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ぼくは田舎の文学少年だった。そして今、ぼくは介護をやっている。

こんにちは。合同会社森アンの中沢です。

会社では日々訪問介護の仕事に携わり、自転車で三軒茶屋周辺を行ったり来たりしながら、ブランディングや広報、採用をやったりもしています。

思えば、まさか自分が介護の仕事をするなんてつゆとも考えていなかったのです。今回は自分でも驚きのことをやっている"今"はどういうところに起因するのだろうということを書いてみたいと思います。


ぼくは田舎の文学少年だった。



ぼくは群馬県の北西部に位置する吾妻(あがつま)というところで生まれました。幼稚園に上がる頃に父親の生まれ故郷である*六合村(くにむら)に引っ越すことになり、そこから中学校を卒業するまで上の写真のような「THE 田舎」な土地でのんびりと育ちました。人口は2000人に満たないような小さな村で、小・中学校共に一クラスが当たり前。道行く人は基本的にみんな知り合いの牧歌的なところでのほほんと生きておりました。*現中之条町六合地区

とてつもなく広いフィールドで鬼ごっこしたり、通学路でカブトムシを捕まえたり、猿やカモシカに出くわしてびっくりしたりと、マイペースにぼやっと過ごしてきました。



ところが、小学生の高学年から中学生くらいの思春期になってくると、このまま村で井の中の蛙でいていいのかと無性に焦りを感じるようになります。「外の世界を知りたい」と、無闇やたらに本の世界に浸るようになり、頭の中は空想と妄想とが入り乱れたファンタジーな文学少年になっていました。ちなみにその当時好きだったのが山本有三の『路傍の石』。


主人公の吾一少年のようにひたむきに努力して自立した人間になろうと、今思えばなんだかよくわからないストイックな生活を送っていました笑

そんなストイックな(w)生活なせいもあってか、比較的成績はよく、あと毎日のランニングも欠かしていなかったので足が速くなり、他人様から見たら文武両道のロボコップみたいな奴に見えていたかも知れません。。「絶対にこの村から出てやる!」そんな思いも相まって、無事志望校に合格し、高校からは晴れ晴れしい思いで村を出て、下宿生活を始めることとなりました。

しかし、高校に進学すると現実に直面します。

まず、人付き合いがわからない。今までは以心伝心。幼稚園から中学生までほわっと仲の良いクラスでなんとなくわかるなーみたいな適当な人間関係を続けていたのが、まるで上手くいかない。「と、と、友だちってどうやって作れば??」と地団駄を踏むことに。。

そんなこんなで、勉強も部活も下宿生活の方もイマイチ。曇天模様の高校生活を過ごしました。人付き合いに悩みながら、基本的にへらへらと貼り付けた愛想笑いを常備し、他人のことをひたすら観察する人間になりました。

当時のことは書くのが辛いので適当に端折りますが、今の自分にとっての原点になっているように思っています。

そして今、ぼくは介護をやっている。

今、ぼくは世田谷三軒茶屋で訪問介護の仕事をしています。

本当に色々な人がいます。三軒茶屋の駅から会社までのほんの徒歩5分の圏内にごみ屋敷に住む人、終末期の人、生活保護の人、広い家に独居で住む認知症老人、老老介護、障害児童等々自分の今までの生活では見ようとして来なかった大勢の人々が必死に生活しています。”社会”というものがこんなにも身近に痛切なほどのリアルさを持って目の前に現れてきました。

そのリアルさに責任が取れるのか。自分はそんな社会に対して何ができるのか。改めてぼくは今立ちすくんでもいます。

この仕事を始める前に弊社代表と渋谷駅近くの居酒屋でお酒を飲みながら話していました。介護なんてまるで考えたことがないような人間であるぼくが、不思議とこの人の下で働きたいなと感じ、その場で働かせてくださいとお願いしました。

代表はよくマネジメントの話をします。マネジメントというと「管理」という意味合いが先行してしまいがちですが、弊社代表が語るマネジメントにはエンパワーメントの意味合いが込められています。

組織におけるエンパワーメントとは、一言で言えば*cf.「自立した社員が自らの力で仕事を進めていける環境をつくろうとする取り込み」だと思います。

*cf.ケン・ブランチャード、ジョン・P・カルロス、アラン・ランドルフ『社員の力で最高のチームを作る』

今改めてここで働いている理由を問い直してみると、マネジメントなり、エンパワーメントなりの考え方は重要な意味を担ってくるように感じています。

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ある日友人に問われたことがあります。

「お前は未来どうしたいの?」

その時ぼくは自分でもびっくりするくらい言葉につまり、自分の中から言葉を探そうとしても頭の中で白いモヤモヤが邪魔をしてまるで見つかりません。何も考えられず、次第次第に息が苦しくなって、その時は結局言葉にならないままその場を後にしました。

その後、色々な助けもあって、自分が抱えていたモヤモヤは噓のように消えてなくなりました。結局のところ過去のわだかまりが、現在の息苦しさを形作っていたようで、自分が目を背けていたものを丁寧に味わうようにしていたら、自然と消えていました。

ただ、未来どうしたいのか。その問いに対して未だに適切な言葉が見つかっていません。

よく日本は世界一の高齢社会と言われます。訪問介護の仕事で三軒茶屋の周辺を自転車で走り回っていると、これは日本の未来の縮図なんだろうなと思うことがあります。現状で4人に1人が65歳以上の高齢者で、2030年には3人に1人が高齢者になるとも言われています。三軒茶屋はかなり恵まれた方だと思いますが、地方では、ましてやぼくの故郷ではどうだろう、と未来を考えるとやはり少し暗くなってしまいます。

未来どうしたいのか未だにわかりません。しかしながら、少なくとも未来に対してぼやっとしたものでも光を見たい。そういう思いで、今、ぼくは介護をやっています。

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