ニットインターン生の山形大学4年高橋悠菜です。今回は自分の記事をださせて頂けるということで中学時代から今までの私の歩みとこれからの決意を書かせていただきました。振り返ってみると私は日本に対しての疑問が多かった人に思えます。そんな私がいつどのように感じていたのか、そしてなぜニットにジョインしてどうしていきたいのかをお話しさせてください!
目次-----------------------------------------------------------------------------
学校のルール全てが疑問だった中学時代
日本が大嫌いになった高校時代
初めての海外生活で自分の考え方が大きく変わった大学時代
就職活動開始とニットとの運命的な出会い
実際にニットに入ってみて
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学校のルール全てが疑問だった中学時代
私の中学時代は、学校のルール全てが疑問でいっぱいだったのを覚えています。
それが始まったのは、中学時代に出会ったSNSが大嫌いな先生がきっかけだと記憶しています。
その先生の方針で、“SNSを始める生徒は怒られ、SNSをやらない生徒は褒められる”
という謎のルールが誕生しました。
その時に私は、「なぜこの先生は生徒に自分を表現させることを嫌うのだろう?」
「難しい文章を読ませて、あなたの意見は何?ってテストで聞くのに。それが公開になるかならないかだけじゃん。」という疑問と違和感がありました。
今思うと、生徒を守るためにとった先生の行動だったと十分に理解できますが、当時の私は疑問でしかなったのです。
その頃から、
「なんで制服着るんだろう?」
「なんで髪色は自由じゃないんだろう?」
「なんで先生の言うことは絶対なんだろう?」
「なんでみんなと同じように行動することが好まれる暗黙の了解があるんだろう?」
といつも考えていました。
先生に反抗はできないけど、心の奥底でいつも何か生きにくさを感じていた中学時代でした。
日本が大嫌いになった高校時代
小学校からバスケットボールを続け、自分を表現することが大好きな個性強めの仲間たちに囲まれて育ってきた私は、高校入学時には他のバスケ仲間よりも個性が強いのではないかと自他共に評価できるくらいの「バスケガール」になっていました。
自分を表現したりすることが大好きで、周りとはちょっと違う自分がおもろい!と何だかムードメーカーになれる自分が自分にとっては誇りに思っていました。
そんな時にある男の子から言われた今でもコンプレックスになっている
「お前は喋らなきゃまだマシなのに」
という心無い言葉。(笑)
思春期真っ只中であった私は、じゃあ男子にモテる女子はどんな人なんだろう?と考え始めました。
自分なりの分析の結果、モテるタイプはやっぱり「大人しくて自己主張が少ない子」“黙って人の意見だけを聞いて頷くこと”が得意な子たちでした。
今思うとただのやっかみで偏見でしかなく、私こそ醜いんですが、そうゆう“男子にモテるタイプの女の子”そして“黙って自分に従いそうな女の子が好きな男子”が嫌いでしょうがなくなかったのです。
そんな時にALTの先生やもともと入学を夢見ていた国際教養大学(秋田にある県立の大学で当時の生徒数の半分は外国籍)の外国籍の学生たちと交流することがあり、オープンで自由で私とは違う考え方を持つ彼らに憧れていました。
留学したい!と強く思っていましたが、本気でやっているバスケットボールを捨てることができず、一旦バスケに集中し大学で絶対に海外へ留学しに行く!と決意を固めていました(笑)
そしてその頃には、「日本はなんてつまらない国なんだ。日本なんて大っ嫌い。早く抜け出して私はもっと広い世界を見たい。」と強く思い始めていました。
初めての海外生活で自分の考え方が大きく変わった大学時代
希望していた国際教養大学への進学は叶いませんでしたが、国際教養大学と似ている学科が用意されている山形大学人文社会科学部グローバルスタディーズコースに運良く合格することができました。
早く海外に行きたい!一心だった私は、
大学1年の夏、遂にカナダへの留学を果たしました。
そこで私が見たものはドラマでよく見るキラキラした外国!ではなく、差別や格差が激しい社会。日本ではこんなのみたことない!と思う公共施設の汚さや治安の悪さ。そしてなんといっても米が少なすぎる!ハンバーガーだけやん、飽きるわ!…と(笑)
最初は憧れの海外生活でワクワクが止まりませんでしたが、次第に日本が恋しい…と思うようになりました。
その時、やっと「日本っていい国だなぁ」と思うようになりました。
そして、文化が近く話しがとても合う韓国人の留学生たちと仲良くなり、今ではほぼ毎日電話をしている韓国人の親友もでき、今まで気づかなかった“韓国の方・韓国文化”の魅力も感じるようになりました。
日本に帰り、なんとなく入っていた5つのサークルに本格的に参加し始めました。日本人なんてつまんないと偏見を持っていた昔の私では考えられない行動でした。様々な人と交流することによってあらゆる価値観や考え方を学ぶことが楽しくてしょうがなくなり、次第に行動範囲が大学→大学外へと広がり、様々なコミュニティを形成することが大好きになっていました。
このような流れから自ら行動し、新しい発見をつかんでいくことに魅力を強く感じ始め、将来はもっと色々な人に出会い、新しい価値観を知りたい!と考えるようになりました。
就職活動開始とニットとの運命的な出会い
韓国社会へ興味を持ち始めたことから、韓国留学を試みていましたがコロナで留学が中止になりその流れで大学3年の6月から就職活動を始めました。
はじめは人生最高に楽しい!仕事楽しい!と顔に書いている人たちが多い某有名広告代理店を志望していました。あの時は、彼らのようなキラキラな社会人になれるとその会社に入社することを夢見ていました(笑)最終が6次のフローで5次選考まで足を進めていた私はすっかり鼻が高くなってしまったせいかその回で落とされてしまいました。
志望度がかなり高かったので相当ショックを受けましたが、その時にふと今から2年程前に先輩から「ゆうなにめっちゃあってる会社見つけた!株式会社ニットってゆう会社!絶対ゆうな好きだよ。」という言葉を思い出したんです。
私は人の名前もメモをしないと覚えられないくらいですが、「ニット」=「服のニット」=「きっとアパレルの会社」と記憶していたので、その時すんなりと思い出せました(笑)
だから最初はアパレルの会社だと勘違いしながら、株式会社ニットと検索し、ちょうど2週間後に説明会+座談会が開かれるとのことだったので参加希望を出したという流れです。今思うと、某有名広告代理店に落ちていなかったらニットに出会えてないし、「ニット」という名前じゃなかったら思い出してもないし、私がどん底のタイミングでニット側が説明会+座談会を実施していなかったらこの出会いはなかったと思うので、勝手に運命を感じています。
実際にニットに入ってみて
そもそもニットに入社を決めた理由は、
会社が目指す世界観が好きで「未来を自分で選択できる社会をつくる」というビジョンにとても共感したからです。
ニットでならこれまで感じてきた日本社会の生きにくさを改善したり、これから大切にしていきたい新たな出会い→新たな価値観の創出という流れを社会規模で実現できると思ったからです。
私が会社のビジョンの言葉で好きな部分があります。
“未来を主体的に選択できることは、
自分の自由をひろげ、人生の豊かさにつながると考えます。”
“「やりたい」「やってみたい」という気持ちにまっすぐ向き合い、
ひとりひとりが責任をもって意思決定し、行動していくことが当たり前になる。
そして、そのひとりひとりの行動が、
ほかの誰かにとって「あなたがいてよかった」という価値になる。”
人に寄り添い、人の幸せのために存在するそんな仕事をして、ニットが目指す世界観を自ら体現し、日本社会を根本から改革していきたい。
きっと昔の私のように日本社会での生きにくさを感じている方が他にもいると思います。その方たちに日本の素晴らしさを知ってもらうためもそうですし、国ベースだけでなくあらゆる文化や様々な人の価値に触れてもらうための仕事をしたいなと思っています。
そして様々な状況下の人たちにとって日本がもっと住みやすい環境になるためにこのビジョンに向かって新人なりのリーダーシップでさらにニットを盛り上げていきたいなと思っています。
高橋悠菜頑張るぞ〜〜〜!!えいえいお〜〜!!!