1
/
5

幸福の掟~SEKAISHAインターンの見るセカイVol.4~

SEKAISHAには2020年1月現在、11名のインターン生がいます。

これは、SEKAISHAインターン生が見ている、セカイのお話。

――――――――――――――――――

2020年、私は成人を迎える。20歳になる。

「成長して大人になる」ということについて、改めて考えてみた。

キャラ化

私は昔から周りの人にちょっと変わった子というキャラを与えられていた。

小さい頃からたくさんの本を読んで、そこから学んだことから自分の考えを発展させて文章に書き起こすことが得意だった。アドリブで話すことが得意でなかった分、誰かに自分の書いたものやスピーチを聞いてもらえると嬉しくて張り切っていた。

しかし当時のリスナーだった級友らに私の言っている話などほとんど伝わらず、周りよりすごいこと言ってる頭良さそうな変なやつとして扱われていた。

一度植え付けられたイメージは根強いもので、私は難しいことを言う変わった子のキャラを小中学校の9年間固定されていた。他のキャラを演じることは許されなかった。

高校、大学と進んでも、あまり周りから言われる印象に変わりはなかった。もともと顔つきや雰囲気から「大人びている」「しっかりしている」「落ち着きがある」と思われやすいのだが、そういうイメージが強すぎて初対面から過度な期待をされるようになった。

しっかりしているから、ひとりで任せても大丈夫。

真面目そうだし頼りにしてるわ。

相手が私を見て感じたなんとなくのイメージが気がつくと私の全てとされ、知らぬ間にレッテルが貼られていた。この生きづらさが今、私を非常に苦しめている。

私は日常という舞台の中で、他人によって決められたキャラを演じて生きる役者ではないのだと。もっと自由に生きたいのだと。

役割期待

これを読んでいる貴方は、YouTubeをよく観るだろうか。私はほとんど観ないのだが、たまたま暇なときに『Life In a Day 地球上のある一日の物語』という動画を鑑賞した。世界192ヶ国から寄せられ、2010年7月24日に撮影された8万本に及ぶ映像を編集し、2011年にサンダンス映画祭で上映された映画である。この映像は世界各国の人々の起床から就寝までの日常を切り取ってつくられているため、生活の一部をとてもリアルに感じることができる。学校に通わず靴磨きでお金をもらって生活費にする少年、ゲイであることを祖母に電話で打ち明ける男性、世界中を自転車で旅する北朝鮮出身の旅人、父子家庭で母親の仏壇に線香をあげる親子などのシーンがある。

これを見て何を思ったか。

人は皆、俗に言う「普通」や「常識」の中で生じたキャラや固定概念の中で各々その役割に与えられた期待に応えていくべきだと、まるでプログラムでもされたかのように生活しているということだ。そして誰かがその役割期待からそれたことをしていると見なすと、その人の中で反発心や違和感、憐れみが生まれる現象が起きるということだ。

学校に通わず靴磨きでお金をもらって生活費にする少年の話。

この男の子が学校にも通えず稼いでいて可哀想と感じるかもしれない。しかし実際彼は靴磨きをすることでお客さんからお菓子をもらえることや、分からないことをパソコンで調べていることを嬉しそうに話している。学校に通って年頃の友達と遊ぶことが必ずしも子供の役割ではないということ、子供の在り方を無意識に固定していたことに気づくだろう。

ゲイであることを祖母に電話でカミングアウトする男性の話。

彼は祖母に「ゲイは病気じゃないよ」と言う。これは祖母の中でゲイは病気だという揺るぎない思い込みがあるからだろう。家族とはこうあるべきだという単一的なイメージが幸せを確立してしまっている。現代、多様な生き方が認められ、その分幸せと表現される対象が増えた気がする。だが実際は、新規の幸せモデルはまだ人々の日常に受け入れられていないのではないだろうか。

世界中を自転車で旅する北朝鮮出身の旅人の話。

北朝鮮と言われるとたいていの日本人は良いイメージを持たないだろう。だかこの映像を撮影している旅人は、我々がイメージする北朝鮮とはかけ離れた、非常に陽気で朗らかな印象の人物だ。我々は北朝鮮の人々はみんな悪者で性格もひねくれている野蛮な奴らだと、心のどこかで勝手に思い込んでいるのかもしれない。このような思い込みは誰が悪いとか意地悪だとかそういう問題ではない。本当に無意識のうちにそういう考えが植え付けられてしまっているだけなのだと思う。

父子家庭の親子の話。

映像の途中まで、洗濯物やゴミで散らかった部屋にどうして母親の姿がないのだろうと無意識に目で探してしまう。母親はなぜ掃除しないのだろう、ご飯は作らないのだろうか、子供を起こして支度させるのは母親ではないのだろうか、と。ところが後半、母親は実は亡くなっていたことが分かる。すると次に出てくる感情は、母親がいなくて子供が可哀想、父親は朝から仕事と子供の世話の両立をしていて偉い。でもちょっと冷静になれば、じゃあシングルマザーはどうなんだと。働きながら子育てもしているではないか。ここで、父親は子育ての「主体」ではなくあくまで「協力的」な存在であることが求められ、理想とされているのではないだろうかと推測できる。こちらも家族の幸せのカタチや家族内での性別や年齢による役割期待が私たちの思考を制限しているように感じられる。

私が何を言いたいかというと、私たち人間は普段の生活の中で物事に対してひとつのイメージを持っている。それは大多数の人が共通のイメージを抱いているため揺るぎない常識として、ある時は信仰に近いものとして確立されている。私はこれらが生活スタイルや家族構造だけでなく、他人の性格判断にも影響していると思う。「あなたはこういう人だから」「あなたはこの家の大黒柱だから」「あなたは女だから」という『これ、だからこれ』という公式が決まっていて、それから外れたことをすると対応出来なくなり、とりあえず個性と呼んでいるのではないだろうか。

人類進化論

2020年、私は成人を迎える。20歳になる。

大人になるとはどのようなことなのだろうか。

大人びている、から本当の大人になり、私の何が変わるのだろうか。なにも変わらないのではないだろうか。そもそも大人になるということを人間の一生において成長であると捉えること自体が間違いで、成長が必ずしも前身であるとするのは思い込みのひとつなのかもしれない。

正直、子供の頃の方が文章は上手に書けた。上手にというより、素直に書けていたのかもしれない。発表の有無は関係なく、書き上げた後の手応えが昔の方が心地よかった。これは成長による私の退化だろう。大人になるということは、子供の頃に出来ていたことが出来なくなる、つまり退化することもいくらかあるということなのかもしれない。それに気づき、受け入れることが何回できるだろうか。固定概念に振り回されず、役割期待から逸れることを恐れず、多様なカタチに日々変化する「幸せ」という神聖なものを手に入れるにはどうもがいていけば良いのだろうか。

2020年、私は成人を迎える。20歳になる。

さて、貴方にとって「大人になる」とはどんなことですか。

Invitation from 株式会社SEKAISHA
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社SEKAISHA 's job postings
2 Likes
2 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Shota Kasamaki's Story
Let Shota Kasamaki's company know you're interested in their content