こんにちは!未来開発室インターンの山下です。
私がストーリーを書くときの1番の悩み、それは「初めのあいさつ」です。
いつもなんとなく「こんにちは!」と書いていますが、読者の方が読んでくださる時間によっては「こんにちは」ではないこともありますよね。
いつ、どこで読んでいる方にも身近に感じていただけるあいさつはないか……と、ひそかに考えています。
今のところ、有力案は「ごきげんよう」です。ほかにいいアイデアがある方は、ぜひ教えてください!
山下、気になっちゃいました
私が自己紹介をするとき、よく使う定型文があります。
「私ってめんどくさがりなんです」というフレーズです。
先日、自己紹介でこのフレーズを使ったとき、ふとある場面を思い出しました。
それは、コウダプロの朝礼で幸田さんがおっしゃっていたこの言葉です。
「ここ(コウダプロ)はめんどくさい人多いから(笑)」
文法的にいうと厳密には違うかもしれませんが、どちらも人に対する形容詞ですよね。
でも、同じ「めんどくさい」なのになんだかニュアンスが違う気がしたんです。
何が違うんでしょうか? ちょっとだけ立ち止まって考えてみたいと思います。
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そもそも「めんどくさい」とは?
まずは大学生らしく、辞書を引いてみることにしました。
「めんどくさい」という見出し語はなかったので、「面倒」で探してみます。
面倒
(「面倒」は当て字。「目」に無益の意を示す「だうな」の「だう」がつき、撥音が入って「めんだう」となったもの。原義は、見るのも無駄の意)①体裁の悪いこと。見苦しいこと。また、そのさま。大鏡道隆「この入道殿のかみにさぶらはれしは、いとーなりしわざかな」②物事をするのがわずらわしいこと。手数のかかること。義経記五「此君の御伴申し、不足なく見するものはーなり」。「ーな仕事」「ーを起こす」③転じて、世話。厄介。「ーをかける」
ーくさ・い【面倒臭い】非常に面倒である
(広辞苑第七版2894P)
「面倒」って当て字なんですね。口語として使われる「めんどくさい」は、おそらく②の意味で用いられることが一般的でしょう。
意味は分かりましたが、「面倒臭い」の「臭い」にはどんな意味があるのでしょうか? 語源も少し気になったので調べてみました。
面倒
メンドウは、四つの語源説があります。説1は、「目+ドウナ(だるい)」の変化です。見るのも大儀なの意です。説2は、「メドウ(目遠)の撥音便化」で、見にくい意です。説3は、見たくない意の「面伏せ」を漢字に訳し、「面倒」として音読した語です。説4は、「目+ダウ(無益)」で、見るのも無駄の意です。確定説はありません。見苦しい、くどくてうるさい意です。転じて、するのが煩わしい意です。厄介だ。世話がかかるなどの意です。
(日本語源広辞典「増強版」1059P)
面倒臭い
ひどくわずらわしい。「面倒」は当て字。
メンドウは室町時代に現れ、語源は諸説あるが「目だうな」の転とする説が有力。ダウナは「無駄になること」の意を表す接尾語。メダウナの例は文献に現れないが、「目を無駄にする」意のメダウナを想定すると、メンドウの表す「体裁が悪い」「わずらわしい」意図の関連は説明がつく。クサイは程度の甚だしさを示す接尾語。「面倒臭い」の形は明治後期になって現れる。
(暮らしのことば新語源辞典859P)
どの引用を見ても、基本的にはネガティブなイメージが語源になっているようです。
コウダプロの「めんどくさい」の正体
ここで私は、自分が感じた違和感の理由に気づきました。
私が言う「めんどくさがり」は、辞書的な意味に近いネガティブな意図を含んでいますが、幸田さんが言う「めんどくさい人が多い」は、決してネガティブな意味ではないのです。
では、なぜコウダプロの「めんどくさい」にはネガティブな意図が含まれていないのでしょうか?
先ほど引用した広辞苑の②の意味をもう一度よく見てみます。
②物事をするのがわずらわしいこと。手数のかかること。
広辞苑第七版2894P、「面倒」一部抜粋
大きな意味として一つにまとめられていますが、よく見ると「わずらわしい」と「手数のかかること」という2つの要素が並んでいます。
おそらく、私が使う「めんどくさがり」は前者の「わずらわしい」に重きを置いており、幸田さんが使う「めんどくさい」は後者の「手数のかかること」を中心にした言葉なのだと思います。
「わずらわしい」にはネガティブな価値判断が含まれますが、「手数のかかること」は純粋に状態や様子を伝える表現です。
さらに、コウダプロで使われる「手数がかかる」とは、業務の効率が悪いという意味ではなく、「個人の思考回路やプロセス」にかかる手数のことなのだと思います。
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コウダプロは「思考の手数がかかること」、つまり、物事を深く考え、本質を見出そうとすることを歓迎する会社です。
その様子は月曜朝礼に最も色濃く表れていますし、日々の業務の中でも頻繁に目にします。
つまり、コウダプロにとって「めんどくさい」とは、否定的な様子を表す言葉ではなく、「とことん考え抜く」という一つの個性を表す言葉なのです。
だからこそ、コウダプロの文脈で使われる「めんどくさい」からは、ネガティブな意図を感じなかったのだと腑に落ちました。
同じ言葉でも、どの要素に意図を置くかで受け取り方が全く変わってくるって面白いですよね。
みなさんの反応
そこそこ納得いく結論に至った私は、この考察を先輩方に読んでもらうことにしました。
感想をいただいたので、ご紹介します!
人生には至る所に「めんどくさい」が転がっていて、それにいかに打ち勝っていくかが大事だなと常々思っています。
コウダプロの「めんどくさい」の中には愛情が含まれているからネガティブな印象がなく、相手や物事とトコトン向き合う熱量があるからこそ、心地よく受け止められているのだと感じます。
私はめんどくさがりだからこそ、これまでは思考にも手数をかけていませんでした。
しかし、入社してからは比較的より深く思考するようになったという体感がなんとなくあります。
考えてみれば、ここは「めんどくさく考えずにはいられない環境」なのかもしれません。
これからは、考えなくていいことは考えこまず、考えなきゃいけないことはめんどくさがらずに考える、コウダプロ的「めんどくさい人」を目指してみます!
正直、読んでいて「“めんどくさい”について、ここまで深く調べるんだ……!」と思いました。
特にすごいなと思ったのは、「わずらわしい」と「手数がかかる」を分けて考えていたところです。
さらに、コウダプロのいう「めんどくさい」を、ただ面倒とか扱いにくいという意味ではなく、「簡単に流さない」「違和感をそのままにしない」「納得するまで考える」の3つに分けて捉えていたところも、すごいなと思いました。
インターンを通して、コウダプロの大切にしていることを自分なりに見つけて、ここまで言葉にできているのがとても印象的でした!
正直、「そんなこと考えるなんてめんどくさいね(笑)」という趣旨の感想が来ると思っていました。
私が「こんなことを考えたよ」と話したとき、そんな感想をもらうこともあるからです。(もちろん、そういう感想に悪意があるわけではないと思います。私自身もそのような感想を抱きます笑)
だから、皆様からこんなにあたたかい感想をいただいて山下は飛び跳ねて喜んでおります。
コウダプロ的「めんどくさい」は、愛情の表れのようです。
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来たれ!めんどくさい人!
前述したとおり、コウダプロは物事を深く考え、本質を見出そうとすることを歓迎しております。
そのような意味での「めんどくさい人」と働きたいです。
コウダプロでは一緒に働く人を募集しております。
興味を持ってくださった方はぜひお問い合わせください!
参考文献
増井金典、『日本語源広辞典[増補版]』、ミネルヴァ書房、2012年
山口佳紀 編、『暮らしのことば 新語源辞典』、講談社、2008年
新村出 編、広辞苑 第七版、岩波書店、2018年