株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)の会社情報 - Wantedly
株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)の魅力を伝えるコンテンツと、住所や代表・従業員などの会社情報です。外国人向けに人材/不動産/教育/メディア事業を展開するスタートアップ。東京/インドネシア拠点🗼🇮🇩 移民が日本で生まれ亡くなるまで全てのライフステージの課題を解決するソリューションプラットフォームを目指します ...
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神奈川県川崎市で生まれ育ち、地元の公立小中学校に通う。高校は東京都内の私立校に進学し、バスケットボール部に所属。高校3年時には部長を務め、チームをまとめる経験を積んだ。
東京学芸大学に進学後、中学時代からの夢だった教員を目指して勉学に励んだ。
大学2年次で化学の学習に飽きを感じるようになり、英語学習に没頭した。オーストラリアとタイへの短期留学をこの時期に経験。
「人生を変えるには海外に出るしかない」と感じ、大学卒業後はタイ・バンコクの日本人学校で2年間勤務。帰国後は日本の公立高校で1年間教員として働いた。
教育現場での経験を土台に、東南アジアと関わる仕事を志すようになり、現在はLivCoに参画している。
「何も不自由なく育った」
そう言うと嫌味に聞こえるかもしれませんが、事実です。
優しい両親、スポーツ万能な兄、幸せな家庭。周囲からも「うっすーの家族って本当に羨ましいよな」と、ことあるごとに言われてきました。最初の頃は、それが誇りでした。「自分は違う世界に生まれたんだ。この先もきっと順調にいく。」本気でそう信じていました。
でも、そんな根拠のない自信は、大学生活と3年間の教員生活の中でガラガラと崩れ落ちていきます。
自分を見失い、夢だった教員という仕事にも違和感を感じ、気づけば人生のレールから外れていました。
プライドだけが残って、でも本当の自分がどこにもいない。誰と一緒にいても、無理やり笑っている感覚。そんな毎日から抜け出すきっかけをくれたのが、LivCoでした。
今の僕は、当時とはまるで違います。
毎日が刺激的で、忙しくて、でも楽しい。
心の底から笑えるようになったんです。人生ってこんなに面白かったんだなって、今は思えます。
これからお話しするのは、「優等生」「教員志望」「安定志向」だった僕が、なぜ安定を手放し、未経験から全く新しい世界に飛び込んだのか、そして今どんな風に働いているのかということです。
現職の教員の方や、転職を迷っている方にとって、少しでも「こんな生き方もあるんだ」と感じてもらえたら嬉しいです。
僕は神奈川県川崎市で、薄坂家の次男として生まれました。兄とは対照的に、かなりのわがまま坊主。両親に叱られてお尻をひっぱたかれるのは、だいたいいつも僕でした。
今でもよく覚えているのが、家族で焼きそばを食べていた昼ごはんのときのこと。僕が何気なく言った「お肉かたい」という一言に、母の怒りが爆発。焼きそばが皿ごとキッチンにぶっ飛びました。
そのあと父に尻をぺんぺんされたのも、セットの記憶です(笑)。
お母さん、あのときは本当にごめんなさい。
そんなやんちゃな幼少期でしたが、小学3年生で兄と一緒に始めたバスケットボールが、僕の性格をガラリと変えました。というのも、クラブチームの監督が、今で言うところの“完全にアウト”なレベルの鬼コーチだったんです。手を抜けば体育館100周、筋トレ中の空気イスでは、足が震えて涙が出てきても終わりませんでした。
監督の恐怖と戦いながら、何とかついていくしかなかった。
今思えばヤバいですが、あの環境の中で僕はある「生き抜き方」を覚えました。
それが、「Yesマン」として優等生を演じる術です。怒られないように、嫌われないように。監督の顔色を見て動いていれば、安全地帯にいられる。その癖が、そのまま学校生活にも染み込んでいきました。
誰に聞かれても「将来の夢は教員です」と答えるようになり、それを何度も口にするうちに、だんだん自分でも本当にそうなんだと思い込むようになっていました。中学ではバスケ部のキャプテンになり、勉強もそれなりに頑張って、都内の私立高校に合格。
高校でも引き続きキャプテンを務め、成績はオール5。卒業時には「私学財団奨励賞」という、なんだかすごそうな賞までいただきました。大学受験も順調そのもので、志望学科には主席合格。
誰がどう見ても、“絵に描いたような優等生”でした。
でも、心の奥ではいつもどこかに、演じている感があったんです。
正直に言えば、それまでは「人生ってけっこうイージーモードかも」と思ってました。
いい高校、いい成績、いい推薦。周囲からも「真面目で頑張り屋さん」なんて言われて、少し調子に乗ってた部分もあったと思います。でも、大学に入ってその幻想は一気に崩れました。
「バスケでまだ上を目指したい」と思って入部した体育会の部活。
授業と夜遅くまでの練習に加えて、実家から大学までの片道1時間半の通学。朝は早く、夜は遅く、睡眠時間もまともに取れない。たった半年で、心も体も限界を迎えて退部しました。これが僕にとって、人生初の大きな挫折でした。「辞めるしかなかった」と頭では理解しても、心が追いつかない。
応援してくれた家族や優しい先輩たちの顔が浮かんでは、「自分って本当にダメだな」と落ち込む毎日でした。でも、それでも前を向かなくちゃと思って、自分の道を探しはじめました。
部活の代わりに時間ができた分、理科教員になるという目標に向けて勉強に本腰を入れるように。「海外にも触れてみたい」という思いから、タイへの短期留学プログラムにも挑戦してみました。
でも、またそこで壁にぶつかります。
現地の学生と交流する場面で、共通言語は英語。「彼、自転車を取りに行ったよ」――そのたった一文が、頭の中で出てこない。単語すら思い浮かばない自分に愕然としました。
「俺は今まで何をやってきたんだろう……」
「このまま教員になって、何を子どもに伝えられるんだろう?」
初めて「夢だったはずの教員」という道に、疑問を持つようになりました。それからの僕は、必死でした。コロナ直前には1ヶ月間オーストラリアに留学し、コロナ禍には自宅でオンライン英会話に没頭。
大学では外国人留学生と仲良くなって、彼らが暮らす寮に毎日のように入り浸っていました。
でも、いくら英語を勉強しても、自分の生活は変わらない。やっぱり、自分の人生を本当に変えるには、環境そのものを変えるしかない。そう思って、思い切って「バンコク日本人学校」で教員として働くことを決めました。
初めての海外生活、初めての教員。しかも、研修なんてほぼゼロ。入社してすぐに「先生」と呼ばれ、教壇に立たなきゃいけない。最初は、まあうまくいきませんでした。「きっと2年もすれば慣れるだろう」と思っていたけど、2年経って気づいたのは、
「あ、俺、教員マジで向いてない」ってことでした。
でも、皮肉なことに、人生そのものはすごく充実していたんです。部活がなく、長期休暇も長い。だからタイを拠点に、東南アジア各国を旅しまくりました。
シンガポール、カンボジア、ベトナム、ラオス……。
どの国でも現地の人たちが本当にあたたかくて、「今日泊まる場所がないんです」って言ったら家に泊めてくれた家族もいたほどです。そんな優しい人たちが、よく口にするんです。
「日本で働いてみたいんだよね」
「前に日本にいたことあるけど、また戻りたいんだよね」
え、じゃあ来ればいいじゃん?と軽く返す僕に、彼らはこう答えます。
「日本語が難しくて」
「どうやって手続きすればいいか分からなくて」
「資格がなくて……」
そのとき、心のどこかで思いました。
「それって俺が手伝えないかな?」
そんな気持ちが芽生えはじめたのは、この頃だったと思います。その一方で、日本への本帰国が決まります。なんと教員採用試験に一発合格。
「これもご縁かも」と思って帰国しましたが……これがまあ、しんどかった。
元々、人前で話すのがあまり好きでない僕にとって、毎日の授業はプレッシャーの連続。
授業前に実家の母に「今日、授業行きたくない」とLINEしたこともあります。
それでも、「教員を辞めるなんて逃げじゃないか」と思って、なかなか踏ん切りがつかなかった。
でも、あるときふと立ち止まって考えました。
「俺ってなんで教員になったんだっけ?」
……答えはありませんでした。
ただ“優等生”として、誰かに褒められるために、「将来は教員です」と言い続けてきただけだった。
その夢は、いつの間にか「現実」になっていたけど、僕の心はそこにいなかった。
じゃあ、もうやめよう。
そう思ったら行動は早かったです。
教頭先生に退職の意思を伝え、10月には次の道を探し始めていました。この場を借りて、当時親身になってくれた教頭先生や同僚の先生方には、心から感謝しています。本当にありがとうございました。
自分の人生を本当に生きるなら、あの東南アジアにもう一度、向き合いたい。日本で出会った優しい友達、旅行先で出会った「日本で働きたい」と語ってくれた人たち。彼らの背中を、ちゃんと押してあげられる存在になりたい。そう考えていたとき、LivCoという会社と出会いました。東南アジアの人材と日本企業をつなぎ、その後の定着までサポートする。
「これ、俺がやりたかったやつじゃん!」って、ピンと来たんです。
今の仕事は、企業さんと面接を組んだり、外国人材の方と二人三脚で準備を進めたり。
内定が決まると、「この人の人生、少しだけ動いたかも」と感じられて、本当にやりがいがあります。人前で話すのが好きでなかった僕も、今は堂々と喋れるようになってきました。だって、今は自分のやっていることに誇りがあるから。無理して笑っていた今までとは違って、今の僕は、心から笑って、心から悩んで、心からイライラもする(笑)。
でも、それでいい。
だってそれが“人間”だし、本気で人生を楽しんでる証拠だから。
LivCoで僕が担当しているのは、リクルーティングアドバイザー(RA)というお仕事です。外国人材の採用を検討している企業、もしくはこれから採用に踏み出そうとしている企業様にアプローチし、その企業で働きたい外国人材を紹介・サポートする仕事です。企業様の人手不足を解消し、同時に外国人材の「日本で働きたい」という夢を実現させる、まさに橋渡しのような役割です。
LivCoが運営するインドネシアの日本語学校の生徒たちも、企業面接に挑んでいます。以前、私が担当した面接では、何度も不採用が続いた生徒がいました。それでも彼らは、緊張しながらも懸命に自分の想いを伝え、30分間全力で面接に取り組みます。うまく伝わらない場面でも諦めずにわからない部分を質問し、必死に面接官とのコミュニケーションを試みる。そんな姿を何度も目にしてきました。
そして、内定の知らせを受けた瞬間に浮かべる喜びに満ちた笑顔。私は何度も、その瞬間に立ち会ってきました。
「今、自分は誰かの人生を変えているんだ」と実感するのは、まさにそんな時です。
それは、かつて教員として働いていた時には得られなかった、“生きたやりがい”です。
LivCoでやりたいことは、大きく言えば「東南アジアの人たちが日本で働くことを、もっと当たり前の選択肢にすること」です。実際、現地で出会った人たちの中には、日本で働きたいって真剣に思っている人がたくさんいます。でも情報がなかったり、制度が複雑だったり、日本語力に不安があったりして、挑戦する前にあきらめてしまう人も多いんです。
そういう人たちの背中を押して、日本に来て本当に人生が変わったと思えるようなサポートをするのが、LivCoでの自分の大きなミッションだと思っています。
加えて僕が強く思っているのは、「自分自身を変えたい」という気持ちです。
今までの人生、ずっと“優等生”として周囲の期待通りに生きてきました。バスケを辞めたときも、教員を辞めたときも、いつもどこかで“いい子”でいなきゃいけないと思っていた自分がいました。だけど、そんな自分に違和感があった。嫌いだった。「恵まれてたからでしょ」って言われたくなかったし、「やるときはやるんだぞ」っていう底力を証明したかった。
だからこそ、LivCoに来ました。ここでなら、自分をさらけ出して、挑戦して、ぶつかって、変われると思いました。
そして今、自分の力で誰かの人生を動かすことができている。その事実が、少しずつ、自分に自信をくれている気がします。
LivCoで、東南アジアの人の未来を変える。そして自分の未来も、自分の手で切り拓く。これが、僕がこの場所で成し遂げたいことです。
僕、離任式で生徒たちにこう話しました。
「人生100年時代。もし100センチの定規に例えるなら、僕はいま25センチ地点にいます。みんなは今どこにいるかな?
この定規、ずっとまっすぐである必要なんてないんだよ。途中で曲がったり、後戻りしたり、道を見失うことだってある。でも、最終的に100センチ歩き切ったとき、“俺の100センチ、めっちゃおもろいやん”って、そう思える人生にしよう。たくさん挑戦して、たくさん失敗して、それでも前に進もう。残りの82センチを、悔いのないように生きてください。」
そんなスピーチを全校生徒の前で語った以上、僕自身が挑戦し続けなきゃウソだなと思っています。
そしてきっと、いまこれを読んでいるあなたも、そんな挑戦に心を動かされる人なんじゃないでしょうか。
LivCoは、挑戦を本気で歓迎する会社です。
成長したい、自分の可能性を広げたい、社会に本質的な価値を残したい——そんな想いを抱いている人には、これ以上ない環境だと思います。もちろん、楽なことばかりではありません。しんどい時も、悔しい思いをする時も、きっとあります。だけど、それを乗り越えた先にしか見えない景色がある。人生を本気で楽しむための道のりが、ここにはあります。
さあ、僕と一緒に挑戦しませんか?
LivCoで、本気で、悔いのない最高の人生を作りましょう。お会いできる日を、心から楽しみにしています。
現在様々なポジションで共にチャレンジしてくれる仲間を募集しています!少しでも興味をお持ちの方は、ぜひ、採用情報をご覧ください!
弊社は『外国人も暮らしやすい社会を創る』がビジョンの、外国人向けに人材/不動産/教育/メディア事業を展開するスタートアップです。東京/インドネシア拠点。
移民が日本で生まれ亡くなるまで全てのライフステージの課題を解決するソリューションプラットフォームを構築しています。外国人業界初の上場を目指し、年間350%の成長を遂げています。
急速な人手不足を補うべく在日外国人労働者はこの10年で260%増の一方で、職場から失踪する外国人は年間1万人。
途上国では戦争が絶えず多くの若者が失業し自己成長機会が乏しい状況が続いています。
東南アジア事業経験を持つ経営陣が中心となった圧倒的外国人目線とITの力で移民就業機会の最大化・最適化を図り日本/途上国の課題を同時に解決してまいります。(HP:https://livco.inc)
〜Why LivCo!?〜
『グローバル』
東京/インドネシア拠点で外国人社員比率40%のグローバルスタートアップ。毎日オフィスでは4ヶ国語(ベトナム、インドネシア、ミャンマー、日本)が飛び交っており、グローバルな視座で仕事ができます。コアメンバーは半年に1回のペースで東南アジア出張があり、入社後半年以内にインドネシア現地入社研修がございます。
『急成長』
年間260%急成長の最後のHRブルーオーシャン市場である移民マーケットに挑み、松屋や日高屋、ベネッセなど大手含む250社以上と取引、500人以上を斡旋。年間成長率350%!
『ありがとうに近い』
「妹を学校に行かせるべく仕送りがしたい」と我武者羅に頑張る東南アジア人を支援する手触り感のあるソーシャルな仕事です。ただ支援をするだけではなく事業としてサステイナビリティーを追求するべく、ビジネスパーソンとして実行力/企画力も鍛えられます。
『経営者直下で裁量権大』
リクルート出身かつミャンマーで100万人メディアを創り売却したグローバル連続起業家直下で“社会正義”דそろばん”経営が学べます。そして新規事業を連続的に立ち上げているベンチャー企業なので裁量権大。ストックオプションも視野にいれながら最大速度で成長できます。
『優秀なメンバー』
中途・新卒問わず多くの優秀なメンバーが活躍しています!平均年齢は29歳、男女比率は6:4です。
・リクルートでMVP5回受賞した敏腕営業マン
・元大手プラントエンジニアリング会社のエース
・トリリンガルのインドネシアと日本のハーフムスリム
・サイバーエージェント出身のベトナム人
(出身企業・大学:リクルート、サイバーエージェント、JICA、ソウルドアウト、デロイトトーマツ、Speee、ラクスル、日鉄エンジニアリング、東京大学、大阪大学、早稲田大学、中央大学、明治学院大学など)
◆参考リンク
メディア取材記事(Fastgrow):https://fastgrow.jp/articles/livco-sasa…
採用資料:https://speakerdeck.com/sasa_shotaro/6
採用動画:https://youtu.be/MJeTPEUaAmA?si=1xxU9anol58sqZrz…
弊社元リクルートスタッフyoutube取材:https://youtu.be/EOUIxQd7SrU?si=N9MbkYORIhzom-gj…
代表佐々の監修記事「外国人業界の魅力」:https://fastgrow.jp/articles/foreign-employment…
資金調達のプレスリリース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000017.000089895.html
資金調達の裏側を記した記事:https://note.com/livco/n/n802c3da96f9c