株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)の会社情報 - Wantedly
株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)の魅力を伝えるコンテンツと、住所や代表・従業員などの会社情報です。外国人向けに人材/不動産/教育/メディア事業を展開するスタートアップ。東京/インドネシア拠点🗼🇮🇩 移民が日本で生まれ亡くなるまで全てのライフステージの課題を解決するソリューションプラットフォームを目指します ...
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3歳から高校卒業までサッカーを続け、その傍らで国際協力に漠然と興味を持ち東京外国語大学へ。成り行きでビルマ語専攻となり、ビルマ語(ミャンマー語)を勉強し始めたのがミャンマーとの最初の出会い。情勢が悪くミャンマーへの渡航が難しい中でも「ミャンマーの人たちと共に暮らしていみたい」という想いを諦めきれず、大学3年で休学し一人でタイ・ミャンマーの国境へ向かった。6ヶ月の現地滞在&移民学校でのボランティアを経て、人生を通してミャンマーに関わり続けていくことを決意し、2025年4月からLivCoへ。26卒ではあるものの、社員と同じく自分の数字を持って日々奮闘中。
オタク。現在、この言葉は良い意味で使われることもあれば時に嫌味のようなマイナスなニュアンスで使われることもあります。敢えてはっきり言うと、私は「オタク」とは最高の褒め言葉だと思っています。
時は遡って幼稚園の頃。友達と遊ぶこともあった一方で、家ではマイワールドに突入して一人で何かに没頭するということもよくあった幼少期でした。家にはたくさんの図鑑があって黙々とそれらを見たりしていましたが、中でも特にボロボロだったのが電車の図鑑。そう、私は「電車オタク」だったのです。
祖父の家に行っては近くにある踏切に行き何時間もそこで行き来する電車を見たり、首都圏の駅名をほとんど全て暗記するほど(今は全く覚えていません笑)路線図を見たり、自転車に乗っては鉄道の運転士気分になったり、、、そんな自分を両親は温かく見守ってくれていました。
小学生になると祖父の影響で昆虫に目覚め、サッカー以外は夏休みの大半を虫取りに費やす昆虫少年になりました。鉄オタ時代は「電車に乗る」がメインの旅に連れて行ってくれていた両親が、今度は「昆虫採集」目的でキャンプによく連れて行ってくれるようになり、玄関にはカブトムシ・マンションが設置され庭にはアゲハチョウのためだけにサンショウが植えられました。私の家族は、まさに自分が「好き」に全力になれて、「好き」を応援してくれる環境だったのです。
もちろん、幼少期から続けていたサッカーもずっと応援してくれていました。試合の後によく怒られて当時は「うるさいな」と思っていたけれど、今となっては息子のプレーを自分のことのように喜んだり悔しがって応援してくれていた両親には感謝しています。
📷高校サッカー時代の写真。背番号21。
中学生の時に「世界がもし100人の村だったら」という本を題材にした授業があり、アフリカの児童労働やモノカルチャー経済と貧困について学び「国際協力」に漠然と興味を持つようになりました。徐々に関心が世界へと広がっていき、高校2年の夏の時点で東京外大への受験を決意。しかしテストの成績が振るわず、「外大に入れればなんでもいい!」と当時一番倍率が低いと予想されていた東南アジア地域専攻に出願。初めは特に深い動機もパッションも無く、なんとなくビルマ語専攻に決まったのが始まりでした。しかし、不思議なものでミャンマーのことを勉強していくうちにミャンマーという国に惹かれはじめ、わざわざ高田馬場のミャンマー料理屋さんに行ってしまうほどミャンマーが好きになったのです。
📷大学2年の学祭で披露したビルマ語劇。仏教説話の一幕、主役の王子と戦う悪玉の王を演じた。
大学2年までは部活動もバイトも充実した楽しい学生生活を送っていましたが、2年の終わりになって「このまま特になんの挑戦もせず4年で卒業していいのか」と焦り始めました。イギリスやアメリカなど他国への留学を決める友人がいる中、自分はミャンマーに関わることを諦めきれませんでした。もちろんミャンマーとなると大学として交換留学などを使う選択肢はなく自分で方法を探すしかなかったため、大学の先輩のツテを頼ったり現地インターンなどを探すようになりました。
ある日、大学の先輩がタイとミャンマーの国境にあるメーソートという街に住む友人がいると言って紹介してくれました。その友人の方が保証人としてビザやホストファミリーの世話をしてくださり、大学3年の秋から休学して国境でのホームステイをさせてもらうことになりました。今思い返せば、大学の先輩とメーソートのご友人がいなければこの素晴らしい経験はできなかったし人生も変わらなかったでしょう。この出会いに今でも心から感謝しています。
📷移民学校での日本語授業。
2023年11月1日。メーソート空港。これまでの人生で一番胸が高鳴る瞬間でした。海外慣れしていない自分がほとんどノープランで国境に半年住むというのに、緊張よりワクワクが遥かに上回っていました。
メーソートは、一見すると普通の平和なタイの田舎町でした。もちろんタイ人よりミャンマー人の方がはるかに多く、ミャンマーにいるかのような錯覚に陥ることも多々ありましたが、治安も良くみんな楽しく暮らしているんだな、というのが最初の印象でした。
しかし、現地でできた友達や、ボランティア先としてお世話になっていた移民学校の先生たちから話を聴くにつれて、彼らがどのような過去を持ち、どんな思いでミャンマーから国境を超えてタイ側に移ってきたのかを知るようになりました。皆それぞれ友人を亡くしたり、壮絶な逃避行の末にギリギリでタイ側に逃れてきたり、ミャンマー側の家族からの仕送りを切り崩して生活していたり…今こうして一緒にいられることが奇跡なんだと気づきました。
特に自分がずっと一緒にいた学校の先生たちは教育に懸ける情熱が強く、給料も出ないのに子どもたちの将来のために日々勉強を教えていました。そして、誰一人として余裕のない状況にも関わらず、突然やってきた外国人である自分を訪問者ではなく「家族」として受け入れてくれました。初めは「セヤー」(ビルマ語で先生)と呼ばれていたのが、すぐに「マウンレー」(ビルマ語で弟)とか「カウンゾーテッ」(自分のミャンマーネームです)と呼ばれるようになり、それに何とも形容し難い嬉しさを感じたのを今でも覚えています。
📷ホストブラザーと2人旅の道中で一枚。本当に血が繋がっているんじゃないかと今でも思う、大切な弟。
2024年4月30日。メーソート空港。これまでの人生で一番胸が締め付けられる瞬間でした。半年の生活でここは第二の故郷となり、メーソートを離れることは第二の家族とのお別れを意味していました。ほとんど泣くことのない自分が、別れの寂しさとこれまでの感謝で感情がぐちゃぐちゃになり、涙が止まらなくなってしまいました。
メーソートにはたくさんのNGOスタッフや研究者が海外から訪れています。しかし、日本人でここまで現地に染まって一緒に暮らして、くだらないことではしゃいだり、たまに大喧嘩したりして喜怒哀楽を共にしてきた人はどれほどいるでしょうか。こんな貴重な経験をさせてもらったことに本当に感謝していますし、だからこそ、それができた自分はこれを「いい経験ができた」で終わらせてはいけないと思うのです。
「現地を知ったこと」には責任が伴うと自分は考えています。自分がメーソートに行くのに日本側でもたくさんの人の理解と協力があり、現地でも生活する上でたくさんの支えがあって半年過ごすことができました。この恩返しを自分は人生を賭けてしていかなければいけないと思うのです。
📷メーソート空港。出発ロビーで大号泣。。。
気持ちとしては、大学を卒業したらすぐにでもメーソートに戻りたい、そう思っていました。しかし、今の自分が現地に行ったところでなす術がないのも事実でした。確かに、ボランティアやNGOとして受け入れ先を探し、ビザをもらってメーソートで何とか暮らしていくことはできるかもしれません。ただ、自分には「仕事がないミャンマーの人たちに雇用に機会をもたらし彼らの生活を変えたい」という思いがありました。しかしそれを叶えるのにはボランティアだけでは難しいことも分かっていました。
ボランティアを否定するつもりはないですし、むしろ自分はずっと現地の学校でボランティアをしてきたのでその大切さもわかっているつもりです。ただ一方でボランティアの限界も感じていました。一つの学校なら寄付金で支援ができても、同じようなギリギリで運営している移民学校は周りにたくさんあり、それらを全て寄付で支援することはできません。教育を変えたくても、両親の仕事が安定しないので教育費が払えなかったり、共働きで幼い弟や妹の面倒を見なければならない子たちは学校に行けなかったり…雇用が生まれなければ現状はそう簡単には変わらないことを痛感しました。
本気で現地と向き合い彼らの生活を変えるならビジネスで雇用を生むしかない。ならば、今自分がやるべきことはビジネスを学ぶこと、そして雇用を生むとはどういうことなのかを学ぶこと。そして、もう一つは自分のこだわりですが、どうしてもミャンマーから離れる仕事はしたくない、という思いがありました。間接的にでもミャンマーのためになる仕事、ミャンマーの人と関わる仕事でないと自分自身が熱量を高く保てないからです。
ビジネスの世界で数字を追い続ける環境に身を置く。雇用を生み人々の生活を変える。そしてミャンマーと関わる。この3つの望みが叶う場所、それはLivCoしかありませんでした。今では「就活を全くしなかったこと」には少し後悔もしていますが、自分は一切他の会社を検討することなくLivCoへのJoinを決断しました。
📷ミャンマーCAとして、毎日たくさんのミャンマー人と話しています!
4月1日からLivCoのメンバーとして仕事が始まり、あっという間に3ヶ月が経とうとしています。覚えることが多くて頭がパンクしそうな日々で、食らいついていくので精一杯というのが正直なところです。今は悔しい思いばかりですが、徐々に結果も出るようになってきました。でも、もっと自分で結果を出して貢献したいし、貢献しなければならないと思います。
私は高校までサッカーを続けてきて、大学でも部活としてアルティメットというディスクスポーツをやってきて、ずっと「チームで戦う」という経験をしてきました。そんな自分にとって、ベンチャーで仕事をする環境はこれまで自分が身を置いてきた環境と似ているし合っていると感じています。
私の最初の1ヶ月は、4日間の研修で幕を開けました。それから1週間後には自分の数字を持ってインサイドセールスが始まりました。その後すぐにCA(キャリアアドバイザー)の仕事もすることが決まり、改めて一からCAの仕事を学び、ものすごいスピードで怒涛の1ヶ月が過ぎ去りました。テレアポで架ける一本の電話が雇用を生む最初の一歩になる。CAとして今話しているミャンマー人が、新たな仕事を手にして生活がもっと良くなる。そこに自分たちも全力を注ぐ。すぐに責任ある仕事を任されるようになるので緊張感もありますが、その分やりがいも感じています。現在はCAに転向し、毎日転職を希望する何人ものミャンマー人と面接を行い、彼らの人生がより明るい方へと向かえるように奮闘しています。
仕事の環境については、やはり自分にとっては同期の存在が大きいです。同期が活躍すると、もちろん嬉しいですがその反面で悔しさも感じます。チームメンバーでありライバルでもある仲間がいることで、日々の原動力になっています。新人にまずできることは、元気よく攻めの姿勢で取り組むこと。その中で昨日より今日、今日より明日、と一つ一つできることを増やしていくことだと思います。日々挑戦を楽しんでいきたいです!
📷定例ディナーinミャンマー料理レストラン🇲🇲(この時はまだJoinする前でした笑)
自分は一年間休学しているのでまだ在学中ですが、4年間で卒業した部活の同期が大手に就職し自分と同じく4月から働いています。5月ごろみんなで久々に集まったのですが、この後もまだ研修が続くと言っていました。一方で自分は、すでにミャンマーCAとしての業務を任されています。このスピード感、これがベンチャーの持ち味だと思います。
現状に満足できていない方、「もっと自分の成長にこだわりたい」と思っている方、そして新たな挑戦にワクワクできる方、まさにベンチャーが合っていると思います。私自身も、何より自分が成長するためにLivCoに入ることを決断しました。スピード感を持って自分の成長のために仕事をする。その仕事の一つ一つが、海の向こうのインドネシア人、ベトナム人の人生を変えるかもしれない。日本に住むミャンマー人が、不安定な情勢の中で故郷に暮らす家族を助けられるかもしれない。自分の成長が社会貢献につながるのがLivCoでの仕事の持ち味だと思います。
もちろん最初から完璧にできる人はいないですし、私自身もまだまだこれからです。ただ、日々新しい挑戦を積み重ねていけば、いずれそれが自分の力になると信じています。LivCoには「ここでしか得られない経験」があります。あなた自身の成長を追い求めて一緒に挑戦していきましょう!
LivCoでは毎月「定例ディナー」を開催しています。気軽に参加できて会社の雰囲気も事業内容も知れて、国際交流もできちゃう超お得な企画です。私もLivCoにJoinする前から参加者として何度か来ていて、入社時には既に顔馴染みでした(笑)まずはぜひ定例ディナーに遊びに来てくださいね!お会いできるのを楽しみにしています!
📷 "Co-Living"外国人も暮らしやすい社会を共に創って行きましょう!!
現在様々なポジションで共にチャレンジしてくれる仲間を募集しています!少しでも興味をお持ちの方は、ぜひ、採用情報をご覧ください!
弊社は『外国人も暮らしやすい社会を創る』がビジョンの、外国人向けに人材/不動産/教育/メディア事業を展開するスタートアップです。東京/インドネシア拠点。
移民が日本で生まれ亡くなるまで全てのライフステージの課題を解決するソリューションプラットフォームを構築しています。外国人業界初の上場を目指し、年間350%の成長を遂げています。
急速な人手不足を補うべく在日外国人労働者はこの10年で260%増の一方で、職場から失踪する外国人は年間1万人。
途上国では戦争が絶えず多くの若者が失業し自己成長機会が乏しい状況が続いています。
東南アジア事業経験を持つ経営陣が中心となった圧倒的外国人目線とITの力で移民就業機会の最大化・最適化を図り日本/途上国の課題を同時に解決してまいります。(HP:https://livco.inc)
〜Why LivCo!?〜
『グローバル』
東京/インドネシア拠点で外国人社員比率40%のグローバルスタートアップ。毎日オフィスでは4ヶ国語(ベトナム、インドネシア、ミャンマー、日本)が飛び交っており、グローバルな視座で仕事ができます。コアメンバーは半年に1回のペースで東南アジア出張があり、入社後半年以内にインドネシア現地入社研修がございます。
『急成長』
年間260%急成長の最後のHRブルーオーシャン市場である移民マーケットに挑み、松屋や日高屋、ベネッセなど大手含む250社以上と取引、500人以上を斡旋。年間成長率350%!
『ありがとうに近い』
「妹を学校に行かせるべく仕送りがしたい」と我武者羅に頑張る東南アジア人を支援する手触り感のあるソーシャルな仕事です。ただ支援をするだけではなく事業としてサステイナビリティーを追求するべく、ビジネスパーソンとして実行力/企画力も鍛えられます。
『経営者直下で裁量権大』
リクルート出身かつミャンマーで100万人メディアを創り売却したグローバル連続起業家直下で“社会正義”דそろばん”経営が学べます。そして新規事業を連続的に立ち上げているベンチャー企業なので裁量権大。ストックオプションも視野にいれながら最大速度で成長できます。
『優秀なメンバー』
中途・新卒問わず多くの優秀なメンバーが活躍しています!平均年齢は29歳、男女比率は6:4です。
・リクルートでMVP5回受賞した敏腕営業マン
・元大手プラントエンジニアリング会社のエース
・トリリンガルのインドネシアと日本のハーフムスリム
・サイバーエージェント出身のベトナム人
(出身企業・大学:リクルート、サイバーエージェント、JICA、ソウルドアウト、デロイトトーマツ、Speee、ラクスル、日鉄エンジニアリング、東京大学、大阪大学、早稲田大学、中央大学、明治学院大学など)
◆参考リンク
メディア取材記事(Fastgrow):https://fastgrow.jp/articles/livco-sasa…
採用資料:https://speakerdeck.com/sasa_shotaro/6
採用動画:https://youtu.be/MJeTPEUaAmA?si=1xxU9anol58sqZrz…
弊社元リクルートスタッフyoutube取材:https://youtu.be/EOUIxQd7SrU?si=N9MbkYORIhzom-gj…
代表佐々の監修記事「外国人業界の魅力」:https://fastgrow.jp/articles/foreign-employment…
資金調達のプレスリリース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000017.000089895.html
資金調達の裏側を記した記事:https://note.com/livco/n/n802c3da96f9c