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【セールス】海外で起業失敗し無気力状態だった自分が、トークノートで働く理由

こんにちは。2016年9月にトークノートに入社しました。

セールスチーム リーダーを担当しております、前田 隆(まえだ たかし)です。

今回は、宇宙大好き少年だった自分が営業マンとして今に至るまで、ご紹介します。

■航空宇宙に夢中だった学生時代

幼い頃、夢が溢れる飛行機や宇宙船のかっこよさに惚れて宇宙が大好きになり、大学で航空宇宙学科を専攻しました。学生生活は、宇宙空間での半永久的な再生エネルギーの研究に没頭し、とにかく宇宙と計算が大好きな学生でした。

ただ、就活を目前にしたとき、将来に対する迷いが生まれました。「この先、研究者として生きて行くのか、それを一生仕事にしたいのか。」と。

考えても簡単に答えは出ず。こんな半端な気持ちで仕事は決められないので、自分を見つめ直すために思いきって1年間休学して、カナダのバンクーバーに留学しました。計算ばかりの毎日から心機一転して、今まで全く興味がなかった語学にチャレンジしてみようと思ったんです。

多様性を尊重しているカナダでは、出会う人はみんなフレンドリーで、気づけばみんな友達(笑)生まれも育ちも関係なく、そのままのぼくと接してくれました。

コミュニケーションの楽しさに気づき、人と接して相手を笑顔にできる仕事をしようと決意しました。

帰国後、大手自動車メーカーから技術者として貰っていた内定を辞退。唯一人と接する営業として内定をもらっていた宇宙用半導体を扱う商社へ入社しました。

■営業マンとして大手外資系企業へ

当時そこは100名規模の老舗の会社で、海外メーカーから半導体を仕入れて、日本の電気メーカーに提案するという業務を担当しました。もともと好きな分野で営業ができたので、やりがいは感じていました。

ただ、まだ若かったこともあり、不安定な外部環境の中で安定したビジネスを行うという会社の方針に、物足りなさを感じていたんですよね。そんなある日、大手の外資系企業からヘッドハンティングを受けました。当時25歳だったので、「若い内になんでもやるぞ!」という勢いと、外資系の特徴である成果主義の厳しい環境に挑戦したいという気持ちから、3年働いた商社を辞めて転職しました。

そこでは、サーバーなどのハードウェア営業を担当しました。数字がそのまま給与に反映されるので、成果を出すほど給与が貰える感覚は新鮮で、それが原動力にもなりました。

経験を積み重ね、入社して5年半が経った頃、「自分で組織をつくり、誰かを笑顔にさせられるビジネスにチャレンジしたい。」という気持ちが芽生えました。

そして、30歳の節目に「チャレンジするなら今しかない!」と独立を決め退職し、31歳で起業しました。

■和菓子を売りにタイに移住

自分が想い描く組織とは、家族の様な仲間と力を合わせて、誰かのために全力になれる組織でした。そして、人が笑顔になる瞬間を考えたとき、ビジネスモデルがイメージできたのが飲食業でした。

また、日本のようにすでにある程度欲しいものは手に入る先進国ではなく、これから発展していくであろう中進国に新しいもの届けるビジネスをしたいと思い、たどり着いた場所がタイでした。

妻と共に首都バンコクに移住し、タイではまだ知られていない和菓子を広めようとテイクアウト専用の和菓子店を出店しました。従業員は全て現地採用だったので、必死でタイ語を覚えました。より多くの人に広めるため市外で移動販売も開始。嗜好品である和菓子を定着させるため、いろんなことに挑戦しました。

また嬉しいことに、当時のタイは失業率は1%以下で仕事が溢れていて、定着率が低かったにも関わらず、離職はゼロ。従業員も主体的に組織を考えてくれて、厳しい環境の中3店舗目まで出店できました。

そして、4店舗目は業態を変え店舗を構えてチャレンジ。ですが、これが大失敗だったんです。原因は、リピート率の低さにありました。あくまでもタイで和菓子は嗜好品の一つであり、付加価値をつけられなかったんですよね。リピート率を向上させようと試行錯誤しましたが、結局改善されず。

出店にかかった費用が想像以上でダメージが大きく、遂に資金難に陥りました。現状は悪化していく一方だったので、結局テイクアウトの1店舗だけ残しやむなく帰国。失敗の原因は、5年、10年先のビジョンが不明確だったからだと思います。ビジョンを明確にせずに、組織づくりを優先しすぎてしまったんです。

■無気力だった半年間

帰国後、6ヶ月間は職に就つかず、完全に無気力状態でした朝から晩までスタバやミスド、多摩川の河川敷で読書や勉強するだけ。ちょっと家から離れた場所に行けばすぐに疲れてしまって。今思えば、タイでのショックが相当大きかったんだと思います。

その間に、帰国前に体験したインドでの瞑想体験を思い出しました。そこで教わったのが、「人間は目を瞑ると過去の後悔や将来の不安について考えてしまう。今を感じなさい。」という事。6ヶ月間、過去の失敗と未来の不安に囚われていたんですが、インドで学んだことを思い出して今を生きようと考えたら、すごく楽になったんです。どうにもならないことを考えても仕方がないんだと。タイでできなかった「先を考える事」を無理やりしようと思っていたんですが、結局性に合わなかったんですよね。

インドでの瞑想体験は、自分が物事をどう考えるかで人生も変わるという道徳心が養われた貴重な経験ですね。このときの想いは今も大切にしています。

あとは、こんなぼくにもずっと信じてついてきてくれた妻への感謝は忘れられません。働かない自分に何も言わず、妻は働いて毎日食事を作ってくれたんです。そう簡単に真似できることではないですよね。この出来事をきっかけに、妻への信頼がより一層深まりました。

■トークノートとの出会い

今を生きると決心したらまた働く気力が湧いてきたので、ようやく仕事に就こう職探しを始めました。タイでの経験から、ぼくは一丸となった組織をつくりたいだけで、社長になりたいわけではないと気づいたので、そのときはもう起業しようという気持ちはなかったです。

トークノートとの出会いは、就職エージェントからの紹介でした。もうIT企業で働く気は無かったのですが、小池社長と面談したときに、ITだけど、テクノロジーを売りにしているのではなく、人と人を結ぶことに重きを置いている会社だと思いました。そして、社長にこう言われました。

「いちから営業組織をつくってくれないか。」

そのとき、タイで一度は諦めた「自分の想い描く組織をつくること」をこの会社でならできるんじゃないかと直感しました。そして、「組織づくりでこの会社の役に立ちたい。」と思い入社を決めました。

■最高メンバーと最高の組織へ

家族みたいな組織をつくりたいと思ってきたように仲間が大事だと、トークノートに入って再確認しました。これから更に組織を大きくしていきたいし、メンバーに楽しく働いて、最高に笑顔でいて欲しいと日々願っています。

夢だった自分の理想とする組織づくりはまだまだ途中段階です。今後は営業組織だけでなく、会社全体を見れるようにしていきたいです。これに終わりはないですね(笑)

社長が先のビジョンを考え、それを基にぼくらが最高の組織をつくっていきたいと思います。コミュニケーション、組織、人に関わる事のできるTalknoteの営業は本当に楽しいし、「いい会社をつくる」という価値をお客様と共有する事に心から幸せを感じます。

入社して1年半。最初は3人だった営業組織が、いまでは20人を超えました。時に厳しく、時に優しく、一張一弛に接しています。たまに、ぼくがメンバーに怒られたりするんですけどね(笑)

この営業組織をまとめているのはぼくですが、メンバーから気づかされることや、助けられることもたくさんあるんです。この最高のメンバーと楽しみながら成果を出す事がやりがいです。悔しかったことも、嬉しかったこともみんなで分かち合える今のメンバーに感謝しています。


2017秋のセールスキャンプ 極寒の中乾杯する様子

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