はじめまして。CRAZYの吉川です。
つい最近、34歳で他業界からCRAZYへの転職を決めた私。
「どうして今、厳しい婚礼業界へ?」と聞かれることも少なくありません。
ゼロからCRAZYでの挑戦を決めた今、勢いで駆け抜けてきた社会人生活を振り返ってみたいと思います。
本記事が誰かにとって「こんな人生もありなんだ」「自分の心のもやもやや違和感にもちゃんと向き合ってみようかな」と思う機会になれば、とても嬉しいです。
心の高鳴る方へ走り続けた20代
3つ上の兄を追いかけ回して遊び回ったり、
気になったことを徹底的に調べて、出されてもいない自由宿題を先生に提出しては褒められてご満悦になったり、
夏休みに図書館に通い詰め、本を読みすぎて一夏で視力が1.5から0.2に下がったり、
「好奇心旺盛」という言葉そのもののような幼少期を過ごした私。
歳を重ね「世間が定義する正解」を意識するようになってもなお、いざ心躍るものに出会うと飛びつかずにはいられない性格は変わることがありませんでした。
新卒で大手ウェディング会社に就職。やりがいを感じながらも、趣味で熱中していた音楽活動の影響から「NYに行こう」と思い立ち、単身渡米。
さらに「アメリカで働きたい!」を実現するために、現地留学会社にインターンとして飛び込み、世界一周出張を経験。
「この人と一緒に働きたい!」という衝動に駆られ、独立してフリーで秘書や広報PR、ライターとしての活動をスタート。
「こうなったらいいな」「好き」「憧れる」というポジティブな気持ちが自分を行動へと導いていき、我武者羅に動いた20代は充実感に溢れた時間でした。
ぶつかった身近な人との心の壁
順調に見える社会人生活を過ごした私はその後、分厚い壁にぶち当たります。
それは、一緒に働く人との心の壁でした。
フィードバックの内容に人格否定を感じてしまったり、
空気を読み過ぎて言いたいことを伝えられなかったり、
「ありがとう」や「お疲れ様」といった関係性を築く基本的なコミュニケーションがなかったり・・・。
一つひとつの出来事は、“よくある”ことなのかもしれません。
だけど、そんな人間関係の狭間で私は、自分の価値すら信じられなくなっていきました。
つくりたい未来に共感し、一緒に夢を叶えたいと思った人たちと走り始めたはずなのに、その人との壁はどんどん分厚くなっていく。
なんとか状況を変えたいともがき続けた先に残ったのは、「自分は、なんて役に立たない人間なんだろう」という絶望感。自己否定を繰り返し、帰宅しては泣きじゃくる夜が続きました。
時期を同じくして、さらに追い打ちをかけるようにパートナーとの関係性に壁を感じるような出来事も起こってしまいました。
そんな日々の中で私は、これ以上心に傷を負うまいと心を閉じていくことになります。「好き」や「やりたい」も全くわからなくなっていきました。
その結果私は初めて、これまでずっと「未来への希望」に向かって決めてきたキャリアチェンジを、「現状を脱するため」に決断することになります。
「人と人との間にある壁を溶かしたい」
希望に溢れた社会人生活に突然現れた壁は、「人間関係」の重要性を教えてくれました。
これまで“当たり前”に感じていた周囲の人との素晴らしい関係性が“当たり前”ではなかったと痛感した私。
同時に周りを見渡してみると、そうやって人間関係で悩んでいる人がとても多いことに気づきました。
自分の体験と社会生活の中で多くの人が抱えるその課題を俯瞰した時に芽生えたのが、「人と人との間にある壁を溶かしたい」という想いでした。
そんな時に出会ったのが、CRAZYのパーパス。
「まさに、私がやりたいことだ!」と衝撃を受けました。
何となく魅力的な人たちがいる会社だなと思っていたCRAZYについてもっと知りたいと思い、CRAZY MAGAZINEや全社員で読んでいるという『愛するということ』を読み込みました。
なぜこのパーパスを掲げているのか、どうしてそれを事業として行っているのか、その根底にあるものは何なのか・・・。
CRAZY知れば知るほど、自らの想いと重なることを感じ、採用プロセスへチャレンジすることを決意しました。
違和感の先で気づいた
「自分が最も大切にしたいもの」
丁寧な対話を繰り返す採用プロセスを通して私は、「自分が最も大切にしたいもの」をあらためて知ることになります。
それは、「誰かと心と心で握手すること」。
心と心で繋がる人たちの存在でした。
「なぜ挑戦し続けるのか?」
「生きてきた中で輝いていた時はいつ?」
「あなたは自分を許せている?」
「どんな人に惹きつけられるの?」
「自分を満たすだけでなく、まわりの人へも働きかけたいのはなぜ?」
面談で投げかけられた人生に対する様々な問い。
たくさんの問いの先に辿り着くのが、私自身が家族と心と心で握手した経験だったのです。
長年不仲だった両親。
しかし父の病気をきっかけに、その関係性は一変します。
成人してから初めて家族で旅行に行きました。初めて父とふたりでお酒を呑みに行きました。家の中での会話が増えました。笑顔が増えました。「ありがとう」が増えました。父を嫌っていた母が、父のすごいところをたくさん語るようになりました。私にとって家族が、冷めきった居心地の悪い場所から、あたたかくて帰りたくなる居場所に変わっていきました。
父の病気がきっかけで、家族に愛が生まれたのか?
私はそうではないと思っています。
愛はあった。だけど、それを言葉にしたり行動にしたりする「機会」が私たち家族には足りていなかったのです。
心と心で握手する機会を、一つでも多く届ける
私は日々、IWAI OMOTESANDOで、たくさんの人が「心と心で握手する」瞬間を目の当たりにしています。
自分の人生にとって最大の幸せを知った今、その機会を提供できる仕事をとても誇りに思っています。
「お祝い」を通して大切な人との繋がりを再認識し、心と心で握手できる機会をつくることに尽力していきたいと考えています。
違和感や痛みの先にミッションがあった
「わくわく」や「好き」のままに走り抜けた20代。
大きな壁にぶつかって、自分の使命に出会った30代のこれまで。
前向きに進むことが幸せだと思っていた私の人生の本当の喜びは、あってはいけないと思っていた「違和感」や「痛み」を見つめた先にありました。
もしも今、現状に苦しむ人がいたら、一度それを良くないと思う気持ちを置いて、その違和感や痛みに向き合ってみてほしいと思います。
その先に、あなたの幸せを叶えるミッションが見つかるかもしれません。
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