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フリーランスエンジニア大募集中!
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ノーラン・ブッシュネルは1943年、ユタ州ソルトレイクシティに近い町、クリアフィールドで生まれました。
幼少期からSF小説や数学、パズルに夢中となり、10歳でアマチュア無線に熱中するなど幼い頃から技術や創造性に溢れていた少年でした。
1961年にユタ州立大学に入り、後にユタ大学工学部に転入。
大学では電気工学とプログラミングを学びつつ、当時の最先端ゲーム『スペースウォー!』に出会います。
このゲームは宇宙戦をテーマにし、太陽の重力を活かした高度なシューティングゲームでしたが、高価すぎるPDP-1コンピュータ上でしか動かず商品化は断念を余儀なくされました。
近くの遊園地でアルバイトをしていた彼は「これを遊園地に置けば人気になるのでは?」と考えます。
しかし、PDP-1が12万ドルもすることを知り、断念することになります…
アンペックス社で仲間と出会う
1965年大学を卒業した後、世界初のテープレコーダー会社であるアンペックス社に入社します。
ここで、後に共にアタリを創業する「テッド・ダブニー」や「アラン・アルコーン」と出会います。
1970年、かつては高価だった電子部品が安くなっていることに気づいた彼は「スペースウォー!」のアーケードゲーム版の開発に取り掛かります。
すでに結婚して2人の子供がいましたが、次女を子供部屋から追い出して工作機械を持ち込み、夜な夜なゲーム作りに励みました。
史上初のアーケードゲームを発売するが…
そしてついに史上初のアーケードゲーム「コンピュータースペース」が完成します!
これを市場に投入するため、彼は同僚のテッド・ダブニーやラリー・ブライアンとともにゲーム機メーカーのナッチング・アソシエーツ社に移籍します。
1971年、「コンピュータースペース」を1500台制作しますが、結果は50台しか売れず大惨敗。
敗因はゲームが難しすぎたことでした…
大学生には好評だったものの、それ以外の世代にはまったくウケませんでした…
独立してアタリを設立
ゲームへの情熱が冷めないノーランは、1972年、「ラルフ・ベア」が作った世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」のプライベートショーを視察します。
「オデッセイ」は、これまでなかったテレビに繋いで遊ぶことができるゲーム機で、コントローラーもついており、今日の家庭用ゲーム機の原型です。
ノーランはこれに強く感銘を受け、独立して新会社を設立する決心をしました。
ブライアンは創業前に離脱してしまいましたが、アンペックスからついてきてくれたテッドとともに小さなガレージを借り、そこを事務所兼工作所とします。
社名は好きだった囲碁の用語から「アタリ」と命名しました。
アーケードゲーム「ポン」が大当たり
アタリ創業時、社員はノーランとテッドの2人。
3人目の社員として娘のベビーシッターだった女性を電話番兼受付嬢として雇います。
そして、アンペックス時代の同僚だった技術者、「アラン・アルコーン」を副社長兼エンジニアとして4人目の社員に引き抜きます。
ノーランはアランに、「オデッセイ」で見たテニスゲームを説明し、再現させました。
アランはいとも簡単に作り上げ、ノーランは出来上がったゲームは「ポン」と名付けました。
そして、ポンの筐体を設置してくれるお店も決まり、営業が開始。
「コンピュータースペース」の二の舞にならないように、毎日祈るような気持ちでソワソワしていました。
そして3日後、設置場所のオーナーから「コインが入れられなくなった」と苦情の電話が入りました。
大急ぎで駆け付け、硬貨箱を開いてみたところ、中にはコインがぎっしり。
あまりに多くの人が遊んだため、硬貨箱が満杯になり、コインが入らなくなっていたのです…!
ポンは記録的な大ヒット!
ポンは世界で初めて大ヒットしたビデオゲームとして歴史に名を刻み、ノーランの名声を不動のものとしました。
若き日のスティーブ・ジョブズ、アタリに就職
早速、ノーランはポンの増産に入ります。
手持ちの資金で材料を買い集め、組み立てて売り、売って得たお金で材料を買い、また組み立てて売るという自転車操業でした。
それでも原価400ドルで作ったポンは1200ドルで飛ぶように売れました。
たちまちガレージは手狭になり、となりのガレージも借り、さらに潰れたローラースケート場を借り、そこから最新設備の工場に移転と、9カ月で3回も引っ越しするという急成長を見せます。
そして、ノーランは人手が足りず、職業安定所に行って、ヒマそうにしている人間を片っ端から雇いました。
それでも人が足りず、求人広告をだすことにしました。
キャッチコピーはこんな感じ。
楽しく金を儲けよう
こんなコピーで一体どんな人が来るのでしょう?(笑)
この広告に引き寄せられた男こそ
なんと、若き日のスティーブ・ジョブズです!
問題社員スティーブ・ジョブズ
1974年2月、18歳のジョブズは東洋思想に傾倒しており、インドへ行く旅費を稼ぎたくてアタリの門を叩きました。
「ロビーに汚いヒッピーが来て、雇ってくれるまで帰らないと居座っている」という報告を受け、ノーランはジョブズを面接しました。
ノーランはジョブズが情熱と才能をもっていることを見抜き、40人目の社員として採用します。
入社後のジョブズは長髪でシャワーも浴びず、サンダルで工場内をうろついては、誰彼かまわず尊大な態度で接したため、技術部長のアラン・アルコーンをはじめ、周りからの評判は最悪でした。
あげくの果てに上司のアランに「インドに行きたいから旅費を援助してほしい」と願い出ました。
流石にあきれ果てましたが、ミュンヘンに修理に行くという名目でドイツまでの旅費を出してあげました。
ジョブズは退社し、インドへと向かいました。
ジョブズ・リターン
念願のインドへ行き、赤痢にかかってひどい目に合って帰国したジョブズは、1975年初頭、アタリに復帰します。
ノーランは直々に新作ゲーム「ブレイクアウト(ブロックくずし)」の回路の部品削減をジョブズに命じました。
部品を減らした分、報酬を出すと約束されましたが、ジョブズにそんな技術はありません。
当時、スティーブ・ウォズニアックは、親友のジョブズに夜中にこっそりアタリの工場に招き入れてもらいゲームで遊んだり、勝手に回路を改造したりしていました。
ジョブズは彼に「ブレイクアウト」の部品削減を依頼します。
…
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