トライアスロンはじめました
40歳までまったく運動したことなかったのに突如スポーツに目覚め、トライアスロンをはじめました。少しでも健康で楽しい人生を送りたいし、自分自身との戦いでもあるのでやりがいを感じています。運動習慣ができたことで、心身ともに大きく体調が変化し仕事にも良い影響が出ています。
Discover companies you will love
株式会社スタートライン(障害者雇用支援) / 取締役/創業メンバー
福岡県北九州市生まれ直方市育ち。新卒で入社したアパレル会社を半年で辞め、フリーター経験後、ベンチャーの人材サービス会社へ転職。同社が上場し、業績不振で希望退職を募るまでを経験。35歳のとき、ノリとイキオイで当時の会社の仲間3人で株式会社スタートラインを創業。仕事ももちろん楽しんでバリバリやるし、音楽、楽器、映画、アニメ、トライアスロン、トレイルランニング、バイクなど好きなことは全部やる!人生そのものを豊かにしていきたいと思っています。
“The proper function of man is to live, not to exist. I shall not waste my days in trying to prolong them. I shall use my time.” ― Jack London 人間は存在するだけではなく、生きることで、本当に人間といえる。私は日々をただ無駄に過ごすのではなく、自分の時間を使うのだ。
3人で5万円ずつ持ち寄り資本金15万円で創業しました。そんな会社もいまは従業員400名、取引先企業500社、毎日支援している障害者は2500名以上になり、関わる人が増えてきました。まだまだ新しい仲間と新しいチャレンジをバンバンしていきたいと思っています。
障害者雇用促進法における法定雇用率が上昇するのにともなって、日本の障害者雇用はさまざまな取り組みを実現してきました。その中でも特に「農園を活用した障害者雇用」が大きく広がりましがた、その中には法の理念にそぐわないスキームや労働関連法規に抵触しているサービスも出てくるようになりました。そのような状況を危惧し、業界の健全な発展を目指すべく業界団体を設立する必要性を考えるようになりました。今まで接点のなかった「ライバル事業者」へ1社1社丁寧に声をかけていき、業界団体を設立することができ、当社スタートライン代表の西村が初代理事長に就任しました。これからさまざまな意見を取り入れながら社会的責任を強く自覚し、業界の健全化ならびに障害者雇用の質の充実と発展を促進することで、障害者が職業生活を通じて社会参加し自立した生活を送ることのできる社会を目指していきます。
三条市は「障がい福祉計画」を策定し、障害の有無に関わらず、誰もが相互に人格と個性を尊重し、支え合う「共生社会」の実現に向け、地域福祉の発展に力を注いでいます。そんな三条市に住む企業就労を希望する障害者のニーズに応えるため、スタートラインは三条市と連携し、障害者の雇用促進と地方創生に向け協働して取り組むことを決定しました。
スタートラインは目の不自由な方のための 「MSP Illumination Tour!」 で、障害者雇用支援事業に特化した会社としてイベント運営に協力いたしました。視覚障害者をガイドするボランティア担当者に向けて、参加者への接し方や、ツアー時の注意点、 目が見えないからこその ツアーの楽しみ方は何があるのか、といったイベントをより盛り上げるための視点について、アドバイザーとして 入りました。協業の三菱地所と、街づくりにおけるハード面の整備だけではなく、心のバリアフリーが浸透している街づくりに貢献したいと考えています。
入社当時100人いないくらいのベンチャー企業。「派遣」が産業として認知される前の時代、短期請負、短期派遣のさきがけです。会社・業界ともに急速に発展し、IPOを経験し、150名以上の組織マネジメントにも従事しました。リーマンショック、法令違反による事業停止などリストラクチャリング対応なども経験。今の時代だと「ブラック企業」と呼ばれるかもしれないが、
高校生のとき、「卒業したらフリーターになろう」と純粋に考えていて、期せずして念願かないました(笑)。友人の農家でいちごや花を育てる農業アルバイト、ショッピングモールでクレジットカード勧誘、家庭教師、教材販売勧誘などのアルバイトを経験。さすがにフリーターという状態に不安を感じて人材会社へ就職しました。
軽音サークルバックスバニーでたくさん遊びました。大学の学生寮で4年間過ごし、とても貴重な経験ができました。阪神淡路大震災があり、友人や先輩と突然会えなくなりました。「命」や「生きる」ということを深く考えました。
ジーンズを主力としたアパレルメーカー。誰しもが1本は持っているであろうジーンズを多く売っていたのは、エドウィン、リーバイス、ビッグジョンなどナショナルブランドでした。ボブソン在籍当時、アパレル業界ではユニクロはまだ小さな会社で、ユニクロが最もジーンズを売る企業になるとは想像もしていませんでした。
ハカマに憧れて弓道部に入りました。 生徒会で予餞会(文化祭みたいなもの?)の委員長やりました。
生徒会副会長やりました。
中2で転校したので1年だけ通いました。バレー部だったけど朝練しか行ってなかったな・・・
陶芸部でした。スイミングスクールに通っていて、自分でいうのもなんですが25mは結構速かったはず。
その名も「社会人アドバイザー」 かっこよく働くオトナの一人として、中高生が「働く」や「職業」を考えるきっかけとなる「場」のお手伝いをしています。都立高校を中心に10回以上のべ、400人以上の子どもたちとふれあいました。
40歳までまったく運動したことなかったのに突如スポーツに目覚め、トライアスロンをはじめました。少しでも健康で楽しい人生を送りたいし、自分自身との戦いでもあるのでやりがいを感じています。運動習慣ができたことで、心身ともに大きく体調が変化し仕事にも良い影響が出ています。