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「売る」から「導く」へ。業界を変えて新しいステージへ

みなさん、はじめまして!Nexilの中村です。

昔の記事を読んでくれていた方はお久しぶりでございます。
この度セールスエキスパートという肩書をいただいたタイミングで記事の作成依頼がありましたので、少々自分語りをさせていただければと思います!

営業経験者でHR領域を視野に入れている方の参考になれば幸いです。

入社までの経歴

僕は東京都内の4年制大学を卒業後、ワンルーム投資用不動産の売買仲介企業に新卒で入社。数十名規模の会社で毎日300~500件ほど物件保有者にテレアポをして、買い手に繋ぐという営業をしていました。

今だとあまり見かけませんが、月の休みは4~6日、拘束時間12時間。数字が未達の場合は10万円の減給という非常にヒリヒリする環境で、怒鳴られるのが嫌だった僕はなんとか数字を上げるために必死でした。
体系化された教育制度は何もなかったため、社内の録音データを聴き漁り、休日は宅建の勉強をして業界知識を取り込んで行きました。

一年で新卒10人のうち8人が営業部を去りましたが、社内売上単月トップの経験や宅建の取得など、成功体験をいくつか積むことが出来ました。これは僕自身の能力がどうというよりは、常に周りから圧をかけられる環境こそが目標の達成に繋がっていたのだと思います。
今時の支え合う文化ではありませんでしたが、個々が仕事を完遂することを求められるプロフェッショナルな世界で、顧客からお金をもらうこと、『給料』とは何なのかを学びました。

数年後、知人の紹介を経て現代表の鈴木と出会い、会社創業時に参画しました。
既にある程度の営業力がついていると思っていたので、新しい商材を扱っても通用するだろうと思っていました。

この期間は「ハードワーク耐性」「人の真似」「成功体験」を学ぶ期間でした。


ベンチャー企業あるある、営業代行時代

創業当初の弊社にはほぼ何もありませんでした。パソコンも携帯も椅子すらも!
あるのは日当たりの悪い1Kの部屋と、WIFIの商材のみ。弊社部長の杉本との初顔合わせの時、キッチンの床にベタ座りでテレアポをしている私を見て戸惑っていた顔は一生忘れないと思います。

もともと人材紹介業を行う予定で創業したはずが、コロナの直撃で求人が完全にストップ。
そこから訪問営業にシフトし、新電力の営業で北関東を飛び回る生活が始まりました。不動産の営業では飛び込みはなかったため初めての経験で、休日にしか自宅に帰れない生活でしたが、学ぶものは多くありました。
それまで架電メインでしたが、訪販だと相手の顔を見て営業ができるため情報量が多く非常にやりやすい。また、多少なりとも警戒されているところからのスタートになるため、表情や仕草で相手を安心させる技術が日に日にうまくなっていくことを感じました。

他にも様々な商材に携わりましたが、他社の営業支援で行っていた補助金・助成金セミナーの営業で自身の営業としてのスキルがある程度完成します。
この商材は経営者に向けたもので客層のレベルが高いこと、そういった方々を一人で4~6人ほど同時にご説明させていただくため、押し負けない力やデータに基づくロジカルなトーク、自信漲るキャラクターになりきることを学びました。

それまで所謂「引きの営業」を得意としていた自分には、「営業マン」としての確固たる自信というものがありませんでした。分かる人には分かると思いますが、引きの営業では数字が上がってもそこまで自信にならないんです。
このセミナーのトップ営業は僕より歳下でしたが、非常に優秀だったため必死に真似しました。
その結果、自分には向いていないと思っていた押しの営業も習得でき、ここで初めて自身の仕事に明確な自信を持つことが出来ました。

この期間は「鈍感力」「異なるスタイルの営業」「自分の魅せ方」を学ぶ期間でした。




営業とキャリアアドバイザーの違いとは

営業代行の業務を経て様々な経験をして3年が経った頃、漸くコロナが社会的に取り沙汰されなくなりました。もともと僕がこの会社に入ったのは人材紹介の会社を立ち上げるという話を聞いたからで、決して営業代行をしたかったからではありません。
長い長い回り道でしたが、ついにやりたかった仕事に手が届くことになりました。

とは言っても、これまで通り新しい事業を始めるのに教えてくれる人は誰もいません。真似をすべきトッププレイヤーも、録音データも動画も何もありませんでした。唯一経験者の代表がいるだけです。

最初は三名でのスタートで、全員ベンチャーで生き抜いてきたためゼロを一にすることに長けているとは言っても中々に苦戦しました。それでも数ヶ月が経ち新人が入ってくるまでにはある程度形にはなっていました。

人材紹介を始めて感じた難しさは主に3点ありました。

1つ目が、「人の人生に深く影響する」ということ。
どんな商品もそれを売ることで多少なりとも人の生活に影響を与えますが、人材紹介はその比ではありません。自身が与えるイメージによっては、求職者は社会で働くことを諦めてしまう可能性すらあります。
明確に紹介した仕事を通して求職者の未来を描き、そこに共感してもらう必要があります。

2つ目が、「客層の幅の広さ」が尋常ではないんです。
年収700万円台のハイキャリア層から、正社員経験がない方まで、様々なバックグラウンドを持った方と接していきます。
不動産にしても車にしても補助金セミナーにしても、顧客の属性は大体固定されることが多いです。年収に比例して買うことができる商品が決まってくるからです。
しかし人材紹介は企業への紹介料で成り立つビジネスのため、求職者側は完全無料で利用することが出来ます。自身と全く違う生活圏の、それも皆経験職種がバラバラの方々を理解できる様に知識を増やす必要がありました。

3つ目が、「ビジネスとホスピタリティの両立」です。
営業未経験の方はここが最初に躓くポイントかも知れません。
営業はビジネスとして売上をつくることが使命です。売上が上がらなければビジネスは成り立ちません。そこにはどんな綺麗事も、個人の感情も、社風も関係ありません。目標は達成するためのもので、未達ならば何をしてでも達成に向けて行動しなければなりません。
ただ、人材紹介では営業マインドが強すぎると強引に相手を言いくるめようとする姿勢が出てしまい、信頼関係が構築出来ずに成約に至らないことが多いです。相手の話を深く傾聴し、その人の行動原理、無意識下にある願望にまでアンテナを張り、満足行く選択肢を出さねば結果には繋がりません。
逆に、ホスピタリティだけの人も同じく結果が出ないことが多いです。相手の満足行く選択肢を模索しすぎるあまり、内定に繋がる指示を聞いてもらえなかったり、受からない求人ばかり提案してしまったり。
ホスピタリティを大事にしているようで、いたずらに求職者に無駄な時間を使わせてしまうのです。

このように、HR領域の仕事は一般的な営業職とは若干異なり、バランス感が非常に大事になります。
求職者も自分の人生が関わってますから、真に信頼に足る人間にしか心は開きません。その唯一の一人になることが求められてくるのです。

マネージャーとしての挫折

会社の命運をかけて始めた看板事業の人材紹介事業は順調に伸びていき、社員数も徐々に増えていきました。僕もプレイヤーに専念したのは二ヶ月ほどで、常に誰かを教えている状態になっていました。
自身が人材紹介の何たるかを理解していないまま人に教えるのはどうかと思われるかもしれませんが、ベンチャーではこういったことは日常茶飯事です。

しかし、会社がある程度の人数になった時に、自分の仕事が何もうまく行かなくなりました。
原因は、体系的に売上の上げ方は教えることが出来ても、部下のモチベーションコントロールが出来なかったからです。
僕は新卒で不動産に入ってから、「やらない」という選択肢がない状況で生きてきました。やらない、妥協する。この感覚は、自身ができる様になってからするもので、一人前になるまでは何も考えずただやるのみ。仕事にモチベーションは要らないし、仕事だからやる以外の選択肢はない。はずだったのですが、僕の意見が変わらなくても時代は変わっていました。

直属の部下がモチベーションが上がらないと言って結果が出ず、あり得ないと叱ることで関係が悪化し、増えるタスクに振り回されることで数字が上がらなくなり、自身が何をしたらいいのかすら分からなくなりました。
自分にはそれまでマネジメント経験もなく、やり方を教えてくれる人間もおらず、何もできないことに叱責を受ける日々が続き、結果的には役職から外れプレイヤーに専念することになりました。
ゼロから形にするのには慣れているはずでしたが、自身の中で組み立てることは出来ても、他社が介入する組織というものにおいて自分は無力同然でした。

ただ、ここでプレイヤーに専念出来たことで結果的に救われます。それまでキャリアアドバイザーとして自身にだけ時間を使えたのは二ヶ月だけ。それでも、一年間の教育に基づく仮説が自分の中に溜まっていました。その仮説を一つずつ試すことで売上はみるみる回復し、自身の行動に結果がついてくることにやりがいが戻ってきました。
どの立場でもその中での最善を尽くそうと自身の数字を追うだけでなく、周りと対話をすることで様々な価値観があること、特に若年層の仕事への向き合い方の理解を得る時間が出来ました。

「自分にとっての当たり前は、人にとっての当たり前ではない。
自分の理解の速度と、人の理解の速度は違う。」

このどのビジネス書にも書いてあるような簡単なことが、自分が「普通」だと思っていた自分に足りないことでした。

セールスエキスパートとして

この多種多様な価値観、思考速度、生活環境による人格形成についての気付きは、求職者とのやり取りに最も活きたと言っても過言ではありません。マネジメントの失敗がCAとしての自身のレベルアップに繋がるのだから仕事は難しいですね。どこにどんな宝が眠っているか分かりません。

プレイヤーとして結果が残せることで頼りにしてくれるメンバーも増え、自身も昔より遥かに相手の思考、意見を飲み込む癖がつきました。自身にとっての常識を相手は知らないかもしれない。「これは分かってて当たり前」という感覚をなくし、自分の常識を疑うことで、相手の課題点をどう伝えればいいかがすぐに分かる様になりました。
伝え方に棘がないように、どれだけ小さな一歩でも前に進んでくれればいい。そういった考えで人に接することができる様になりました。

大きな挫折はありましたが、周囲の支援もありながらトッププレイヤーの一角に座ることができ、今では自分がこの会社で一番教育がうまいと自身を持って言えます。
現在僕はリーダー職には就いていないながらに専属で後輩の教育を担当しており、自身がトッププレイヤーを継続しながら、教えた後輩たちの数字が伸びるように力になっていければと思います。

キャリアアドバイザーは営業職とは似て非なるものではありますが、数字を追う楽しさ、人の人生に影響を与える重大な仕事でもあります。現在は様々な研修資料が作られ、日々メンバーが新しい意見を交換しながら活躍しています。
僕の役職落ちの起点となった元部下も、今ではリーダー職をやりながら教え方の相談に来たりしています笑

営業経験がある方、経験はなくとも仕事に充実を求めている方。

ぜひ創業期のメンバーとしてNexilに参画してみてはどうでしょうか。

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