、30歳で経営者というのは譲れないことでした。父のような経営者に、父が経営をしている間になると決めています。

自分がやりたいことを実現するには、よりカオスな環境を選ぶ必要があると気づき、
自分の人生、他者の目や声、一切関係なくなんでもできるとしたら何をしたいか?と心に問い、ベンチャーに行くと決断しました。


⑥Hajimariを選んだ理由

「即内定承諾した私」

ベンチャーに行くとなった際には、ありがたいことに他社からもお声がけいただきましたが、Hajimariに行こうと決めていました。なので、内定をいただいたその日に承諾し、名古屋へ帰りました。

Hajimariを選んだ理由は、正直沢山ありますが就活軸と合致した以外に、ポイントとしては2つあります。

①人

面接や面談でお話しした全ての人の、人柄とロジカルさ、本質を突く姿に毎回惚れ惚れしていきました。追い越せるかわからないくらいかっこ良くて、いつかは追い付け追い越せと、切磋琢磨したい方々でした。

②組織

組織のメンバー全員が同じ方向を向いて個のパワーを集め、一緒に同じ世界を目指していました。Hajimariのビジョンが私のビジョンと重なり、会社のビジョンのもとにサービスを運営している考え方に共感しました。また、社員同士がお互いのWillを共有して働いている点も魅力的でした。


Hajimariで今働き、自己実現と組織のビジョン実現をしていけることがとても幸せです。

⑦読んでくださった方へ

「未来は自分で変えられる」

最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。
自分の人生に関して、過去こうだったから未来も絶対そうなるということはありません。だからこそ、自分の人生に対して自分で責任を持ってどんな時も幸せだと言える自分でいれるよう、今後も一緒に頑張れたらと思っております。

皆さんの人生に対して少しでもお力になれれば幸いです。Hajimari社員だけでなく、就活で出会った方、この記事を読んでくださった方々など、ご縁ある全ての方に感謝申し上げます。

日々こちらのnoteを執筆していたり、Twitterを運用していますので今後もお力になれると幸いです。

note▶︎https://note.com/kyokamatsumoto99
twitter▶︎https://twitter.com/withasmile2525

私もぜひ皆さんから学ばせていただきたいです。改めて今後ともよろしくお願いいたします。


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