1
/
5

新卒ブログ|世界一周の旅人からソーシャルビジネスの世界へ

※2022年4月入社時の内容です

このブログに辿り着いた皆さん、こーんにちわーー!!(錦鯉にハマっています)
今年4月から、”社会問題”を”ビジネス”で解決する『社会起業家』になって、世界をより良く変えていくことを目指し、ボーダレス・ジャパンにジョインした、小松航大(こまつ こうだい)と申します!

僕は、「中東へ出稼ぎに行ったエチオピア人移民労働者が、不法な搾取や虐待を受けている問題」をビジネスで解決したいと考えています。


ちなみに、エチオピアはここです!(※Googleマップに飛びます)

「い、いきなりそんなこと言われましても訳がわからないよぉ〜」と画面の向こうから声が聞こえて来そうなのですが、「元々は世界を飛び回るバックパッカーだった青年が、なぜそう思うようになったのか」を1分ほどでサラッと読めるように書いたので、最後まで読んでくれると嬉しいです。

それでは、さっそく始めます!

<目次>
1.旅人誕生
2.価値観を揺さぶられた、2度の経験
3.「社会を変えるにはお金や!」と起業を志すも玉砕
4.「ソーシャルビジネス」「ボーダレス・ジャパン」との出会い
5.社会を変えるために、ボーダレスで挑戦す
6.最後に

1.旅人誕生


1998年5月31日、香川生まれ地球育ち。写真左の、長男です。

瀬戸内海と山に囲まれた環境で、うどんを週5で食べて大きくなりました。好きなうどんはぶっかけうどんです。

小さい頃は両親が定期的に海外留学生ホームステイプログラムに参加して、1年に2~3回ほどの頻度で家に海外のバックグラウンドを持った人たちが泊まりに来ていたので、今思えばそれが海外に関心を持ったきっかけかもしれません。

とにかく読書と身体を動かすことが好きで、高校卒業まで一貫してサッカーを続けます。

将来の夢を聞かれてもいまいちピンとくるものがなく、「もっとみんながおもろいと思える世界を作りたいなぁ」と、学校からの帰り道に田んぼの前でぼんやり考えたことが、初めて将来について真剣に考えた瞬間でした。

高校生の時に、友人とヒッチハイクにどっぷりハマり、初めて県外の目新しい景色と乗せてくれた人たちとの素敵な出会いの連続に惹かれます。
そこからはサッカーに明け暮れながら、週末や長期休みの度にコンビニで貰った段ボールを片手に道路横で親指を立て、四国や関西、名古屋などをヒッチハイクで訪れるという感じの高校生活を過ごしました。

そして、「もっとおもろい人に会いたい!」「じゃあ東京か!」という如何にも安易な考えで大学は東京に進学。

大学に入り、バックパッカーとして東南アジアやインドを周遊しながらストリートチルドレンとわちゃわちゃ遊んでいるうちに、それまで漠然と関心があった「貧困問題」を肌で感じ、ちょうど人生の使い道を考えていたこともあって、「世界の貧困地の現状をもっと自分の目で確認したい」と思うようになりました。

そこで、20歳の時に大学を一年休学し、中東・アフリカ・南米の貧困地を中心にバックパッカーとして世界一周の旅に出ます。世界各地の高校や大学、名もなき村で日本語教師の個人活動を行いながら生活をしていましたが、当時は本当にお金も知識もなく、現地に暮らすたくさんの方々に支えられました。


2.価値観を揺さぶられた、2度の経験

その旅の途中で、良いことも悪いこともたっくさんの思い出があるのですが、特に衝撃を受けた出来事が2回、ありました。

1回目は、中東のバーレーンという国の空港にいた時のこと。

空港の待合室にあった椅子で飛行機を待っていると、少し先に自分と同い年くらいのアフリカ系の女性が、両手に大量の荷物を抱えて立っていました。
あまりにも多くの荷物を持って立ち尽くしているので「席を譲ってあげよう」と思い、声をかけて譲ったのですが、なんせ僕も大きなバックパックを抱えていて疲れているので正直座りたい…(笑)

数分ウロウロして結局、「…やっぱり自分も座りたいから手すりに座ってもいい?」と声をかけ、彼女の席の横にある手すりに腰掛けました。

そうして仲良くなり拙い英語で話していると、彼女は僕と話しながらチラチラと、遠くに座って電話をしているアラブ系の男を暗い表情で確認しているんですね。

たまらず気になって、「なんでさっきからあの人のこと見てるの?」と聞くと、その答えは想像を絶するものでした。

「実は私はアフリカからここに、家族を助けるために出稼ぎに来ている」「賃金も高いと聞いたのに実際は全く支払われていないし虐められている」「今から飛行機に乗ると思うけど、行き先も知らないしパスポートも取られている」「多分またアフリカに行った後は中東に連れ戻されて、奴隷のように働かされるんだと思う」「でも、私はそんなこと望んでいない」

そのように告げられ、人身売買のような問題はどこか遠い話で、自分が見ている世界からは無くなっていると能天気に思っていた当時の僕は固まって言葉も出ませんでした。

自分はどこへでも行けるパスポートを持って飛行機に乗るのに、目の前のこの人は自分の行き先も知らないばかりか強制的に働かされている。

その時、彼女のために何が出来るかを色々考えてみたのですが(警備員に報告?彼女を連れ出す?アラブ系の男からパスポートを取り返す?)、そのどれもがその場しのぎの対策でしかなく彼女のためになっていないと感じて、せめてその時持っていたパンと水を彼女に託し、「ごめん、何もしてあげれんけど…」と飛行機に乗りました。

その後、飛行機の中で「何かできることはないか」と考え、とりあえずこの問題を少しでも多くの人に知らせるために、すぐにインスタで簡易な投稿を作り、数千円ほど払って投稿を拡散したものの無力感に襲われた事を覚えています。

その出来事がきっかけで、僕はヨーロッパに数ヶ月滞在する予定をキャンセルしてアフリカに飛びました。

2回目は、エチオピアにいた時のこと。

アフリカに渡航してから、変わらずアフリカの各地を巡りながら現地で活動していたのですが、エチオピアに到着した3日後に、首絞め強盗の事件に遭いました。(真夜中にのほほんと歩いていた僕が悪いのですが)

唐突に背後から6~8人ほどに襲われ、その時持っていたものは全て失い、当時一緒にいた日本人にも見放され、アフリカでひとりぼっち。

襲われている最中はなぜか頭の回転がめちゃくちゃ早かったのですが、「ほんまに人って死ぬんや」と、人生で初めて「死」を自分のものとして強く実感し、”後悔のないように生きたい”と身に染みて思いました。

それから、お金もパスポートも無い中、毎日大使館や警察などに通う日々が始まるのですが、その時に心身共にボロボロになった僕を支えてくれたのが、日本の友人や家族から届く大量のメッセージ、そして現地でたまたま出会った海外の旅人仲間とエチオピア現地の優しい人たちです。

みんな〜!見てるかい!あの時はありがとう!!አመሰግናለው!

結局、エチオピアの首都に住む現地の家族に助けられ、その家族が経営するレストランに1ヶ月ほどホームステイさせてもらえることになり、2人の子どもたちに毎日カンフーを教えながら店を手伝っていました。(全部映画ベストキッドからの受け売りです。ジャケットをかける、落とす、とかをそのままやらせてました。)


そうして、アフリカの様々な問題と可能性、魅力を肌で感じた僕は、そのまま7ヶ月ほどアフリカに滞在した後に南米・アジアを周遊し、日本に帰国しました。

3.「社会を変えるにはお金や!」と起業を志すも玉砕

帰国後、周りは就活ムードのなか、どうにも社会に対する違和感を拭えないでいました。

世界では貧困や紛争など様々な問題が現在進行形で起きているし、日本にも問題が山積みにされている。なのにこのまま自分は見て見ぬふりをしてしまっていいのか。
これまでは、社会を自分の目で見ることを体験させてもらったけど、今度は自分の手で少しでも社会を良い方に変える側に回りたい。

そう思い、「社会を変えるにはお金や!めっちゃ稼いでその金で貧困地のサポートをする!」と、これまた非常に安易な考えで友人と2人、外国人留学生と日本人のマッチングサービスを起業しようとするのですが、あえなく失敗。

圧倒的な実力不足と、目先の利益を追う中で「なんのためにやっているのか」が分からなくなってしまい、玉砕しました、、。

毎日カフェに集合して1番安いコーヒーを頼み、渋谷の路上で営業の電話をかけまくったのも今となってはいい思い出です。

4.「ソーシャルビジネス」「ボーダレス・ジャパン」との出会い

その後、自分の小ささにメンタルをやられまくり迷走した僕は、旅好きが集まる日本最大のプレゼンコンテストに誘われました。そこで最終的に1200人の中から最優秀賞に選んでいただくことになるのですが、僕が「ソーシャルビジネス」を知ったのはその時でした。

プレゼンの勉強をするためにYouTubeでプレゼン動画を漁っていると、ボーダレス・ジャパン代表田口さんの「人生の価値は、何を得るかではなく、何を残すかにある。」という動画に出会い、ビビッと衝撃が走りました。

そこから、「利益を出すためではなく、社会問題を解決するために起業するということ」「ソーシャルビジネス」「ボーダレス・ジャパン」「恩送り経営」などの、当時は何を言っているのかマジで意味不明な単語について狂ったように調べ、「最短で社会起業が出来る」という言葉に惹かれて、人生で初めて会社説明会というものに顔を出してみました。

そこで、直感的に腑に落ちたため応募フォームを送り、今に至ります。

あの時見た景色を自分の手で変えるために

“社会起業”という方法でもう1度挑戦しようと考え、「有限の人生の中で、最初にどの社会問題にアプローチするのか」を考えてみた時に真っ先に頭に浮かんだのがエチオピアの貧困問題でした。

実は帰国してから、ずっとアフリカ、特にエチオピアについては気にかけて調べていたのですが、コロナもあって渡航できないし、実力がないちんちくりんの自分にはどうする事もできないと、半ば諦めていました。

しかし、ボーダレスのサポートがあれば出来るかもしれない。そう思って「エチオピアの貧困」についてもう1度いろんな角度から調べてみると、エチオピアやケニアなどのアフリカから、貧困状態にある人たちが中東に出稼ぎに行っており、そこで虐待や不当な搾取の被害に遭っている(参考)ということを知りました。


その問題は国際的には「Human traffiking(人身売買)」のケースとしても問題視されているが、有効な解決策が見つかっておらず、コロナ禍で状況は悪化しているところもある、と。

「あの時空港で出会った女性と同じように多くの人が今も苦しんでいる。」

僕に衝撃を与えた2つの出来事が繋がった瞬間でした。

そこから、「まずはこの問題に取り組んでみよう」と、国際機関の方や学者の方、現地NGOの方、現地の方などに手当たり次第に話を聞いてこの問題の構造を調べ、自分がどの方面からアプローチするかを検討してきました。

ケニア、エチオピアなどの「アフリカの角」と呼ばれる地域から特に多くの人が中東へ出稼ぎに行っていること。

非正規渡航者の数も合わせると、その数は膨大で実態が分からず、移動の最中に人身売買の業者に捕まったり命を落としたりすることもあること。

この問題の元凶は、中東に残る「現代の奴隷制度」と言われる事もある雇用制度(カファーラ制度)であると言われており、各国政府が対策をしているもののそれだけでは解決にはほぼ遠いこと。

調べれば調べるほど、複雑な要因が絡み合っていることが分かり、この問題に取り組む人が足りていない現状が浮かび上がってきました。

また同時に、問題を解決する力を付けるために「ガーナにある世界最大の電気廃棄物のスラム街でゴミをアートにする」長坂真護さんの活動に関わらせていただいたり、「アフリカの未電化地域に電力を届ける事業」を行っているWASSHAで長期インターンをさせていただいたり、「アフリカと日本を繋ぐ」有志団体を立ち上げてシェアハウスやイベントをやったりして、とにかく目の前の課題に対して行動し、「今自分が出来ることは何か」と自分に問い続けました。

そして今、まだまだ社会に対してはインパクトが出せていない、ミジンコに毛が生えたくらいの存在ですが、当時に比べると問題の解像度がグッと上がり、このような社会問題の数々に対してビジネスでアプローチするという手段にも可能性を感じています。

5.社会を変えるために、ボーダレスで挑戦する

このブログを書くにあたり、人生のいろんな場面で直感に頼りがちの向こうみずな自分が、なぜボーダレスで挑戦することを選んだかを振り返ってみたのですが、その理由は大きく2つだと思います。

1つ目は、叶えたい想いを実現するにはこの選択が最良だと思えたから。

僕は、妥協することが嫌いです。基本「なんでもええよ〜」が口癖なのですが、譲れないところは譲れない頑固でめんどくさい人間です。

また、今挑戦していることに対して自分1人の力で臨んだ場合、社会に与えられるインパクトは大したことないことも、これまでの経験から実感しています。

なので、「社会をビジネスでよりよくする」という同じ志を持った仲間と共に歩めることは非常に心強く感じており、自分の力を最大限に発揮して社会に貢献するために、この選択を取りました。

2つ目は、「恩送り経営」の仕組みが純粋にかっこいいと思うから。

貧困問題、環境問題、難民問題、人身取引、ジェンダー不平等、自殺…。
これまでの人間の歴史の中で、良かれと思って生まれてきた資本主義の仕組みが様々なところで歪みを生んでしまっていて、取り残されている人がいる。

その歪みを解決し得る仮説として、「余剰利益を共通ポケットで管理して、別の社会問題解決に使う」ボーダレスの恩送りのエコシステムは、人間はお金を稼ぐためだけに存在しているのではない、という声を社会に投げかけているように僕は感じます。

この「恩送り経営」の仕組みは、現行の資本主義に対する1つの挑戦であり、社会実験であり、最高にロックでかっこいい。

上手くまとまりませんが、現時点の僕にとってこの選択は最良の選択だと思っています。

6.最後に

僕は、どこに辿り着くかはまだ分かりません。ただ、初めは旅人でした。

これまでの短い人生の中で、数々のかけがえのない出会いや景色と出会いがあり、それらによって自分が形作られてきたと思っています。
正直、僕は今までの事を胸を張って語れることばかりではない泥臭い人間だし、これまでたくさんの人を傷つけながら生きてきました。

また、「自分がやろうとしていることは偽善なのではないか」、「自分に何ができているのか」など、悩むことは尽きません。

ただ、今自分が生きている世界には途方もないほどの問題もあるけど、それに勝るほどの可能性と輝かしい未来が満ち溢れていると信じています。

なので、ここから僕がするべきことは、今までお世話になったそれらの出会いに、そしてまだ見ぬ未来に出来る限りの恩返しをすることです。

これからどんな困難があるかは分かりませんが、小さい頃の田んぼの前にいた自分に胸を張って「今」を語れるように、初心を忘れず、社会に対して出来ることを小さく積み上げていこうと思います。

これまでの全ての出会いに感謝を込めて。

株式会社ボーダレス・ジャパン's job postings

Weekly ranking

Show other rankings
Like Miku Hino's Story
Let Miku Hino's company know you're interested in their content