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落ちこぼれから最年少リーダーへ転身!2年目の世界大会プロデュース

数々の大企業に対して「コンサルティングxクリエイティブ」で領域不問の課題解決を行うJBA。でも「JBAって何屋さん?」と聞かれると、一言では答えにくいんです。

そこで、実際のお客さまとの具体的なプロジェクトを通して、担当した社員は、何を考え、どんなことをしたのか。やりがいや苦悩や仕事観に至るまでをリアルにお伝えする「事例紹介」シリーズです。

こんにちは、2014年入社の大岡です。今回ご紹介するのは、私がコンサルタントとして自信を持って仕事ができるようになった、そのプロジェクトのお話です。

思い通りにいかなかった社会人のスタート

社会に出る前は小学校からずっとソフトボールに打ち込んでいて、大学時代はソフトボール部のキャプテンを務め、国体の選抜選手にまでなりました。成果を求める努力と情熱は人一倍。4年生の秋に就活を始めて出会ったJBAなら熱中できる環境と、共に上を目指せる仲間が得られそうだという気がして、入社しました。

でも、1年目はミス連発。同期の中で断トツの落ちこぼれで怒られてばかりの毎日でした。バリバリの体育会系で辛い練習も楽しく乗り越えてきた自分なのに。「XX高校に勝つ」「全国制覇する」などの明確な目標があったこれまでと違って、今自分がやっていることが何につながるかが分からず、何が成果なのかもわからなっていました。

同期がどんどん先に進んでいく中で、やっぱり、コンサルタントなんて私には無理だったかも、体を動かす仕事のほうが向いていたかも…そんな風にやる気を失いかけていました。

そんな私に転機をもたらしてくれたのは「もう後がないよ。」というA先輩の厳しい一言でした。「数か月後に後輩の新卒が入ってくるのに、この一年間で自分が成長ができたと思う?」そう聞かれて、私は下を向いてしまいました。

けれど、先輩はただ私を叱咤したわけではありませんでした。「大手建材メーカーA社さまの社内向けマガジンのプロジェクトをやってみて。一つ一つわからないことはなんでも相談しながらでいいから」と言ってくれました。そして、何もできない私に、その先輩は手取り足取り、丁寧に仕事を教えてくれました。アドバイスされた通りにやっているうちに、お客さまから褒められる瞬間が少しずつ出てきました。

お客さまの期待を超えるべく、50名の顔と名前を覚えて取材に挑む

A社さまは、S社グループの子会社。そのS社グループとは国内シェアNo,1の建材メーカーで、グループ全体で5万人、うち8割は海外拠点の従業員を抱える一流企業です。私が任されたのは、A社さまが年4回発行する社内向けマガジンの編纂でした。社員のスキルを競う技能コンテストを社内報に乗せるからその取材をしてほしいというご依頼でした。JBAにとっては多くの優秀な社員と接点をもってお客さま企業との信頼関係を築く、またとないチャンスです。

「これは落ちこぼれから脱却し、自分の実績を作る最後のチャンスかもしれない」と私は思いました。お客さまの期待を超える密着取材をしよう。そう決意して、事前に選手50名の顔と名前を全て一致させ、どんなシーンを撮影するかのイメージも考え抜いて取材に臨みました。限られた期間でいくつもある競技会場を駆け巡るハードスケジュールをでしたが、「大岡さんは皆の顔や性格を覚えている。すごい!」A社さまの担当者の方からそんなお褒めの言葉をいただいて「やった!」と思いました。

大会当日は、グループ親会社のS社さまの担当者さまも見学にいらしていました。その場でA社さまから「大岡さんは何でもできるんですよ!」と大絶賛で紹介をされ、S社さまの担当者の方から「うちも相談したい動画企画があるので、またご連絡します」と言っていただけたのです。これが、親会社のS社さまとのファーストコンタクトでした。

プレゼン直後に、「御社に決めます」の一言。

まもなく親会社のS社さまから「うちが主催する32か国から技術者を集めて技能コンテスト世界大会で、動画制作を任せる企業を探している。コンペになるが、一度本社のオリエンテーションに来てくれないか」とのお声がかかりました。ひとつの記事の仕事を一生懸命したことで、超大手企業から舞い込んできた思いがけないプロジェクト。JBAの中でも大騒ぎになりました。

A社さまの仕事を無事に終えていて自信がついてきていた私は、オリエンから期待値越えの準備をしていこうと思って、S社さまのことを調査し、競合他社の技能コンテストの事例を調べつくしました。当初のご相談は動画1本のみを任せたいということだったのですが、「世界トップクラスの技術が集結するのだから研修にも活用しましょう」「日本だけでなくグローバルに展開できるといいですね」と先手を打って応用提案をしました。S社さまはその姿勢を喜んでくださり、「分かりました。動画に限定せずいろんな提案を持ってきてください」との言葉をいただきました。

それから、大会のイベント進行シナリオから、前夜祭の企画、当日のイベント運営とその後の懇親会の開催、コンテストのシンボルとなるロゴマークから、タペストリー、ゼッケンなどのスワッグ(壁飾り)に至るまで、依頼された以上のあらゆる提案を、全力で準備しました。もちろん本題の動画についても、シナリオをしっかりと練り上げてコンペに臨みました。

そしてコンペ当日。S社さまの会議室で、私の向かいに座った担当者さま2名に対して、技能コンテスト世界大会の開催の緻密な計画を提示して、まるごと全部プロデュースしたいという熱い想いをぶつけました。

今でも忘れられません。プレゼンが終わったその場で、担当者のお2人が顔を見合わせて頷きあい、「御社に決めます」と言ってくださったのです。まさかその場で受注できるとは思っていなかったので、私は大興奮でした。プレゼンに同席していた上司と、恩人の先輩と一緒に帰り道に煽ったビールの美味しかったこと!このプロジェクトは、JBAの総力をあげて必ず大成功させよう、そう決意しました。

本番に向けた怒涛の日々の始まり

 2年目で初めて手にした超大型プロジェクトで、天下のS社さまの重要なコンテストを、しかもリーダーとしてまとめていくプレッシャーは想像以上でした。

作業量も膨大です。当日の会場レイアウトを検討したりシナリオを詰めたりする企画作業と並行して、クリエイティブチームのロケハンにも同行し、動画やパンフレットといった制作物一つ一つのチェックもおろそかにできません。特に大変だったのは、これまで関わってきた仕事の何倍もの緻密さを要求されるスケジュール管理でした。

落ちこぼれだった自分が全てをスムーズに進められるはずもなく、やることすべてが大きな壁に思え、時間ばかりが矢のように過ぎていきました。それでも当日までの2カ月を頑張れたのは、様々な強みを持つ15人のチームメンバーに支えられたから。私は「おもてなし精神」を重んじる社風で有名なS社さまに、この仕事を通じて、JBAから自社基準を超えるおもてなしをしてもらったと感じてもらいたいという思いだけで、夢中で駆け抜けました。

そしてイベント前日の夜、万全の準備を整えたと感じてホテルに戻った時。ふと「まだ、やれることがあるんじゃないか」と思いました。世界各地から来るグローバルな80名の参加者のために、パーティーでパンフレットに添える折り鶴があるといいなと閃いてしまったのです。メンバーに「どう思う?」と相談すると、連日の準備でみんな疲れているはずなのに、誰一人嫌な顔をせず「いいっすね!」と超乗り気。いい会社に入ったなあと感慨にふけりながら、深夜にホテルのロビーで皆で机を囲み、鶴を折りました。


担当者の方の涙

技能コンテスト世界大会当日も、はじめての経験でトラブルもいっぱいありました。現場はまさに戦場でしたが、もうそこには、JBAの仕事だから、S社さまの仕事だからという壁は一切なくて、みんなの気持ちは「One Team」。どうすれば参加者のみなさんに喜んでもらえるか、それだけを考えて皆が動けました。

そして、すべてのプログラムを終えた最後のセレモニーで、プロジェクトのダイジェストムービーを流した時、S社さまの担当者の方の目に、涙が光っていました。技能コンテストは、その方が海外駐在経験を通して国境を越えた社員の育成の場が必要だという問題意識を持たれたところから発案されたものでした。10年もの時間をかけて企画を練り、今回ようやく実現した大会だったのです。

担当者さまにとっては絶対に失敗が許されない場であり、私以上に凄まじいプレッシャーを感じていらしたのだと思います。その時、全てをやり切ったという表情の担当者さまから、「ここまでこれたのは大岡さんのおかげです、心から感謝しています」そんな、忘れられない言葉をいただきました。私も、涙が溢れてしまいました。

担当者さまの想いを実現するための手助けができたことに、大きな喜びを感じました。私のほうが感謝したいくらいでした。素晴らしい機会をいただけて、感動の瞬間に立ち会えたこと。今までの大変だった時間はすべてこの瞬間に報われたと感じました。あの時の達成感を思い出すと、今でも涙が出そうになります。

海外のプロデュースも任される存在を目指して

実は、その場で翌年開催される技能コンテストの国内大会のプロジェクトも受注しました。次の年も前回を超えようと奮闘して、大絶賛をいただきました、

技能コンテストをきっかけに、いくつか海外案件も生まれました。グローバル展開するS社さまのステージをさらに高めていくために、一発花火で終わらない、国境を越えた強固なプランニング・パートナーとして指名され続けたい。JBAは、私は、S社さまにとって「なくてはならない」存在になれているかな。時々そんなことを考えます。

…いかがだったでしょうか。当時23歳。入社2年目で断トツの落ちこぼれだった私が、JBAの最年少リーダーに選ばれるまでに成長することができたのはなぜかと考えた時、思い出すのは、お客さまに感謝されたあの感動の瞬間です。JBAには、目の前のお客さまのために精一杯やりたいと思えば何でもさせてもらえる環境があります。同じ思いをもって助けてくれる先輩や同僚がいます。これからも自分らしく精一杯努力し、世界中から求められるコンサルタントとして活躍していきたいと思っています。

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