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緊急事態宣言とともに誕生日を迎えた起業家の卵が、withコロナの時代に思うこと

どうも!株式会社Senjin Holdings代表のしももんです!

21才になりました(+3してください)。時が経つのは早いものですが、まだ大学生してます。


振り返れば、去年は人生の中で最もアップダウンが激しかったなあ(一昨年もやばかったけど、そんなものではなかった…)

「これがhard thingsってやつ? 終わったんじゃね?」そう何度思ったか。本来なら停滞するか畳むかしかない状況
それをギリギリでくぐり抜け、想像だにしなかった成果を手にすることができました。前年比で売上30倍!わーい!

手に入れたものはたくさんあります。会社の利益だけでなく、頼れるメンバーを得たこと、様々な方が力を貸してくださったこと、そして自分たちに自信が持てたこと
濃密で、未来につながる一年でした。

少し具体的に語らせてください。自分に起きたヤバいことを。そしてどう潜り抜けたのかを。これから新型コロナウイルスに端を発する圧倒的な不況が来るでしょう。世界的にヤバいでしょう。

ただ、僕のちっちゃな世界の中で今まで直面し、息を止めて潜って乗り越えてきたことも、僕にとってはそれはそれでかなりヤバい案件でした。

目次

  1. ヤバその1:起業直後に仮想通貨バブル崩壊
  2. ヤバその2:メンバー離脱で戦力半減
  3. ヤバその3:知識ゼロから事業立ち上げへ
  4. 3つのヤバい経験から学んだこと
  5. この学びをコロナ不況でどう活かすか
  6. コロナ不況に経営者としてできること

ヤバその1:起業直後に仮想通貨バブル崩壊


まずは一昨年のことです。
2018年、仮想通貨バブルが崩壊。起業してすぐのことでした。
僕らが立ち上げた仮想通貨メディア「CoinOtaku」のPV数が増え始めたと思いきや、ビットコインをめぐるあれこれで、その価格は半分以下に。今の日経平均の下がり方どころじゃないっす。


見てください、いらすとやの画像そのまんまなチャート。
CoinCheckのハッキングの際の記者会見をライブで見ながら、「マーケットインで始めたのにマーケット死んだのでは?」と、震えました。(ちなみに、この時にマルチシグウォレットというキーワードで検索1位だったので、記者会見を見ていたほとんどの方は僕らのサイトにやってこられたはずです!いえーい!)

ここで仮想通貨業界は大きく変動。「儲かる!!」とやってきた新規参入者は蜘蛛の子を散らすようにいなくなりました
100社以上が競合していた僕らのような仮想通貨メディアの中で、今も続いているのはおそらくひとケタでしょう。

そして幸運にも、僕らのメディア「CoinOtaku」は生き残りました。

「仮想通貨 おすすめ」で検索すると、「CoinOtaku」の記事は1年以上続けて1位だし、ビットコインやリップルと調べても僕らのニュース記事が上位で出てくるはずです。(今検索してみたらこんな感じでした。いえーい!)


苦しさに耐えながら、どれだけ息を止めて潜ることができるか。そして、生き残った先にどんな「果実」があるか。
今となっては、これをジェットコースターのような市場で体験できたのは本当によかったと思えます。

そして、2つ目が去年の出来事です。いやあ、つらかった。

ヤバその2:メンバー離脱で戦力半減


シンプルに言うと、戦力半減。去年の4月にいろんなこと(身内の不幸や市場の停滞などなど)があり、代表をはじめCoinOtakuの主力が次々と去る状況になりました。ただ、これは仲違いとかではありません。厳しい現実に対応が追い付かずって感じでしたね(ちなみに、去年の忘年会には、抜けたメンバーもほぼ来てくれました!嬉しい!!)

組織の問題が起こるときって、少しずつ顕在化していることは肌で感じてるんだけど、その空気の重さに誰も対処できない。そしてじわじわと苦しくなっていくんですよね。真綿で首を締められていく感覚というか。「このままだとヤバいんじゃね?」という感覚はありつつも、誰がボールを持って向き合うのかが定まらないという感じですかね。

結果、「社長はいない、どうする??」となり、COOだった僕とCMOの増田(今のSenjinの副社長)は頭を抱え、考え始めたのです。


まず、メンバーが去ってしまった原因を僕らなりに考えたところ、「今のこの会社にいてもワクワクしないよね。ってことは、未来の自分のキャリアが見えないってことだよね。うん、これが一番でかいんじゃない?」となりました。

インターンをするときの気持ちって、その会社のビジネスに興味があったり、起業自体に魅力を感じていたり、いろんな気持ちがあると思うんです。だけど実際にインターンを始めた時、大切なのは「その会社でやりきった後、自分が手に入れたものに価値を見出せるかどうか」だと思うんですよね。

何の意味があるかわからない単純作業で時給をもらっても楽しくないかもしれないし、その会社で次のポジションが見えないなら嫌かもしれない。ましてや、会社がうまくいっていないなら抜けたくなるかもしれない。正直な話、当時のCoinOtakuはそうだったのでしょう。


ただ一方で、めちゃくちゃ良かったところもあって…

それは、集まっているメンバーがめちゃくちゃいいやつらだったこと。
「いいやつ」っていうのは、単に性格がいいとかではなく、「こいつに任せてみよう」と思える突破力や気前のよさがあるというか。信じて任せてしまえば突破できる、してくれる若い才能という感じです。

なので、一旦任せてみることにしました。


今も覚えているのですが、オフィスの会議室にそのときバリバリ働いてたインターン生の中の3人を呼んで、「CoinOtakuの社長をやってみない? 年収1000万くらいかな。僕はホールディングスを作ってCoinOtakuと全然関係ない事業をいろいろやる!」と宣言。みんなマジで意味わからないくらいって感じの突然感だったので、もちろん持ち帰って数日考えてもらいました。

結論は三者三様。「情報量が少ないから考えさせてほしい」という人もいれば(そりゃ、当たり前だわ)、「CoinOtakuの他に作るっていう事業が面白そうだから、それを一緒に作って、そこの社長をやってみたい」という人も。そして、「僕は仮想通貨が好きで、その未来にベットしてみたいからCoinOtakuの代表をやりたい」という人も。
その彼である木田くん(上の画像左)がめでたく代表になりました。(ちなみに他の二人はその後めちゃくちゃ働いて、今のSenjin Holdingsの主力事業の事業部長と、新しくできるグループ会社の社長になっています。すごい!)

ヤバその3:知識ゼロから事業立ち上げへ


そして5月。2019年ですよ。地獄の修行期間がスタートしました。

CoinOtakuそのものは月利数百万は出ていたものの、新代表の木田はメディア運営をほぼ知らない。新しいホールディングスを立ち上げた僕は、メディア以外の事業の作り方をほぼ知らない。恐るべき「ないないづくし」で各々は走り始めました。


であれば、まず何をやるか。早起きです。朝7時から集まり、ひたすらに競合他社を研究。「それよりもいいものを作る」との一念で、ああでもない、こうでもない。この頃は下宿も引き払っており、会社に寝泊まりしてました。「ホームレス大学生」です。マーケティングのプロの先輩経営者にさまざまに教えてもらいながら、ひたすら戦略を練ったなあ。

本当にしんどかった。ゼロから初めて、これまで以上の利益規模の事業を3ヶ月以内に作れるのか? その答えが「結局、気合い!」ってことしかないという。無謀であり、無茶であり、フツー無理であるんですけどね。

ただ、結果としてうまくいきました。


新しく立てた「Senjin Holdings」としての事業はどれも単月黒字を達成して、中にはこれまでの「CoinOtaku」の数倍の利益を出せる事業も。そして、新社長の木田に任せた「CoinOtaku」も月利数千万規模に育ちました。

これはひとえに、みんながギリギリの状況で頑張り切ったおかげです。そして自分たちをとことん信じられたこと

CoinOtakuは人数半分になった。でもCoinOtakuは当たり前のように伸ばすよ。
そんでCoinOtakuばりの事業をあと3個は作っちゃうよ。僕らなら頑張ればいけちゃうよ。

この、まるで悪徳業者かヘンな壺を売る人のような、圧はあるけど説得力のない、ハッタリとしか思えない目標に向かってしゃにむにつき進めたからだと思っています。

そんなこんなで、起業して2年のうちに、マーケットの崩壊と会社内部の崩壊、そして再建という、内外両方のhard thingsを経験しました。そして望外の果実を得ながら、乗り越えることができたんじゃないかなと思っています。

3つのヤバい経験から学んだこと


困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。

という小林多喜二の言葉があります。

これは本当にそう。結論からいうと、周囲の9割以上は本当の味方だった、と今回でわかりました。会社がかなりヤバい状況にあるというのも、僕がおそらくハッタリをかましているであろうということも、会社のメンバーは分かっていたはずでした。それを承知の上で、「まあちょっと信じてみるか」と思ってもらったから、ギリギリのところで生き延びられたのでしょう。あとは恩を返していくだけです。

逆に好況時に近寄ってきて、苦しい時期にはすうっといなくなる人もいます。ただ、これが人間ってもんだし、そもそもメリットのあるところに集まるのは当たり前なので、気にはしてはいませんが。

この学びをコロナ不況でどう活かすか


今、世界は不安とともに流動化しています。
かつて人類が経験したことのない「hard things」、もしかしたら第二次世界大戦以上のクライシスが起きるかもしれません。コロナウイルスは人類を試しており、この苦難をどう乗り越えるか。世界も、日本も、そして僕らもそれを突き付けられているのでしょう。

コロナ不況は間違いなくやってきます。苦しい状況に陥る人の周りには、僕らが経験したようなことが起きるはずです。
メリットを目当てにしている人は離れていくだろうし、うまくいけばいったで、後ろ指を刺されることがあるかもしれません。難しい局面です。

そんな中で、僕の中の起業家部分は「スペースが空いたぞ。それ、食い込め!」ってささやきます。仮想通貨市場のバブル崩壊で、残存者利益が計り知れなかったことを鑑みても、同じようなことがいろんな領域で起こることは間違いありません。
ただ、それはあくまで起業家としての僕。その中でもパッシブな側面を切り取ったものにすぎないんですよね。


僕はこの不況に臨むにあたって、「起業家として」やるべきことと同時に、「人として」やるべきこともあるんじゃないかなと思っています。

僕の周りには起業家が多くいます。領域もバラバラで、国内にも海外にも。彼らの存在は励みだし、「負けないぞ!」と頑張れている部分もあります。
そんな彼らにも、コロナ不況は等しく降りかかってきます。

中にはずっと息を止めて潜っていられない人もいるでしょう。
これは普段のスタイルとしてドラクエ流の「ガンガンいこうぜ」でやっているか、「いのちだいじに」でやっているかの違いでもあるので、想定以上の下振れが出た時に耐えられなくなるのは仕方ないことなのかなとも思います。(目指す未来にどのようなリスクをとって時間を短縮していくかという話でもありますしね)


そんな際に、僕は起業家としてではなく一人の友人として、窒息しそうな「彼ら」に寄り添うことはできるのか。そんなことをよく考えます。

市場もやばいし会社もボロボロ。そんな僕が苦しかったとき、土壇場で信じてくれた人の一言はずっと心に残っています。「しももんなら上場なんてこのままやってれば絶対できるし、もっとすごいことになってると思うよ。」何の気なしに言ってくれた先輩の言葉は今でも思い出せるし、本当にやってやるぞという自信にも繋がっています。

今朝の日本経済新聞に載ってたフランスの経済学者のジャック・アタリの言葉が印象的でした。

コロナ対策ではテクノロジーが力を持っている。問題はテクノロジーを全体主義の道具にするか、利他的かつ他社と共感する手段とすべきかだ。私が答える『明日の民主主義』は後者だ。

僕は共感します。

苦境こそ人の本質を表すと思います。詭弁を弄しながら離れていく人もいれば、それでも信じてくれる人もいて。
信じてくれた人たちに何を返せるのか。そう自問自答しながら、僕自身も戦っていくしかないのでしょう。

だからこそ僕は起業家の友人たちに対し、会社の業績なんて何も考えず、ただ友人として関わり続けたいな、と思ってます。間違っても「あの会社はイケてない」とか「裏ではめっちゃ不満溜まってるらしいよ」みたいな陰口には加わりたくないし、友達の会社がどうなろうが変わらず友達でいたい。
僕が苦しんでるときに信じてくれた先輩のように、僕もみんなを信じてあげたい。本当にくじけてしまいそうなときに、前を向く手助けをしてあげたい。
その上で一番すごい会社を僕が作ります。

なので苦しいよーって風になってるけど、最近しももんと話してないな、と思ったそこのあなた! ぜひzoom飲みしましょー!!

コロナ不況に経営者としてできること


人としては以上です。そして経営者としてはこんな感じ。
コロナで不況が来る。この事実が間違いないとしても、それにパッシブに向き合う以外の選択肢はあるんじゃないでしょうか。

多分選択肢としては3つ。

・今の事業がこれから生まれるニーズとも合っている→めちゃくちゃ頑張る
・今の事業がこれからの市況と合っていなさそう→耐えるか、やめる
これから生まれるニーズに合わせて事業を作る

戦争が起きようがペストが流行ろうが、人間は進歩してきたわけです。それなら確実にこの危機も乗り越えられるはずだし、その変化から新しい需要は生まれるはず、と信じたい。
そして新しい需要が生まれるところにこそ、ベンチャーが勝つチャンスはあるわけです。これは仮想通貨の隆盛と、その周りの事業の立ち上がり方を見ても間違いないでしょう。

なので、コロナ不況後の需要分析に特化したリサーチチームを作りました。
クライシスの後にマーケットチャンスがあるのは投資の観点でも道理です。
例えば、3.11で東電は2000円から200円くらいまで株価が落ちて、その後700円くらいに1年で回復しました。(下図)


また、めちゃ古いですが1987年のブラックマンデーではNYダウ指標が20%以上下落しましたが、わずか2年で元通りに回復しています。

同様に、「コロナショックの直打撃を受けている銘柄のうち、確実に回復する銘柄に投資して2年待てば利食いできるのではないか?」とも。

その仮説を支える問いとして

・リーマンショックの打撃を受けたインフラを底で買っていたらどうなっていたか?
・コロナショックの直打撃を受けているが確実に回復する銘柄は何があるか?
・リーマンショック以前・以後のインフラの売上・営業利益はどうなっているか?それと時価総額は相関しているか?

などをしっかりと考えれば、なかなか精度の高い市場予測ができるのではないでしょうか。


これは事業をつくるという観点でも同様です。
投資価値がある銘柄があるなら、その周辺に自分で事業を立ち上げてしまえばいいじゃんということ。

これらを徹底的に考える、最強のリサーチチームを立ち上げてみました。

現時点で参加するメンバーもすごいです。DQの上級職、LV50以上ばかりです。

東大法学部4年、Goldman Sachs IBD内定
東大総長賞受賞の学生団体の代表
創業1年半で18.7億円を調達した医療系ベンチャーのインターン統括
サッカーJ1チームでの戦術分析を担当
アジア5カ国トップ大学交流プログラムの東大代表メンバー
東大経済学部4年、3年次首席進学
米国ワシントン大学に長期交換留学、成績優秀者名簿2期連続掲載
県庁と共催の国際会議運営元代表
DL数800万超えのアプリのヘルステックベンチャーにてCEO直下インターン経験
SDGs投資家・企業向けのプラットフォームサイト立ち上げメンバー
早稲田大創造理工修士2年、GSIBDとMckinseyに内定
研究内容:都市の動態変化に関するシミュレーション
リクルートでの新規事業インターンでリーダーを務め最優秀賞を受賞
プログラミング学習系学生団体で副代表
青森出身。特技はリンゴを見て品種を言い当てること
仮想通貨市場を言語処理で分析するAIの会社の元CTO

などなど!!!

知的で楽しい取り組みになるのは間違いないので、興味ある人ぜひメッセください!

DM待ってます!

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