富里市立富里北中学校
反抗期と、さだまさし全曲楽譜集を弾き語っていた頃
学校がひたすら面白くなかったので、下級生数人を引き連れて、吹奏楽部がいる音楽室にギター片手に乗り込んで、さだまさしさんの「胡桃の日」(男女の別れ際を描いたフォークロック)や「檸檬」(御茶ノ水を舞台にした悲しい音楽)などを弾き語っていましたね。今思えば、何て血気盛んなんだろうね、と思うのですが。 学校が、成績順の序列化を行うので、鬱憤がたまっていたのでしょうね。つまり、富里北中学校(ほぼほぼ成田市)版の「フォークゲリラ」を敢行したものです。何度も。 中学校の女の先輩複数名に囲まれて「アンタ、さだまさしの楽譜持ってるでしょ? 道化師のソネットをコピーするから貸して頂戴」と言われ、しばらくはギターが演奏出来なくなったことがありました。 あれから、吹奏楽部の部長日高君は八千代松陰高等学校に行き、友人3人は、成田学区で最も偏差値の高い、千葉県立佐倉高等学校に行き、僕は、全県区の千葉県立千葉工業高等学校・情報技術科に行ったのですけどもね。僕はあくまで、パソコン道楽の一環としてですが。だって、高校でパソコンだけやっていれば単位が取れるって、これはもう、地上の楽園ですよ(笑) そうかと思えば、母の故郷の兵庫県尼崎市・JR立花駅近くの実家に勝手に家出・帰省しては、即日、東海道新幹線で母親に連れ戻されるといったことを繰り返す毎日。よほど祖母に会いたかったのでしょうね。その後、20歳の時に、千葉市若葉区東寺山町から、本当に兵庫県尼崎市(ほぼほぼ大阪市)に転居するとは、思いも寄らずに。 中学校の担任の松井先生が「横尾、これでは数学の評点がダメになるぞ」と言われ、志望校合格のために、夏休みを割いて、富里北中学校の校舎で数学の猛特訓を受けたおかげで、数学嫌いも、フォークゲリラもなくなったので、恩師には感謝申し上げる次第です。

