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内気だった私が自ら可能性の扉をたたく-高校を卒業して職人になる決意-

商業高校を卒業してすぐに職人として日々奮闘をしている跡部。
現在はランドセルの製造に携わっています。進路と進学で揺れ動く葛藤や、土屋鞄の出会い、そして進路を決めるまでの決意をインタビューしました。

立ちはだかる進路の壁

ーもともと職人を目指していたんですか?

もともと看護師を目指していて、誰かのために働きたいという思いがありました。妹は生まれつき体が弱く、入退院を繰り返していたので、人を助けるのが看護師というのがなんとなく、自分の頭にあったんだと思います。小学校からそのために準備や勉強をしていました。

でも、高校時代にコロナ禍で自分と向き合う時間がたくさんできたときに、危険と隣り合わせで医療現場で働いている医療従事者をたくさん目の当たりにしたんです。働く姿を自分に置き換えた時に、多分自分であれば見返りを求めてしまうなと思いました。そして、それは本当に人の幸せを願っていることにはならないなと考えるようになったんです。

看護師はもともと憧れだったし、素晴らしい職業なのだけれど、それを目指している自分は好きじゃないな、と。でも、根本の「人のために働きたい」という気持ちに変わりはなかったんです。

ーそこから、なぜ土屋鞄に出会ったんですか。

土屋鞄との出会いは、大人向け鞄のHPを読んだ時に、自分の考えと一致したんです。使う人の「その先」を思ったメッセージに、あたたかみがあるな、と共感しました。

偶然にも祖父が「シルバー人材センター」から派遣され、軽井澤工房店の敷地内の庭木の手入れの仕事をしていたんです。そのつながりで、軽井澤工房店の3周年のイベントに祖父と行ったんですよね。
すぐそばに店舗があって、お客さまの顔が見えて、ものづくりができて、直感でそこで働く自分の姿が想像できたんです。ここで1回挑戦してみたいな、と思いました。

気持ちを込めやすいのはそばで子供が見えたり、鞄が好きなお客様が見えたりするからで、使う人が身近に見えるからこそ、大切につくろうと思うんです。相手を想像できるかどうか、自分の中では結構違うなと思っていて。

余談ですが、3周年のイベントでいただいたお財布をずっと大切に使っています。
会社のミッションでもある「時を超えて愛される価値をつくる」というフレーズを見て、その言葉通りで、お財布を変えたいと思ったことは一度もないんです。中学生の時から使っているので、もう6年位経ちますね。

私は日常生活のほんの些細なことにおいて、自分で何か決断をするとか、もっとこうしたいと主張することを今まであまりしてこなかったんです。でもこのままじゃいけない、どっかで変えないといけない、という気持ちがずっとありました。

でも、最終的に決めるのは自分だし、ちょっとずつ重ねれば大きな自信につながることを高校3年間で学び、一歩を踏み出そうと決意しました。

ー就職活動はどのように進めたんですか?

最初は、土屋鞄で仕事をしていた祖父に「興味があるんだけど、見学させてもらえないかな?」と尋ねました。祖父は私が看護師を目指しているのを知っていたので、最初はびっくりしていました。けど否定はせず、すぐに協力をしてくれました。

両親にも土屋鞄の職人になりたい、と伝えたとき、自分に妥協したまま進学は止めようねと、私の進む道を応援してくれました。

ただ…土屋鞄は新卒採用の枠で、高卒は採用していなかったのです。つまり、私は対象外。
でも、どうしても入社したいという気持ちに変わりはありませんでした。そこで、祖父が間を取り持ってくれて、採用担当者と会うことになったんです。担当者がすごく私のことを気にかけてくれて、そこでも人のあたたかさを感じました。面接が進むにつれてこの会社に入りたいという思いが、日に日に強くなっていきました。

もう12月だったので、周りはどんどん進路・進学先が決まっていって、しかも、進学する人がほとんどの中で、私はまだ進路が決まらず、焦る気持ちは正直、すごくありました。
でも、たとえ遅くなっても、妥協して進路を決めることだけはやめようと、両親と約束したんです。なので、自分と向き合って時間をかけてゆっくり決断していこうと思いました。

お客さまのその先を想像する

ー実際に職人になってみてどうですか?

学生の時にアルバイトで、アパレルのショップ店員をやっていました。袋から服を開けた時にお客様の顔を想像する癖があって、このお客さまは今無表情だけど、帰って袋開けたら喜ぶ顔をするんだろうな、と思い浮かべるんです。その時の癖が今でも抜けなくて、ランドセルを購入されたお客さまに向けて梱包をしている時に、届いた人の顔を想像しながら箱に詰めています。

お客さまの気持ちを考えたら、自分では想像がつかないくらいの思いを込めて、自分のこどもにプレゼントしていると思うんですよね。一生に一度の買い物で、もらった子供も6年間ずっと大事に使うものだから…。
今までは職人の存在を知らないお客さまの目線だったけど、ものづくりをする立場になって目線の違いがあるな、と感じたんです。

ーお客さまと職人の目線の違い。その違いを具体的にいうと?

お客さまの目線は、具体的に製品を見て純粋にいいな、と思う瞬間がこれに近いと思います。職人になった今、「お客様にお届けできる製品かどうか」という目線になりました。

例えば、少し修正をしたらお客さまに出せるけど、最初からやり直すのか、そのままやり続けるのか、日々葛藤です。品質基準をクリアしていたら出せるけど、自分に嘘をつくことはしたくない。お金と時間があればいくらでもかけられるので、限られた時間の中で日々、自分との戦いですね。

自分がこれなら、自信を持ってお客さまにお出しできる、という製品をお届けしたいです。
今、1本のランドセルに何人もの職人が携わっている中で、皆がつくってきたパーツをつなぎ合わせるまとめミシンの工程を練習をしています。

たとえ失敗をしても、次はもっといいのつくろうと思うし、1つのランドセルに本当にたくさんの人が携わっているので、いいものを届けたいという皆の思いを繋げていきたい、その思いを自分で途切れさせてはいけないという気持ちが一番大きいです。

こどもの頃に愛された記憶

ー最後にランドセルを持つこどもたちにメッセージがあれば!

こどもたちにはたくさんの愛を知ってほしいです。大人になるにつれて辛い、苦しいという瞬間がきっとあるけど、そう思うのは今まで親からもらった愛があるから。
その差を感じて辛かったり苦しかったりするんだと思うんです。
それに気づくのは小学生でも、大人になってでもいい。愛されたことを思い出したときに、そのそばに、ランドセルがあればいいなぁと思いながらつくっています。

私にもそういう局面があって、高校の先生に、就職することを報告したら「女性は進学しなくてもいいもんね」と言われたときに、すごく悲しかった。そういう簡単な気持ちで進路を決めた訳ではなかったので。でも悲しいだけで終わりたくないので、行動するしかないと思って、土屋鞄では色々チャレンジしています。

高校の時よりも、社会人になった今の方が生きやすいな、と。
それは、高卒だからとか関係なく平等に色々挑戦させてもらえるからだと思います。実は、ランドセル製造において最難関と言われる、「まとめミシン」も自分からやりたいと言って周りの色々な人の協力のお陰でできていることが多くあると思っています。

(跡部の幼少期(中央))

結局、どの道に進んでもああすれば良かったなと、後悔してしまうと思うんです。基本ネガティブ思考で、ポジティブになることはほぼない性格なので(笑)でも、そういう自分も認めてあげる。
どんな時も自分を信じて、自分が親から受けてきた愛を知っているからこそがんばろうって思うし、前を向く活力になります。だから、辛い時こそ家族から愛されてきたことを思い出して欲しいと思います。
そのそばに、ランドセルがあったら素敵だなという願いを込めて、日々つくっています。

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