こんにちは。スパークルキャリア代表の藤原です。
今回は、なぜこの会社を立ち上げたのか──その原点となる想いについて、少しだけお話しさせてください。
器用に生きられなかった人生
僕は、小学校・中学校の前半、ずっと人前で話せませんでした。 国語の教科書を読むのも、プールに入るのも怖かった。完璧じゃない自分を見せるのが怖かった。
「変わりたいのに、変われない」
ずっとそんな自分と戦っていました。 でも、中学2年で転校したとき、人生が少しずつ変わっていきました。 周りのあたたかさに救われ、殻が破れていった。ギターに夢中になって、ついには全校生徒の前で演奏するようにまでなりました。
このとき、“人は変われる”という希望を、人生ではじめて感じました。
挑戦と迷走の先にあった、介護業界との出会い
中学生のときにギターを始め、軽音楽部が盛んな高校に進学したものの、やっぱり音楽業界は才能がないとダメだとギターの夢をあきらめて、音響の世界へ。全国のイベントを飛び回り、朝から深夜まで働く毎日。怒鳴られる、殴られる、責任を問われる。
でもそこには“プロとしての在り方”があり、今思えばあの現場が僕の原点でした。
その後は、ホテル、飲食、民泊、ネットワークビジネス、ネイル、美容室…転職9回以上、挑戦と失敗の繰り返しでした。「誰かに喜んでもらいたい」「居場所がほしい」「認められたい」 そんな思いを胸に、もがき続けていました。何度も裏切った形になった上司や仲間もいます。信じてくれていた人の期待を裏切ってしまい、涙を流したこともありました。 でもその時は、いつだって必死でした。
転職に失敗し、無職だったときに出会ったのが、介護業界の「未経験OK」の求人でした。「未経験OKだし、これからの時代、勉強になるかも」そんな軽い気持ちで飛び込んだ介護業界。現場は尊い仕事でしたが、正直すぐに飽きてしまいました。
そんな僕を「営業やってみないか」と誘ってくれたのが、ある派遣会社の担当者。
そこから僕の“人材業界”が始まりました。
綺麗ごとばかり言ってた自分に向き合えた日
営業になった当初、全然売れなくて、結果も出せなかった。 言い訳ばかりしていた僕に、上司はこう言いました。
「綺麗ごとばっかり言うな。逃げるな。まず結果出してから言え」
その言葉は、今でも忘れられません。 “いい人”でいたかっただけの自分。本音ではなく、評価を恐れていた自分。そこから少しずつ、相手の人生に向き合う覚悟が芽生えていきました。
求人を紹介するだけじゃなく、「この人は、どんな人生を生きたいんやろ?」と考えるようになった。 話を聴き、本音を引き出し、その人の“在り方”に触れる。そういう関わり方をしていくうちに、紹介も増えて、信頼も生まれて、いつしか、「会社をつくってみよう」と自然に思えるようになっていました。
恩返しがしたい場所だから、もう一度この業界で
その後、上司が独立するタイミングで別会社の立ち上げに関わり、5年間役員として事業に携わりました。 一度は選挙に挑戦しようと退職もしましたが、最終的には出馬を見送りました。
そのとき、改めて心に浮かんだのが──
「もう一度、介護業界で挑戦したい」
この業界で働くなかで、たくさんの人に出会い、支えてもらい、少しずつ自分を好きになれた。 だからこそ、次は自分がこの業界に何かを返したい。
その想いを形にしたのが、スパークルキャリアです。
正解は誰にもわからない。でも、誰かと考え続けることはできる
こうして立ち上げたスパークルキャリアですが、今でも「これが正解だ」と思うことは一つもありません。
これまで上司に相談したり、コーチングを受けたり、占いに頼ったこともありました。でも最後に気づいたのは、「人生の正解は誰にも教えてもらえない」ということ。自分のことは、自分でしか決められないんだと、ようやく納得できました。だからこそ、私たちは「どう働くか」ではなく、「どう生きたいか」を一緒に考える支援をしています。
「誰かに決められる」のではなく、「誰かと考えられる」場所を、これからもつくっていきたいのです。
“いのちのきらめき”を引き出す仕事に、誇りを持って
会社をつくったばかりの頃は、悔しさと情けなさで何度も泣きました。でも、支えてくれる仲間がいました。ともに立ち上がってくれる仲間がいました。
そんな経験のなかで浮かんできた言葉が、「いのちのきらめきを引き出す」という理念です。
これはかっこいい言葉ではなく、僕自身がずっと欲しかったもの。誰かの“本音”に光を当てて、その人が「自分の人生を生きる」と決める瞬間に立ち会いたい。
そう思えたとき、涙が止まりませんでした。
スパークルキャリアは、ただ求人票を届ける会社ではありません。
「誰かの人生に、そっと火を灯す」
そんな仕事をしていきたいと、今も本気で思っています。