上場以前からメドピアに参画し、2011年から会社の変遷を見続けてきた執行役員の高橋。
大企業からベンチャー企業への転職、未経験の医療分野への挑戦。——経験した苦労も少なくない高橋ですが、これからのメドピアグループの成長を確信し、メドピアのキープレーヤーとして成長を牽引してきました。
子会社社長、グループの執行役員を経験するなど、会社のフロントラインで常に活躍するメドピアの“生き字引”。入社の経緯から自身の成長までの軌跡まで、たっぷりとお話を聞きました。
全国の医師が、偏りなく情報を手に入れられる世界を創りたい
ーーはじめに、高橋さんが現在携わっている事業について教えていただけますか?
高橋 宏幸(たかはし ひろゆき)
執行役員
2001年に早稲田大学教育学部卒業後、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタント(現日本IBM)に入社。官公庁における業務システム最適化プロジェクトに携わった後、医薬品・医療機器業界、生命保険業界などにおいて業務改革、営業改革のプロジェクトに従事。2011年11月に当社に入社し、製薬企業マーケティング部門、メディア部門統括、新規事業開発、キャリアサービス部長を経て2017年3月から子会社・株式会社フィッツプラスの取締役COO、同年9月より同社代表取締役社長に就任。2019年8月に子会社・株式会社Mediplatの取締役に就任。2019年9月に当社執行役員に就任し、セルフケアプラットフォーム事業部を統括。
高橋:メドピアの執行役員としてセルフケアプラットフォーム事業全体のマネジメントを行っています。
グループ会社のMediplatでは、法人向け産業保健支援事業として「first call」を展開しており、チャットとテレビ電話を使ったオンライン医療相談、Webやアプリで簡単に受検できるストレスチェックサービスを提供しています。もう一つのグループ会社、フィッツプラスでは特定保健指導事業を展開しており、健康保険組合を通じて多くの方の生活習慣の改善を支援しています。
ーー幅広い領域の事業に関わっているんですね。今の事業を担当されるまで、どんな事業領域でお仕事をされてきたのでしょうか。
高橋:製薬企業向けセールス業務から始まり、その後1年間は医師専用コミュニティサイト「MedPeer」の運営責任者を務めました。その後、現在はもう残っていませんが、在宅医療サービスを提供する子会社の立ち上げやキャリア事業の部長、フィッツプラスの社長も経験してきました。
ーーセールス、メディア運営責任者、新規事業の立上げなど様々な経験をされてきたんですね。メドピアには、どのような経緯で入社されたのでしょうか。
高橋:前職の先輩がメドピアに転職しており、ある日「ちょっと会社に遊びにおいでよ」と誘われたんです。すると、偶然そこに居合わせたCEOの石見から会社のビジョンを力説され、入社のオファーを受けたんです(ちなみに後で聞いた話では、石見がいたことはただの偶然ではなかったようですが)。
しかし、当時転職は全く考えていませんでした。「そろそろ今の仕事とは別の仕事がしたいな」とは思っていましたが、前職は社内異動も多い会社で多くの経験を積めますし、そもそも外に出る発想がなかったんです。
ーー転職をするつもりはなかった髙橋さんが、なぜ、メドピアに入社することになったのでしょうか?
高橋:私自身の課題意識と、メドピアのミッションが重なったことがメドピアへ入社を決めた理由です。
石見から受けた入社オファーのなかで「周囲に相談できず一人で困っている医者をサポートし、その先にいる患者を救いたい」という話がありました。これが直後に起こる祖母の入院で、私自身の課題意識と重なったんです。入院した祖母を見舞いに静岡の片田舎に向かう道中、周囲には病院が一軒くらいしかないことに気づきます。当然ながら医師を選べるような環境ではありません。そのとき、「患者が医師を選べないのと同じで、医師も都会に比べると、最新の医療情報を得られる機会が少ないのではないか」という考えが、頭をよぎりました。石見が語っていた医療業界の課題、それを解決するメドピアのミッションが、私自身の現実にリンクした瞬間でした。
多くの医療機関がある都市部と違い、地方に住む患者は、担当医師を替えることも難しい。だから祖母に最適な医療環境を提供するためにも、「せめて全ての医師が、偏りなく情報を手に入れられる環境を整備したい」と思いました。
また前職のコンサル業で、ナレッジを社員間でシェアするプロジェクトを有志で担当していました。医者のナレッジを全国的に共有するメドピアの事業は、私がそれまでコンサルタントとして取り組んできた課題認識に対する解決策にも近しいものだったのです。
自分の成長が、会社の成長へ。大手コンサル時代よりも成長した自分
ーー外資系コンサルからメドピアへ、入社後はどんなご様子でしたか?
高橋:初日から営業先を複数回り、翌日からは提携先企業にほぼ常駐することになり…。知らない世界に丸裸で飛び込む感覚でした。前職で担当していた、社内情報システムの運用、CRMサービスを活用したクライアント営業改革などの仕事とは、求められるスキルが大きく違いました。突然、自分が持っていない知識を仕事で使うことになり、本を買い漁って必死でインプットに励む日々でした。
高橋:また、お客様からの見られ方にも前職との違いを感じたことがありました。極端な例をあげると、お客様から依頼された作業の目的があいまいだったので、しつこく確認していたところ、先方の担当者からはベンダーは言われたことをやってくれればいい」という趣旨の発言をされたこともありました。作業をする際には、その背景や目的を明確にしてから着手するという姿勢が、お客様とぶつかってしまったのです。
しかし最終的には、先方からもそんな私のスタイルを受け入れていただけて、しばらくは提携先企業の「中の人」として、先方と一緒に仕事をしていました。今となっては、コンサル出身の私だから発揮できる価値もあったと考えています。
ーー当時を振り返り、自身の変化はありましたか。
高橋:入社直後の私は、今と比べて間違いなく数字への意識が弱かったと思います。営業として予算を背負うようになった当初は「営業するだけしてみて、結果的に数字につながらなければ仕方ない」と甘えている部分があったんです。
たとえば私が担当している企業の案件で、先方からの決裁が降りず、停滞している件がありました。ビックプロジェクトではありましたが、「相手が首を縦に振らないんだから、もう仕方ない」と諦めたのに対し、先輩が先方の責任者を追いかけまわして、その案件を取ってきたんです。
常識的な話かはさておき、「数字にとことんこだわってやりきる」意味では、自分はまだ甘いなと反省しました。
以来、前職時代の「会社・クライアントの目標を自分の目標と一致させて自分のスキルを上げる」という考え方から、数字にコミットし、「会社・事業の目標を達成する」ことを第一に考えています。そのほうが結果的に自分のスキルも上がっているので、不思議ですよね。
ーー会社の成長への貢献が、結果として自分自身を成長させていたのですね。
高橋:そうですね。大きな機会やプロジェクトというのは、常に会社の成長や重要な課題解決とリンクして生まれていきます。とにかく会社の成長に貢献し続けることを掲げ、それぞれの機会を逃さず自分を適応・変化させていけば、自然と経験もスキルも身に付けられる。これは、今も日々実感しています。
メドピアの成長は、ミッションである“Supporting doctors, Helping patients.”につながっています。以前感じた「医師の助けになりたい」、そして「医師を支援することで、患者さんを救いたい」という想いを実現するには、とにかく会社を成長させることが最優先でした。
取り組んだ業務全てが患者を救うことにつながっていると、今では実感できているので、「会社・事業の成長に自分の全てを捧げよう」と自然と思えるようになりました。
“やりきれなかった経験”が、私をさらに強くした
ーーその後は、どのようにして、責任あるポジションを任されるようになったのでしょうか?
高橋:サービスを販売していたら、今度は販売する商品の改善点が目につくようになってきました。「メディアそのものを良くしていきたい」と提案を続けていたら、今度はいつの間にかメディアの責任者を任されることに。
ただ当時の私は、医療の知識もメディア運営の経験もゼロです。責任者になったところで本を読み漁り、猛スピードで知識を入れ込みました。振り返れば、フィッツプラスの役員に選任されたときも管理栄養士や食事指導の知識は持っていませんでしたし、MediPlatに関しても産業保健のことはそれほど詳しくは知りませんでした。
どんな環境においても、目の前の状況を楽しみ、ゼロからでも積極的にキャッチアップしていく姿勢があったからこそ、現在のキャリアになっているのだと思います。
ーーお話を聞く限り、これまで数々の難題を乗り越えてきていらっしゃると思います。特に印象的なエピソードを教えてください。
高橋:自分で立ち上げた在宅医療の新規事業がクローズしてしまった経験は、キャリア形成に大きな影響を与えています。サービスを運営していた際、在宅訪問をしている医師と数日間一緒に働いたことがあるんです。
訪問先は一人暮らしの高齢者だったので、家の掃除をすることも難しいような状態。その中で丁寧に診察している光景を見たとき、医師の苦労を痛感し「こうした志ある医師を、もっと支援しなければいけない」と、ある種の使命感を感じました。
しかし、サービスを「つくる」ことに向きすぎてしまい、そのサービスを「売る」ということへの意識が弱かったと反省しています。
「優れたサービス」と認めてもらい、現場から好評価をいただけたからといって、そのサービスが売れるとは限りません。なんとなく「いいな」と思っても、お金を払ってまでそのサービスを利用しようと考える方は、そう多くはないからです。
ーーそうした経験を経て、どのようなことを学びましたか?
高橋:事業をつくる上で一番大切なことは、「全力で、やれることをすべてやりきる」ことだと実感しました。事業がなかなか軌道に乗らずに悩んでいた当時、メドピアの顧問である春田真氏や当時の社外取締役から「ちゃんと全部やりきったの?その地域のクリニックに全部電話したの?」とご指摘をいただいたんです。そのとき初めて、自分が「優れたサービスをつくったら、自ずと売れる」と勘違いをしていたことに気づきました。
サービスをつくったことで満足し、その先にある本当に大事なことに全力で取り組めておらず、まだ「やれること」がたくさんあったんです。
例えば、コンサルティングファームでは、基本的にプロジェクトを始めるときには、ゴールだけでなく、そのプロセスも事前に決めています。一方事業づくりは、達成したいゴールとそこに至るプロセスを事前に決めはしますが、その通りに行かないことがほとんど。日々変わる状況をキャッチアップしながら、事業プラン自体の見直しなどを積み重ねていきます。
事業といういわば「生き物」を扱う感覚で、その瞬間でゴールに向かうために最善と思われる施策を次々とっていく。プロセスが画一的ではないからこそ、時には撤退する基準などをしっかりと決め、限られた期間内にやれることをすべて全力でやりきることが必要なんです。
日々の困難も、変化や挑戦を楽しむ姿勢で乗り越えられる
ーー現在高橋さんは、経営層として、メドピアを引っ張っていく立場にあります。高橋さんの視点で、メドピアはヘルスケア市場の中で、どのようなポジションにあると考えますか?
高橋:言葉を選ばなければ、メドピアは「選べる」状態にあると思います。
日本のヘルスケア市場は、今とても注目を集めていて、大手企業もこぞって参入を目論んでいます。しかし専門的な領域なので、医師や管理栄養士等の専門職のサービス基盤がなければアプローチが難しい。ですから、私たちのように会社規模は小さくとも、基盤をも持つ企業に活躍の場が開けていると言えます。
ーー市場が盛り上がりを見せているんですね。とはいえ見方を変えれば、激戦化しているという意味にもとれますが…。
高橋:おっしゃる通り、参入するプレーヤーは増加しています。ただメドピアのように、幅広い人材を揃えた企業はそう多くありません。
医療だけ、もしくはシステムだけに特化した企業はたくさんありますが、メドピアにはITに強いメンバーや事業づくりに強いメンバー、現役医師も複数人在籍しています。
現在力を入れている予防医療に関していえば、管理栄養士や薬剤師などもいるので、全てを自社完結させることができるんです。これは、激戦の中にあっても、大きなアドバンテージだと思っています。
ーー最後に、これから一緒に働きたい人材像について、お伺いさせてください。
高橋:月並みの言葉にはなってしまいますが、「明るくて逃げない人」ですね。やはり一度でも逃げだしたら、“逃げ癖”がつくと思います。たとえ上手くいかなくとも、前向きな姿勢で仕事に取り組んでいれば、必ずプラスになる経験が得られる。
先日、とある社員が、医師会員からサービスの改善点をご指摘いただいたそうですが、「まだまだですね。でも、伸び代があると考えれば、それは嬉しいことです」と話していました。
そういった発想の切り替えができることは、とても大事だと思うんです。
事業を運営していれば、苦悩や困難は付きもの。そんなときに「まだまだやれることがあるのだから、メドピアは成長し続けられる」と考えられる人、目の前の変化や挑戦を楽しめる人と、一緒に仕事がしたいと思っています。