子育てで働き方は変わっても「海外と日本を繋ぐ仕事がしたい」という想いを叶え続けられた、”新しい働き方の選択肢”<地域ブランディング研究所スタッフインタビュー>
【プロフィール】中澤優里 東京外国語大学卒業後、旅行代理店に新卒で就職。タイ現地での訪日旅行事業の立ち上げやインバウンドメディアで営業部長を経験。出産を期にパートとして地ブラへ入社し、現在は正社員スタッフとして、浅草他関東エリアを中心に地域づくり、海外の方の求める上質な滞在コンテンツ造成を担当。
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■「海外と日本を繋ぐような仕事がしたい」という想いで決めた観光業への就職
母が英文科、叔母が大阪外大出身というのもあり、幼少期から絵本やカセットテープで英語が流れていたり、英会話スクールに小学校から通っていました。英語に触れたり、外国人の方に会う機会が多い環境で育ったこともあり、自然と語学を使った仕事をしたいというイメージと、行くなら語学のトップの大学に行こうと思って東京外語大に入りました。
英語ともう1言語習得したいという想いと「他の人と違う言語が話せるようになったら面白そう!ご飯やワインも美味しそうな国だから・・・」という軽い気持ちでイタリア語を専攻して、イタリアに留学に行きました。そして大学3年生頃からは語学習得に加えて、「それを通じて何を学びたいか?」ということも考えるようになり、国際経済に興味を持ち勉強していました。
就活では、海外と日本を繋ぐような仕事がしたいと思い、M&Aなど金融関係や商社、銀行、輸入・物流などを中心に受けていて、旅行代理店は「そういえば旅行も外国人と触れられるという点ではありかな?」と思って何となく受けたのです。
志望度が他の業界より高くなかったからか、選考で変に緊張せず自分の素のままで話したのに内定をもらえたことで、「自分らしくしたままで認めてもらえる会社の方が、やりたいようにできそうという!」という印象が強くなり、金融業界と最後まで迷ったのですが、旅行代理店への入社を決め、希望していた訪日旅行に関する事業を担当しました。
■出産を機にパート職へ、やりがいある仕事探しの難しさを実感
新卒で入った会社では、訪日の専門部署で官公庁をターゲットに招聘旅行・研修旅行・国際会議・ 国際スポーツイベント等の営業活動をしていました。私が入社して勤務したのは2011年から2013年という東日本大震災のタイミングだったので、「何で日本になんかに行くんだ?」と言われていましたし、そこでインバウンド観光の底辺を経験したことがあり、今思い返すとその頃の経験はコロナの比ではなかったです。その時から、観光やインバウンドの仕事をするには、こういった世界規模のリスクが伴うことを改めて感じました。だから、コロナが来たときは「またか・・・」という感じでした。
数年で同じ会社にいた夫がタイに駐在することになり、私もタイの旅行会社に転職しました。そこでタイ人向け訪日旅行の部署を立ち上げ、日系企業や自治体へのセールスコール対応、日本へのタイ人観光客の誘致をサポートしていました。
2015年に日本に帰国した後は、東京にあるインバウンドメディア事業を手掛ける会社で「日本の魅力を海外に伝え、訪れてもらおう」という想いでプロモーションの営業を担当していました。
コロナ禍中に、妊娠をきっかけに退社をしました。より地域に近いところで仕事をしたいという想いが大きくなり始めていた時期であったこともあり、出産で様々なことの見え方や考え方、ライフスタイルが変化する可能性を考えると、産休をとるよりも一度仕事から離れてみるという選択肢が良いように思えたからです。子供を保育園に預ける目途が立ったタイミングでパートでの転職&仕事探しを始めました。
転職活動を始めて登録した就活エージェントや求人サイトでは「マネージャーの経験を活かした社員で仕事をしませんか?」というスカウトが多く届きました。育児がどうなるかの想像もできていない中で、正社員で入って責任ある立ち位置を任されるのはやっぱり不安だと思い、時間制限があるパート勤務での希望なども伝えたのですが、なかなか了承いただける会社がありませんでした。
一方、パートで探すと接客サービスやオフィスワークの中でも単純な入力事務などの作業系の仕事が中心だったり、「決まったここだけやる」という感じの仕事募集が多い印象でした。それだときっと私の性格上、物足りなくなりそうだなと思っており、やりたい業務と勤務体系が合致しないと感じていました。
■ここだと思えた地ブラの選考と職場環境
しかし、地ブラのホームページで見つけた地域ソリューション事業の営業アシスタント業務は、今までの観光業やインバウンドの経験も活かせて、企画書の手伝いや営業現場のサポートだけでなく、英語も活かせそうだと思い、すぐに応募しました。
選考でやはり営業職について経験が活かせるのではないかと聞かれましたが、これまで受けた選考の経緯や、働き方の希望を伝えたところ、まずはパートからスタートしたい趣旨も理解いただき、さらにリモート勤務を利用しながら色んなポジションで活躍されている子育て中のパートさんが多いことや、業務については幅広く担当できそうなことも聞けました。
既に同じようにお子さんがいて活躍されてる方の様々な働き方の事例を聞けたことで安心できましたし、何よりもここなら観光業界の経験を活かして、新しいことにも触れながら、やりがいがある仕事ができるだろうなと思えました。
保育園へ預けるタイミングと新しい仕事が重なりましたが、スタート時は稼動数や勤務時間なども調整させていただき、週3から仕事をさせていただきました。地ブラはパート社員さんだけでなく、子育て世代のパパ社員さんもいて、私のチームの方々も在宅勤務時間の調整が効く自分の方が奥さんよりもお迎えや食事、病院の付き添いなどを担当していたり、同じくらいのお子さんの育児をしていたので相談しやすい環境でした。
■新しい働き方の選択肢を活かして仕事の幅もUP
しばらくして子供の通園や仕事も慣れてきたタイミングで、「自分が担当できたらもっとこんなことも提案したい・・・」という仕事をさらにやりたい気持ちも高まってきたと同時ににモニターツアー同行の出張や、企画造成にも関われる機会も増えてきました。
我が家は旦那さんも在宅で仕事ができるため、娘のことを見てもらえる機会も多いため、お互いの仕事の状況に併せて相談しながら今も仕事のアポイントの際は調整しています。
パートかつアシスタントという立ち位置でしたが、担当していたプロジェクトで代表の吉田さんからも直接指示をいただくことなども当時から多かったので、気付いたら自分も営業をしていた時のモードに戻ってきていました。吉田さんは前職の代表より1世代若いこともあり、判断スピードの速さや柔軟性を感じるところがあります。
また、私は子供と20時位に早くに寝てしまう分、家事や仕事はかなり早朝に起きてしまって、その時間に対応するペースだったのですが、吉田さんも早朝に仕事をされるタイプなので、確認が朝のうちに終わるので進めやすいという状況がありました。案件を色々と担当させていただくことになり、「パートなのにこんなことまで担当させてもらってもいいのかな?」と思う機会も増えた頃に、いくつか働き方の選択肢も提案いただきました。
地ブラは時短スタッフの他、業務委託としてフロントで活躍されている主婦の方も何名かいるので、そういった働き方の選択肢もありました。私の場合は、夕方までで終わりという時短というよりは、子供もいるのでフル勤務のスタッフよりは稼動できないけれど、「朝の時間帯などフレキシブルな時間帯だったら働けるのに・・・」と思っていました。他にも「子供を迎えに行った後や寝た後なら仕事に戻れるのに」という方も数名いらして、新しく社内に「フレキシブル社員」という新しいカタチの時短社員制度ができることになりました。それで私は自分が希望する時間で稼働できそうな、その制度を利用して社員になることを決意できました。
今では子供も2歳になり連れて歩けるようになったので、地ブラの浅草の行事にも一緒に参加させてもらっていて、三社祭のお神輿や10周年パーティーなど他のスタッフさんのお子さんも参加されていらっしゃる中、娘も社内の皆さんによく可愛がってもらっています。
■インバウンドの再開と共に新たな挑戦にも参加
2023年は、コロナが空けてインバウンドが再開するにあたって、地ブラもこれまで以上にAttractiveJapanの活用や自社独自で企画するインバウンドツアー、訪日旅行代理店へのアプローチなど積極的にインバウンド対応を行って行く必要が出てきました。私は、英語対応ができることや訪日旅行の企画経験があったこともあり、新しくインバウンド向けに試みを行うチームの発足や、サービスの企画に関わらせてもらう機会ももらえました。浅草の芸者・歌舞伎などのコンテンツの企画や浅草の事業者さんを活用いただいたツアーの企画対応なども行っています。
前職でメディアの仕事をしていた時は外目線で描いて伝える仕事だと何かコミットしきれず、少し地域と壁があるような気がしていたので、地域の方々の課題や悩みを直接支えられる仕事ができてることはやりがいになっています。
浅草にオフィスがあり、担当も浅草なので、これからもっと浅草の町が観光で盛り上がっていけるように、浅草の伝統芸能をしっかり世界の人たちに発信して、誘致できるように頑張っていきたいと思います。