「私だけでしょうか」、その一言を書けるかどうかで、会社の空気はけっこう変わる気がしています。
みなさん、こんにちは。LIDDELL採用担当です。
■ 「私だけでしょうか、、、」から始まった一往復
先日、社内のとある仕組みが急に動かなくなったことがありました。困ったのは、ひとりのメンバー。作業の途中で繋がらなくなり、原因もわからないまま、部署のチャンネルにこう書き込みました。
「私だけでしょうか、、、」
返信をつけたのは、たまたまその場にいた別のメンバーでした。役職も担当も、特に決まっていません。
「これ、作業途中でのやり取り?」
「そう、途中でなった!」
「スケジュール済みのタスクだと使えない可能性あり。だけど、できるか調べてもらえると嬉しいです」
やり取りは、これだけです。原因はこの時点ではまだ何もわかっていません。それでも、このたった一往復に「リデルらしさ」がよく出ていると感じています。
■ 聞けることと、拾えること
わからないことを、わからないまま出せるかどうか。「私だけでしょうか」の一言は、裏を返せば「聞いても大丈夫」という前提がその場にある証拠です。「こんなことも知らないのか」と思われる不安も、誰かに叱られる心配もなく、素朴な違和感をそのまま置ける空気。これを「心理的安全性」というひとことで片づけたくありません。実際にあったのは、もっと具体的で小さな、たった一往復のやり取りです。
そしてもうひとつ。声を上げたことで、聞いた本人が今度は「調べる」役になった点も見逃せません。担当表があったわけでもありません。その場にいた人が「できるか見てみます」と手を挙げた、、、それだけのことです。ただ、この「それだけ」を日々積み重ねる会社と、そうでない会社とでは、数年後の景色が変わってくるのだろうと思います。
■ 個人の影響力、という話
リデルのミッションは「個人の影響力を、人々の未来のために。」です。声を上げること、拾うこと、動くこと。そのどれもが、役職の大きさとは関係のない、ひとりの人の仕事だと私たちは思っています。今回動いたのも、上司からの指示ではありません。たまたま隣にいた人の「見てみます」でした。
こんな人と一緒に働きたい、、、
- わからないことを、わからないまま口に出せる人
- 誰かの違和感を、自分のこととして拾いにいける人
- 役職や肩書きより、いま自分にできることを優先できる人
小さな「私だけでしょうか」を、面倒がらずに拾える組織かどうか。もしこの話にピンときたら、まずは気軽に「話を聞きに行きたい」から、私たちに声をかけてください。