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ブランディング企業の社長が語る、オフィス移転プロジェクトの赤裸々裏話(1)

コロナ禍で多くの企業にさまざまな変化が訪れていますが、私たちクオーターバックでは、20年にわたり飯田橋にかまえてきたオフィスの移転を決めました。2021年4月には新オフィスの一部が完成し、業務機能の移行が完了。さらに空間全体を「ブランド体験の場」にするべく、竣工に向けて計画を進めているところです。

今回の移転プロジェクトがどのような経緯で決まり、ここまで進んできたのか。弊社代表取締役の山田に、裏話を語ってもらいました。

実は、かなり消極的な考えから始まった移転プロジェクト

飯田橋オフィスでは、2つのフロアを借りていました。コロナ禍でリモート体制がスタートし、誰もいないオフィスのために支払う家賃がもったいないので、広いほうのフロアを解約して、残った1フロアを改装して使う。…正直に言うと、当初計画していたのは実に消極的なプランでした。

最初の緊急事態宣言のときの飯田橋オフィス。明るいはずなのに、何だかやけに暗く感じたのを覚えています。

時期は初めての緊急事態宣言が発出され、世界中が未知のウイルスに恐怖し、ほとんど先が見えなかった頃。経営者としては、とにかく固定費を下げたかったんですね。メンバーには「コストの削減とチャンスの拡大」を謳っていたのですが、正直なところチャンスの拡大プランは「動画の配信」くらいしかなく、完全に守りの姿勢に入っていたところでした。

当初考えていたプランを図にするとこんな感じです。

ちなみに残す予定だった1フロアは、ふだんは会議をしたり、メンバーとのワークショップに使っていました。忘年会などのイベントを開くのもこの場所で、クオーターバックに遊びに来たことがある方はよく覚えていらっしゃるのではないでしょうか。メインスペースのほか10人程が入れる会議室や倉庫もあり、写真で見るよりは広い空間だったかと思います。


チャンスを拡大したいなら、空間にできることはもっとある。

残されたこの場所をどのように改装しようかということで、真っ先に相談したのが「明日をもっとcolourfulに」をミッションに掲げる、建築空間創作集団coloursの奥野さん。

この頃の僕は「お先真っ暗」といっても過言ではない状態だったので、藁にもすがる思いで連絡したのを覚えています。


奥野さんはcoloursを率いるリーダーで、空間構成のすべてを相談できる人です。オフィスの現況を見てもらったら、開口一番「移転は考えていないんですか? テーマはコストの削減とチャンスの拡大ですよね。だったらこのフロアを改装するほかにもできることはありますよ」とご提案いただきました。

この頃は、正体不明のウイルスに未来を目隠しされていたさなかですから、正直余計なコストはかけたくない。けれども、上の方で紹介した「消極的なプラン」では、特に希望が見出せなかったことも事実。僕の中で初めて「移転アリかも」という考えが頭に浮かんだ瞬間でした。

奥野さんが提案してくれた内容は以下のようなものです。

  • チャンスを拡大したいのなら、出会いが生まれやすい路面(1F)を狙ってみてはどうか
  • 内装工事のアイデアに幅を持たせるなら、天井高の高い物件を選んでみたらどうか
  • エリアを選べばコストは削減できるし、転貸などを行えば利益を得ることも可能

奇しくも時を同じくして、クオーターバックの新しいブランドコンセプト「つながりのデザイン」が誕生したばかり。しかも経理部門メンバーの尽力により、十分な資金も獲得できていました。

…よし、やったろうじゃないか!人やチャンスとのつながりをつくる「自社ブランドの拠点」をつくろう!ここで、気持ちが固まりました。

大事な決断をするときは、半分計算、半分カン。そして、だいたいそこに大きなヒントをくれる「人とのつながり」があるものです。やっと見えてきたわずかな希望を信じて、移転に向けて僕らは動き出すことになりました。

巡り巡って出会ったのが、浅草・今戸の倉庫物件。

僕自身、オフィスの移転は初めての経験。奥野さんの「まずは物件を見に行こう」という言葉に乗っかり、東東京エリアを中心にいろんなところを巡ってみました。

意外にも安く一棟借りができる物件を見つけられたり、とても古い建物ながらルーフトップが素敵な物件に出会ったりと、巡ってみるといろいろな発見があります。こうして何周かの物件探しの旅を経て出会ったのが、後に僕らが入居することになる、元は段ボール倉庫だった浅草・今戸の物件でした。


これからオフィス移転を初めて経験する方にもお伝えしたいのですが、物件を選ぶ決断はとってもキツいです。当然ながら良い物件はほかにも借り手がいて、迷っている暇はありません。社員みんなに相談したくてもそんな時間はなく、とにかく申込を入れて、審査を通過し、(僕らにとっては莫大な)初期費用を入金する。ここまでを一気に行わなければいけません。

飯田橋から浅草への移転ですから、自宅から遠くなるメンバーもいます。さらにスピード重視の(半ば)強行突破となれば、波風が立たないわけがありません。メンバーから見れば「自宅から遠くなる可能性があり、どんなオフィスになるのか想像できず、コロナ禍で先行き不透明な中で移転には費用もかかる…」不安な要素が目白押しです。

その気持ちもよく分かるだけに、とても苦しい決断でした。

それでも「いろいろ考えがあるんでしょ、山田さんの決断を応援しますよ」「現状維持は衰退です」「場所はどこでも。決まった場所で今まで通り働くだけです」と言ってくれたメンバーがいたことは、僕にとってとても大きな救いになりました。

最後に、浅草・今戸の物件について整理してみたいと思います。


便利さという面では、飯田橋時代のほうが優れていました。この物件は駅から近くはありませんし、周囲に選べるほどの飲食店もありません(数は少ないけれど、良いお店はあります)。コンビニやスーパーも少し遠くなります。何より、ここで仕事をするためには改装が必要です。

けれどもこの物件・このエリアには、たくさんの可能性があったのです。


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