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多国籍シェアハウスに住んでみて気がついた、人間関係を築く上で大切なこと

こんにちは、マーケティング担当の下田です。

突然ですが、私はシェアハウスに住んでいます。

住人は、超きれい好きのイタリア人男性(仮名:アントニオ)、筋トレ大好きイギリス人男性、アンジェリーナ・ジョリーに激似のイギリス人女性、小柄な看護師の日本人女性、そして私の計5人です。住み始めてから2ヶ月が経過したところですが、今回は、シェアハウス生活をするなかで気づいた、人と関係性を築く上で、とても重要だなあと感じたことをお話したいと思います。


私が思うシェアハウスの魅力は「自分では住めないような大きな家に住める」、そして「新しい人に出会える」ことです。私の家はちょっとモダンな雰囲気があり、住む人も皆オープンで優しく、基本的には楽しく生活できています。

しかし、シェアハウス生活を初めて2週間ほど経ったころ、私は同居人に対して少しずつ不満が出てきました。
シェアハウスには共用のリビングスペースがあり、そこで皆ご飯を食べたりするのですが、当然、住人同士でご飯を作ったり食べたりする時間が重なれば、一緒に使うことになります。特に、アントニオは夕飯を毎日作るほどの料理好きで、私と夕飯の時間が頻繁に重なります。
アントニオはかなりのおしゃべり好きで、会社やイタリアのことなどを沢山話してくれます。しかし私は疲れている時は、正直ゆっくり一人でご飯が食べたい...と思ってしまうのが本音です。
かといって、はっきり言うのもどこか気が引け、自分の狭い個室で食べるのも気が進まないなあと何となく悩んでいるうちに「イタリア人は話が好きで声も大きいから、まあ仕方ないか...」と思い、話を半分以上受け流してやり過ごすようになりました。


しかしストレスは募る一方、さらにはアントニオだけでなく次第に他の同居人に対しても抱くようになり、「シェアハウスも楽じゃないな...」と思っていたある日、私はハッと気付きました。

それは、多国籍の同居人に対して、「イタリア人だから〜」「イギリス人だから〜」と、その人へのマイナスイメージを国や人種の枠に当てはめて考えてしまっていたことです。
知らずしらずのうちに、自分と極端に属性が異なる人に対して、その人を型に当てはめてしまっているということは、誰にとっても度々起こることだと思います。

しかし、それは「思考停止」を招くことがあります。人に対して排他的になり、お互い歩み寄ることを諦め、にそれ以上の関係が築けなくなってしまいます。

特に、日本人は「空気を読む」文化があるため、直接意見を言えずに人を型に当てはめて考えてしまう傾向も強いのではないかと、個人的には感じています。


私は何年か前、アメリカに1年間留学していたのですが、先程の日本の文化とは対象的に、アメリカでそういった考えをする人は少ない印象を受けました。たまに無意識に「あの人は〇〇人だから〜」といった話をしていると、「今の話、レイシストっぽいよ」と冗談半分で言われることもあったほどです。宗教も属性もバラバラであったアメリカ特有の歴史的背景も影響しているのでしょう。

相手を属性で判断することなく、徹底して個人として接するのは、私がアメリカが好きである理由の一つです。それなのに、シェアハウスでの自分を振り返った私は「何も学んでないじゃないか!!!」と、帰国から時間が経って大切なことを忘れてしまっていたことに悲しくなりました。

他人を型に当てはめて考えることは、思考停止になるだけでなく、人を属性で判断しているということなので、その人に対して失礼な行為でもあると個人的には考えています。

私は、少々視野が狭くなっていた自分を反省しました。その後、私がアントニオと夕飯の時間が重なった時「ごめん、今日はちょっと疲れてるからあんまりしゃべりたくないんだ」と正直に伝えたところ、彼は「おお、ごめんね!」と、あっさり受け入れてくれました。ちゃんと伝えることって、大切ですね。

自分の視野が無意識のうちに狭まらないよう、いつでも物事を広く捉えられる心を備えていたいものです。

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