「葛藤し続けた自分に、ようやく芯が通った」
——田村さんが語る、さくら事務所で見つけた“事業と生き方”の重なり
大手住宅会社での現場・営業を経て、2016年にさくら事務所へ入社。
田村さんは「まだまだ住み続けられる住宅の価値がゼロになる」という違和感から出発し、ソーシャルベンチャーとしての事業づくりへと視野を広げてきました。
高校時代からの迷い、大学での転機、前職での挫折と学び、そして当社創業者の長嶋・社長の大西との出会い。
数々の葛藤の中で揺れ続けた軸が、どのように一本に通っていったのか——
その軌跡を伺いました。
◆01. 迷いと葛藤の高校・大学時代——“かっこよさ”から始まった建築
「自分の軸がないまま、周りの空気で選んでいました」。
高校で理系を選んだのも、大学で建築を選んだのも、“世間の序列”が理由でした。
転機は、香川県・瀬戸内海に浮かぶ「直島」を友人たちと旅行で訪れ、世界的にも有名なアートの島として知られるその地で、「地中美術館」に足を運んだときでした。
圧倒的な美術・建築空間に触れ、「建築ってこんなに人を揺さぶるのか!」と衝撃を受けました。そこからは大学の製図室(建築の図面や模型を制作する部屋)に泊まり込むほど没頭します。
しかし、デザイン競争の世界で痛感したのは自分の限界。
「圧倒的な才能の差を見せつけられた」と感じ、「意匠系の道は違う」と認めざるを得ませんでした。
その葛藤の中で大学時代に出会ったのが建築の歴史をフィールドワークから学ぶ研究室でした。
長野の古民家を実測するうちに、古い建物の価値に深い愛着を覚えます。
長野にある全国的に有名なお寺、善光寺門前町にたたずむ豪邸が“ほぼタダ”で取引されている現実に怒りを覚えました。どうして価値があるはずの家が二束三文になるのか。ここから“家の資産価値”というテーマが、自分の問いになったんです。
◆02. 前職で得た“現場と営業”、そして新たな葛藤
社会人のスタートは現場監督。その後、営業へ。仲間や上司に恵まれ、群馬から世田谷へ。ハイクラス顧客への提案力を磨き、成果も重ねました。
しかし、上司や先輩の異動と共に、視点の空気が変わります。
「売上のために“不要なものまで売る”ような文化」に直面し、心の奥に強いモヤモヤが積もっていきました。
「単に売上げを目的とすることに、何の意味があるのか。誰に喜んでいただくために、自分は営業をしているのだろうか。
その葛藤が、臨界点を超えたときに以前から認識はしていた“さくら事務所”の存在が頭をよぎったんです。」
◆03. さくら事務所との出会い——“葛藤を語れる対話”
面談担当者は代表の大西でした。
カジュアルな服装で現れ、スマホ片手に始まった面談は、大手企業に勤めていた自分からすると衝撃でした!笑
履歴書をなぞるのではなく、理念や構想をめぐる深い対話。途中でたまたま創業者の長嶋も現れ、場所を変えてまで議論は続きました。
履歴書の暗記テストじゃなく、自分の葛藤や問いを正面から受け止めてもらえる時間でした。 “住宅の資産価値”への関心が、そのまま事業につながっていく感覚があったんです。
この日を境に、「ここでやる」と心を決めました。
◆04. “手段”としてのホームインスペクション——葛藤を超えて広がった視界
入社前はホームインスペクションに強い関心を持っていました。
けれど入社後に気づいたのは、それはあくまで社会課題を解くための一つの手段に過ぎないということ。
マンション管理、防災、らくだ不動産……領域を横断しながら、「事業は課題解決の器だ」と体感しました。
売上のための“営業”ではなく、理念を掲げて社会に働きかける“事業”。その違いを実感して、キャリアの見え方が大きく変わりました。
◆05. 大手からベンチャーへ——カルチャーショックと適合
最初はカルチャーショックの連続。
ハンコを集める稟議文化から、チャットで「OK、やって!」と進む世界へ。
戸惑いながらも、数ヶ月で「こっちの方が性に合う」と確信。
変えたいことを提案してすぐ変えられるスピード感と、自律的に動ける自由。そこに居心地の良さを見出しました。