今回は、ZERO TALENTでの3年間を「紆余曲折の3年間」と語る、中途事業部リーダーの小牧優斗さんにお話を伺いました。
入社から半年後、9ヶ月間も未達が続いた小牧さん。
それでもある転機をきっかけに数字が伸び始め、今では社内1位を獲得するトップセールスに!!
支援した求職者の方からも「小牧さんを紹介したいです!!」という紹介が止まらない、ユーザーからの信頼も厚いキャリアアドバイザーです。
ドベから1位への復活劇の裏側には、何があったのでしょうか。
「これから営業に挑戦しようか迷っているけど、どんな人が向いているのか知りたい」
「今までの営業経験って人材業界で活かせるのか不安、、、」
——そんなあなたの背中を押すヒントが、ここにあるかも!ぜひ一読してください!
小牧 優斗(こまき ゆうと)/キャリアアドバイザー兼リーダー
・学生時代は野球に打ち込み、ピッチャーとして高校最後の試合は背番号1を背負う
・大学3年時からフルコミッションの不動産営業を経験
・その後、ITベンチャー企業にて新規開拓営業に2年間従事
・現在はZERO TALENTにてキャリアアドバイザー兼リーダーとして活躍中
――ZERO TALENTに入社してちょうど3年ですよね。この3年間、一言で表すとどんな時期でした?
一言で言うと「紆余曲折の3年間」ですね(笑)。
本当にいろんなことがあった3年間でした。入社して最初は調子が良かったんですけど、そこから9ヶ月連続で未達を経験して...。
その時は本当に何にも上手く行かなかったんですよね。
――確かに、、、数字が上がらず苦労しているの、見てました、、、。そこから抜け出せた理由って何だったんですか?
そうですね、、、。「継続」これに尽きると思います。
僕ってこれまでの人生振り返っても最初は全然上手くいかないところからスタートするんです笑。スポーツも仕事も。
でも学生時代の全てを捧げた野球で「継続」していたから上手くいったって経験があって。その成功体験があったから、そんな状況でも頑張れたんだと思います。
「継続」と「礼儀」——高校野球で叩き込まれた原体験
左(小学生時代) 右(高校生時代) フォームも表情も同じ、、、!笑
――それでは、まずは野球のことから聞かせてください!小学5年生から大学生までずっと野球をやっていたんですよね?
そうなんです。小学5年生の時に友達に誘われたのがきっかけで、そこからずっと。中学はクラブチーム、高校は部活、大学ではサークルと外部のクラブチームで続けていました。
――約11年、、、!めっちゃ続いてますね!!ちなみに高校は朋優学院だったんですよね。めちゃめちゃ厳しい野球部だったって聞きましたけど、、、。
本当にゴリゴリの野球部でした(笑)。上下関係も鬼厳しくて、集合時間の30分前集合が当たり前。あの、昔ながらの部活っていう感じですね。
しかも僕、5人の特待生の中で唯一「実力」で入ったわけじゃなかったんですよ。
後から監督に聞いたんですけど「お前は礼儀があったから入れた。」って言われたんです。笑。
監督が生徒指導室の一番厳しい先生で、そういうところをすごく見る方だったんですよね。スポーツ推薦の面接の時の挨拶とか面接後のお礼電話とか、「お前が一番礼儀があった」って笑 それで拾ってもらった感じです。
――The 昭和な先生、、、笑。でもそんな細かいところまで見てくれる先生って大事ですよね!ちなみに、入部後はどうだったんですか、、、?
やっぱり実力は同期の中でも一番下だったので、1年生の時は全然試合に出れませんでした。2年生からぼちぼち出られるようになって、3年になってやっと安定して先発できるようになった感じです。
でも僕、ずっと背番号11番の2番手ピッチャーだったんです。先発で投げているのに、背番号だけはもらえない。エースは同い年のライバルがいて。
それが、最後の夏の大会でようやく背番号1をもらえて、神宮球場で投げることができたんです。東東京大会でベスト16まで進めました。
――それはすごい……! 最後にエースになれた理由って、なんだと思いますか?
たぶん、監督もコーチも僕の性格を分かってたんですよね。「先に背番号1を渡したら調子乗って終わるだろうな」って。だから最後まで渡さずに、人参をぶら下げるみたいに競わせたんじゃないかなって(笑)。
でもこの経験から学んだのは、「小さいことでも継続していれば、誰かは見てくれている。成果は後から必ずついてくる」っていうことでした。
あと、赤点を取ると試合に出させてもらえなかったんです。だから「普段の生活や姿勢は常に見られている」っていう感覚も、この時に叩き込まれましたね。
この2つは、今の仕事にも本当に生きています。
「就活、めんどくさかった」——大学3年で始めた不動産営業
大学生時代
――大学はどうやって選んだんですか?ちなみに、スポーツ推薦とかって、、。?
スポーツ推薦ももらえましたよ。ただ、長野の大学とか地方の学校からの推薦だったので、東京から離れてしまうところで、、、。
スポーツ推薦は受けず、大学は高校の指定校で入れる大学にしました。
あとは、体育教員になるのも興味があったので、体育の教員免許を取れる大学、学部にしようと思って決めました。
――ちなみに、教員免許は取れたんですか?
それが単位を落として取れなかったんです笑。
なので、「あ、就活しなきゃ、、、」ってなったんですけど、周りは教職を目指す人が多かったので、そもそも就活やっている友人がいなくて「就活ってどうやるんだ?」って状態でした。笑
――そんな中で、大学3年生の冬から不動産の賃貸営業を始めていますよね。フルコミの業務委託で。
はい、友人がやっていて興味があったので、バイトがてら暇だしやってみよう〜くらいの感覚で始めました。
やっていたことは主に賃貸の営業で、内見や契約書対応など一通り任せてもらってました。あとは、自社の管理物件を取るために飛び込み営業もしていましたね。
月収は平均10万円、maxは30万円くらいでした。
――そこから就活はせず、そのまま不動産営業を続けたんですよね。就活しなかったのは、、、?笑
正直に言うと、就活がめんどくさかったんですよ(笑)。
やり方も分からなかったし、今の仕事である程度稼げてるしいいかなって。
親には「大丈夫?」って言われたんですけど、「大丈夫だよ〜」で押し通してましたね。
――(笑)。でも、卒業した年の7月ごろに転職しますよね。何があったんですか?
4月を過ぎると、ちょうど不動産の閑散期で、収入がガクッと落ちた時期でした。そこで他の友人の月給を聞いたら、「俺、めっちゃ安いじゃん……。流石にこのままはやばい」って気づいてしまって(笑)。
それで知り合いのエージェント経由で転職活動をして、内定が出たITベンチャー企業に入社しました。
1社目で叩き出した、歴代最高記録の裏側
――その会社は2年間続いたんですよね。最初はどんな感じでしたか?
正直、ゴリゴリの営業会社で、「1年いたら長い」って言われるような会社で、
同期は2週間で辞めていくような環境でした。
僕も最初の半年間はずっと未達で、毎日怒られてました笑。
――営業会社ぽいですね...笑。それでも辞めなかったのは...?
理由は2つあって。1つは「自分で決めたことは、すぐには辞めたくない」っていう自分の中のこだわりでした。
もう1つはシンプルに人間関係が良かったからです。特に上司がめちゃめちゃいい人で、「この人のために頑張りたい」っていう気持ちがありましたね。
――そこから、どうやって数字が上がるようになったんですか?
途中で上長が変わったんです。最初の上長はめちゃめちゃ管理する人で、日報を1時間かけて書かされるようなタイプだったんですけど、2人目の上司は真逆で。人間性重視で、管理やテクニックじゃなくて、飲みに行ったり、短時間で気持ちを乗せてくれるタイプでした。
その上司か「なんでもいいからアポを上げてこい! その先は俺がなんとかするから!」って言われてなんかすごく燃えてきて、より「数」を追うようになったんですよ。
――そこからは、、、?
結果、東京事業部のアポ数で歴代最高記録を叩き出せました。当時100人くらいいた同事業部の中で、2年目には全国5位の成績まで行けたんです。
面白いのは、この2人の上司から学んだことが、今のマネジメントにも生きているんですよね。
最初の上司からは「細かい管理・クオリティへのこだわり」を、2人目の上司からは
「管理やテクニックじゃなく、人間性と熱量でメンバーのやる気に火をつけるマネジメント」を学んだと思ってます。
――いい上司に出会えたんですね!!ちなみ、そんなに結果を出していたのに、なぜ転職を決めたんですか?
もともと迷ってはいたんです。テレアポはめちゃめちゃ強かったんですけど、対面の商談が本当に苦手だったんですよ。
いざ商談がメインのチームになると全然契約取れないし目標も達成できないし、、、、。
でもテレアポチームに戻ると数字が作れる、みたいな。
「将来的に役職が上がっても、ずっとこの作業をするのか……」って考えた時に、
「もっとできることを増やしたいなぁ」って思ったんです。
――そんな時に、ZERO TALENTと出会ったんですね。
そうなんです。今のマネージャーの吉川さんとは実は前から知り合いで、彼がインスタでストーリーを上げていて、それを見て「話を聞いてみよう」と思ってDMしたのがきっかけでした。
「一本槍」の壁——ZERO TALENT入社後の未達9ヶ月
――入社してからは、どんな状況だったんですか?
最初は順調に数字を上げて達成できていたんです。
でも、入社半年後から9ヶ月間、ずっと未達が続いたんです。数字も本当に壊滅的で……。
――9ヶ月連続未達はきついですね……。何が原因だったと思いますか?
今振り返ると、レパートリーが1つしかなかったなぁって思います。
当時の上司のやり方をそのままやってるだけ。他の同期はいろんな人に話を聞いて、自分なりに学んでいたんですけど、
僕はずっと同じやり方、一本槍で通してしまって。
――なるほど。それでも「やり続ければ達成できる」って思っていた?
思ってました。そのやり方でずっと達成している先輩がいたし、周りからも「面談自体は悪くない」って言われていたので、「大丈夫なはず」と信じてやり続けていたんです。
でも今考えると、自分の足りない部分に気づくのが遅かったんですよね。
アドバイスをもらった時点では正しかったやり方も、思考せずそれをやり続けても成長はしないって。
ドベから1位へ——復活の転機
――前職でもZERO TALENTでも、入社直後に成果が出なかった時期がありましたよね。この2社に共通する「抜け出せた理由」ってあります?
あります。出せなかった理由は、両方とも「言われたことだけをやっていた」からなんですよ。
――なるほど。じゃあ、成果を出せた理由は?
これも共通していて、どちらも上司から「一旦、自分なりのスタイルでやってみろ」って言われた瞬間だったんです。
あとは、社長のリカルドさんから「その候補者のために何ができるか、どんな価値を届けられるかっていう思考で面談をやってみろ」て言われて。
そこから変わっていきましたね。
――型を守ることも大事だけど、それだけじゃダメだった。
そうなんです。もちろん新人の頃は、型を習得することも大事だと思うんです。
ただ、新人期間を過ぎても言われた通り、型通りにやり続けているだけでは、自分の成長には繋がらないって実感して。
そこからは、候補者との信頼関係を築くこと、その人のために自分の知識を提供することを意識するようにしたら、面談の質も紹介の数も一気に上がっていきました。
――そうだったんですね。そんな時期から今はリーダーもやりつつ、社内でもトップセールス。ドベから1位への完全復活じゃないですか(笑)。
いやいや(笑)。でも、あの未達期があったからこそ、「言われたことだけをやる営業」の限界を身をもって知れたのは大きかったですね。
リーダーとして、後輩に伝えていること
売上という数字だけではなく、求職者から「キャリアに悩んでいる友人がいるので、小牧さんを紹介したいです!」と紹介をいただく人数もトップの小牧さん。
――今はプレイヤーとしての営業に加えて、リーダーもされていますよね。リーダーとして意識していることはありますか?
2つあります。1つは、ZERO TALENTだけじゃなく、他の会社でも通用できるように育てる」ということ。ここでしか通用しない働き方じゃなくて、社会人として、営業として、どこに行っても活躍できるようにしてあげたいんです。
あとは、「信頼第一」ってことですね。
――「信頼」大事ですね。ちなみに、そういった姿勢が面談スタイルにはどうやって現れてますか?
一番は、相手にとって都合の悪い情報もちゃんと伝える。メリットもデメリットも両方伝えた上で、最終的には本人に決断してもらうようにしています。
人ってどうしても、自分にとって都合いい情報しか耳に入らないんですよ。だからこそ、しっかりデメリットも伝えた上で、それでもこの選考を受けたいのか?本当に入社したいのか、を本人に選んでもらう。
あとは、連絡はマメに返す、言ったことは絶対に守る。当たり前のことなんですけど、こういった小さい積み重ねも信頼につながっていると思っています。
その上で、本人が本当に叶えたいことに対しては、
僕自身も一緒になって「その人にとっての正解」を考えるようにしています。
最後に迷っているのであれば、プロとして自信を持って背中を押す。ここは大事にしていますね。
――最後に、ZERO TALENTの応募を迷っている人に、メッセージをお願いします!
興味本位で全然受けてもらっていいと思います。
こういったインタビューやHPを見ても、実際の雰囲気は話してみないと分からないと思うんですよね。だからまずは気軽に話を聞きに来て欲しいですね!
あとZERO TALENTは、いくらでも成長できる環境ですし、正直に言えば楽もできちゃう環境です。だからこそ、自分次第で人生を変えられる会社だと思っています。
僕自身、ここに来て変われた実感があるので、
「次のキャリアで悩んでいる」っていう人にこそ、一度話を聞きに来てほしいですね!!