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起業したかった僕が、自立するために転職した話

みなさんこんにちは。

ITプロパートナーズの田中竜嗣と申します。

2017年12月に入社し営業として日々学びながら、頭をひねりながら
たまに訪れる喜びに浸りつつ、充実した毎日を過ごさせて頂いてます。
もうすぐ2ヶ月目が終わる。めっちゃ早いです。

簡単な生い立ちと自己紹介をさせて頂くと
・出身は京都府の抹茶と平等院が有名な宇治市で、昭和最後の年、3兄弟の末っ子として生まれました。
・スポーツはサッカー派、ペットは犬派、目玉焼きには醤油派です。
・大学卒業後就職の為上京しましたが、中途半端に関西弁が抜けきりません。
・2度の転職と、その過程でフリーランスの経験もしました

そんな僕も転職活動中には、当然のごとくこのブログを読み漁り、その結果入社を決めた一人ですので
就活から現在に至るまでを振り返ってブログを書いてみました。

僕と同様に何かしらのヒントや、会社に興味を持って頂けるきっかけになれば幸いです。
お時間ありましたら、お付き合いください。

■就活

「一生一度の人生、好きなように生きたい。」

僕は、何の覚悟も根拠もない、ありきたりで耳障りのいい言葉を周りに嘯く学生でした。
所属していたNPO法人の学生代表をやらせてもらえていたりしたこともあり、自信を持っていました。
その当時、僕の就職活動の軸といえば、(情けないことに)それを軸とも言えない、
非常に曖昧なものでした。

父親の影響もあり、漠然と独立・起業に憧れながら

・どこでも通用する社会人になりたいなぁ
・コンサルみたいな仕事かっこええなぁ
・一緒に働く人たちはいい人が多いとええなぁ
・人生の半分以上社会人になるから楽しく働きたいなぁ
・親への恩返しになるような企業やったらええかなぁ

そんな感じで、企業を選び受ける企業のほぼ全てを
「第一志望【群】」という便利な言葉を使いながら就活を行いました。

面接ではそれらしい言葉で軸を語り、22年の人生を語り、選考を受けました。
そん中で登壇した社員全員が学生に対して感謝の気持ちを述べていたこと、
飲食店への提案営業ができること、上場企業であること
(と、唯一寝ることなく企業説明会を受け切ったこと)などが決め手となり

大手飲食店情報サイトを運営している企業への就職を決めました。

■1社目 ~上場企業での話~

東京本社へ配属となり、都市部で活躍する颯爽とした営業マンを夢見ていましたが、

担当エリアは茨城県でした笑

土浦や水戸といったエリアへ、片道2時間ほど電車に揺られて毎日営業してました。

当時、東日本大震災の直後の自制ムード時期ということもあり、飲食店の経営状況は厳しかったものの、ラッキーが続き同期の中でもそれなりの成果を残していました。

社内の人間関係にも恵まれ、都内のエリアへ移動となって、それなりに順調であったものの、
半年くらいたったころから徐々に未来に対する不安に襲われるようになっていました。

「ずっとこの仕事をし続けるのか?」
「言われたままやっているだけではないか」
「感性鈍ってきてるんじゃないか?」
「数年後、数十年後に自分はあの上司の役職のどこにいたいのか?」
「独立したい気持ちはあるが、営業しかしてないしそれ以外何も知らんやないか」

そう思っていた矢先、
起業をするために準備をしながら手伝ってくれる仲間を探している
という先輩と出会い、その手伝いをするようになりました。

言ってしまえば小間使いのようなものでしたが、初めて経験する内容が新鮮で、
「起業したい」と言っていたことを思い出したかのように、夢中になっていました。
時間だけが経ち、気付けば3年目も終わりに差し掛かったころ、

その先輩が独立の為退職することが決まりました。

以前から誘われていたこともあり、退職してその仕事を共にするか悩んでいた矢先、
新設される金沢営業所への転勤の打診(という名の命令w)がありました。
「上場企業」という社会的な安心ワードと、新設営業所での立ち上げに関われるということに
「栄転じゃないか!」と周囲からも持ち上げられ、流されたのもあるでしょう。

すぐに承諾していました。

流されまくっています僕。笑

そこから約2年、縁もゆかりもない金沢でただただ営業を行いました。

ちょうど北陸新幹線が開通した年だったので、人も一気に増えた金沢で
シェアNo.1を取る、という目標を立てて本社でも公言していた手前、ガムシャラでした。
開始当初4名の営業所で、自分がやらなければ誰がやるんだ、という環境ではありました。

基本的には変わらない仕事内容であるものの、
独特の文化に戸惑い(金沢の食文化をもしっかり楽しみながら)営業していました。

順調に達成を続け、お客様や関係業者との繋がりも増え、
それなりに声もかけていただけるようになりました。

そして1年半が経過した頃、ようやく競合媒体を抜いてシェアNo.1になりました。
圧倒的に競合を突き放すぞ!と営業所で盛り上がりながら、充実はしていました。

が、常に未来への不安は消えませんでした。

自分の決めていた目標も達成でき、義理は果たせたかと思い、転職を決意しました。

意図していない誤解は産みたくないのでお伝えしておきたいのですが、
僕の中でこの1社目に在籍したことの後悔はありません。

人として尊敬できる上司や同僚に出会えましたし、今でも皆さん仲良くしていただいています。
社会人としての基礎、仕事に対する姿勢、営業の基礎など多くのことを学ばせていただきました。

■転職その1 

その当時考えることが多かった「誰の為の人生なのか」という問いの答えは
自分にとって「自分」でしかなく
自分がやりたいと思っていたことの実現のための機会にしようと思い
以前から声をかけて頂いていた先輩の企業への参画を決めました。

漠然と憧れていた独立へ向け、スタートアップの経験が必ずプラスになると思っての決断でした。

事業内容としては、飲食事業を展開される企業をお客様として

【その飲食店専用の農園を提供することで、
    自分たちで作りたい野菜を作っていただき
        収穫できた「本当に安心安全な食材」を飲食店がお客様へ提供できる】

という世界観は、前職の影響もあってか非常に魅力的なものでした。

業務委託契約での働き方であったため、
ある種フリーランスとしての働き方を経験できたのもこの時期です。

理念やコンセプトの設定、営業資料の作成、営業、サービスの立ち上げ、事業経費の算出など
細かいことをあげればキリがありませんでした。

が、営業の経験しかない僕にとってやらなければいけないことは次から次とあるにもかかわらず
右も左もわからないどころか、どうやって歩き出せばいいのかわからない環境でした。
「知らない」や「わからない」は理由にならないので、やり方を模索するしかありません。

計画は立てても、変更は当たり前。
その修正をいかに早く巻き取れるか、対応できるか、気付けるか。
転んで大怪我をする寸前、擦り傷くらいで切り抜けるような状況の繰り返しでした。

サービスそのものは農業が関わることもあり、自然が相手。
場所だけでなく、時間も限られているためPDCAを1度回すことだけでも時間がかかります。

サイクルは早くても半年。本来1年ですが、サービスを形にしなければ正式なリリースができません。
とにかくサービスを走らせて事業を回す。
参画し3ヶ月後にはトライアルサービスを開始し、
その半年後の初春には3倍の規模でサービスを開始しました。

ドのつく弱小ベンチャーが利益をあげていくために、とにかく先行優位をとり
後発が真似しようにも、PDCAの期間が長いことを逆手に取って
追いつかれないことが生命線であったため、とにかくスピード重視で動き続けました。

社長となった先輩には「顧客満足を考えろ」「このままだと赤字だ」とキレられながらも
都度勉強させてもらいまくっていました。辛かったけど充実していました。

日々出てくる課題に対してMTGを行い、解決案を練り、中期計画や事業経費の修正と、
並行して進める付加価値サービスの準備、
合間で営業やクライアント・取引先業者との折衝や飲食店への研修を行っていました。

急激に規模が大きくなった自社農園サービスは
協力農家さんの事情もあり、畑の作業人員が不足しだしていました。

自社農園サービスの責任者という立場だったので、
僕自身も農場での野菜のメンテナンス・収穫作業などに本格的に参加するようになっていました。
(おかげさまで野菜の栽培にはそれなりに詳しくなりました笑)

たまに農場へ訪問してくださる飲食店の皆さんから喜んで頂けることが励みでした。

採用をする余裕もなく、シルバー人材センターのおじいちゃん達にパートに入ってもらいました。
その頃にはすでに、初夏を迎えており、野菜の最盛期を迎えていました。

収穫の喜びを感じる余裕もなくなり、ただただとにかくサービスを回すことに必死でした。
そんな風に、ただただ全てに食らいつき振り落とされないようにしていった結果

過労で倒れ、人生で初めて救急車で運ばれました。

幸い大事には至りませんでした。なぜか笑ってしまいました。
自分だけは大丈夫と思っていただけにショックも大きく、頂けた1日休みで考えました。

「誰の為の人生なのか」

正直、倒れて休めたことに少しホッとしている自分がいました。

余談ですが、その時婚約をしていました。人生は自分のものだけではなくなっていました。
そのことにすら向き合わず、気付けずにいました。

周りには心配をかけ続け、一番大切にすべき人たちからの声にも耳を傾けられていませんでした。
そして本当に自分は独立がしたいのかを改めて考えました。

そしてそれは、「起業」を目的にした甘い考えだったということに気づきました。

恥ずかしいことに、それは「起業」というキラキラしたイメージに憧れていただけでした。
社会からに対して何かの価値を提供するからこそ企業は成り立つ、という根本が抜けていました。

信念を持ち、理想とする世界の実現の為に本気で動き続けられないと
諦めず何度も挑戦し続ける覚悟がないと起業などできないと
そして今時点では自分にその覚悟はないと、ようやくそんな自己認識ができました。

そして、新卒の就活から8年経ってようやく、就活時に自分が漠然と思い描いていた

「どこでも通用する人」とは

「独立や起業する人」ではなく「自分で社会に立ち向かえるスキルのある人」で

「自分の生き方を自分で選択できる能力のある人」

なのだと思い至りました。

今の場所にいたとしても、唯一無二のスキルは身につくかもしれません。
その比重はすでに農作業がメインとなっていました。
その業界にはプロがたくさんいて、僕はその道に進みたいわけではありませんでした。
サービスとして勝つことはできたかもしれないけれど。

不安は将来の嫁からもその家族からも感じられました。何より僕自身が違うだろうと感じていました。
僕にとって望む未来はなんなのだろう。


結果、転職を決意しました。

■転職その2

転職活動は「社会に立ち向かえるだけの、自立したスキルを身につけられる」ことを大前提に

・(今の自分にできない)起業をしようとする人を応援できる事業
・事業内容に成長性と魅力を感じられ、かつ自分自身が興味を持てるか
・手をあげればチャレンジができる環境か
・企業としても成長段階で、自分がその場で夢中で仕事に取り組めるイメージが持てるか

という基準で探していました。
整いすぎていない、大きくても30名くらいの規模感のベンチャーがいいと思っていました。

一般的にいう社会的なブランドや社名認知度などの「安定」ではなく
本当に必要とされ続けるサービスと自分が社会に立ち向かえるスキルを得られる環境を求めました。

数社の面接を受けようかとしていたときに、
たまたま知り合った方からITプロパートナーズの話をききました。
なぜか気になり続けたので、ネットで調べていると、このブログを見つけました。

初めて弊社代表木村の書いたブログを読んだ時に、引くほど共感しました。

それ以降1日1回はこのブログを開き、いろんな記事を読みました。
会って話を聞きたい、してみたいと思いました。片思いみたいな状態でした。笑

初めてエージェントを挟むことなく、直接アプローチをしました。
面談で弊社の幹部メンバー2名と代表の木村と会いしました。
本当にフランクな形で自分の経歴や転職のきっかけを話していました。

話の中で、ふと内定者の話になり「飲みに行ったりしますね」と聞いていた矢先に

「今度社内の飲み会あるんですが、飲みに行きませんか?」と誘われました。

即答で「行きたいです」と答えました。
が、それが単なる誘いなのか、それが内定なのか、軽くテンパっていました。笑

そしてその後参加した「全員」参加の飲み会で、
僕は約1名の社員とその会の約2時間話し続けることになりました。採用責任者の本田でした。


もっと色んな人と話しさせてくれって思いました。笑

思いもしたけど、結果として本田と話せてよかったと思います。
あれだけ真正面から本音をぶつけてこれる熱量のある人がいる会社は素敵だなと思いました。
ご興味あればぜひ体験コースをお勧めします。笑

翌日、弊社代表から僕の経験上最長なんじゃないかというレベルのメッセージをいただきました。
その中にあった

【「言い訳せずに、自分が選んだ道を自分の力で正解にする」という「強い覚悟」】

という言葉こそが自分が求めていた「自分の人生を納得できるものにする」
ために自分が言語化したかったことだという強い共感を得て、入社を決断しました。

■入社後~現在

それこそ全く「畑」違いの営業をしております(うるせぇ)

なかなかに苦戦しておりますが、入社2週間で新規企画に関わらせていただいております。
頭を動かさねば何も進まず、現状維持しかできません。

非常に刺激的で、周囲の方にも助けられながら日々楽しく充実しております。
物事は好転することはないし、計画には常に見直しと変更が発生します。

上場企業と比べれば、まだまだ仕組みになっていないこと、足りないこと、
明確でないことも多いですし、やらなければいけないこと、やりたいと思うことも沢山あります。

そんな環境だからこそ、社員が会社のためにできることを探し
何をすれば会社がより成長するのかを考え、切磋琢磨している環境です。

何がビビるって、みんな積極的に仕事を奪い合うので、受け身だと絶対に手持ち無沙汰になること。
やりたい!って思ったことはやらせてもらえる代わりに、やろうと動かねば何もやれません。

バリューを発揮する自信があろうがなかろうが、
その気さえあればチャレンジができる、という環境。

最高じゃないですか?笑

年齢など関係なく、当事者意識高く、モチベーションの高いメンバーと仕事をできることが
こんなに楽しいとは思っていませんでした。

「自立した人材を増やし、新しい仕事文化を作る」

ためにはもちろん自分自身が自立できなければそんなビジョンを達成することはできません。
僕の入社理由は

「自分の人生を自分の意思で選択できる(為の能力を身に付け、独立する)人になる」為

そのために入社しました。
覚悟さえあれば、何者にでもなれる環境があります。

ダラダラと書いてしまいましたが、僕は「入社してよかった」と言い切れるよう努力し続けます。

このままでいいのか、とモヤモヤしている方がおられたら、是非一度お話しましょう。
ありがとうございました。

株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)'s job postings
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